英文学遠隔講義 Entry No. 2061

 

講義テーマ Wm. Somerset Maugham 拾い読み

 

今回は上記のテーマに依る、此の作家の若い活躍時代のエピソード的話題を取り上げて皆さまと一緒に英文学の持つ特質に迫る事が出来ればと思います。

 

此の作家ほど自分の置かれた生活環境の記述の多いのに気が付かされる。 又この作家ほど多くの読者を世界中に広く持つ著作家は居ないのではないだろうか。 

 

日本ではモームと云う名前を口にするだけで、多くの人が何らかの意識を駆り立てられる思いを抱く状況はつい先ごろまでは確かにあった。そして何世代か経るうちに、今やその様な感傷に浸る文学趣味を生活の中で追及する人は激減している。

 

しかし、今日このごろの様に予期できぬ疫病の蔓延が生活を脅かす時期に人々が自己の生活の拠り所とするものは何かと問うと、正に多くの先人たちの生きざまが如実に学修出来る文学の力に気が付く人達は多い。

 

多くの偉業を成した先人達の生きざまが手に取る様に探求する者の意識に飛び込んで来る事象を、どうやってこれから社会に巣立つ若者に伝授するか、そろそろ教育の現場で、教鞭を振るう講師たちの出番が今目の前に展開している訳である。

 

文学作品としてのモームの著書、特に人々に人気のある短編集の物語の多くは幼児がイソップやグリムを読む時と同じ感覚の、さまざまな教示に満ちた内容であるが、これ等の物語を書くに至った小説家モームのたどった人生、その深淵な生きざまは、現代と云う混沌の中で人がどう生きたら良いか、自問自答する時、「なるほど」と目からうろこが落ちるという気分に到達出来る機会が多い事に気が付く。

 

その様な意味で、此の稿からは、世界の文豪、 Wm. Somerset Maugham

に関しての近来の文芸評論と云うジャンルの中での著述が激減している風土の中で、一般のモーム愛好家が、此の稀有な作家に関しての未だ語り尽くされていない部分を現代に生きる一般人とそれ程かけ離れて居ない人情的、或いは、人間臭い面などを筆者の気が付く儘に語って行くのもとして、先ずブログで配信し、軈て著作物として発行するつもりで書き述べて行こう。 

 

次回をお楽しみに、今日はこれまで。

 

令和二年6月24日 (水)          菊地 喜平