こんにちは

いつもありがとうございます

 

 

先日、親戚の葬式がありました

 

大往生だったので

親戚が集まっても悲壮感はただよわず

昔話がとびかっていました

 

葬式って

1、2時間くらい

時間を持て余すことってありますよね

 

母の長兄が亡くなったのですが

母の兄弟たちのおじいさん、

わたしたちのひい爺さんの話になりました

 

今までそんな話を聞いたことありませんし

どんなひとかも聞いたことありませんでした

だから興味しんしん

 

 

母の実家は

石和という温泉郷の旅館です

 

もともとは、

甲州街道沿いで旅籠をしていたそうですが

明治の終わりに鉄道が通ったので

現在の駅前通りに移ったそうです

 

母の爺さんですから私のひい爺さん

いとこで5代目の現社長のひい爺さんでもあります

このひい爺さんは2代目だそうですが

どうやらまともに

家業にいそしんではいなかったようです

 

旅館というのは、そもそも

おかみさんが切り盛りするもので

ダンナは遊びほうけてる

そういうものだそうです

 

 

母の弟にあたる叔父が云うのには

 

この2代目は大変な道楽者だったそうで

仲間と三人で、よりによって

東京の吉原で女郎屋を始めたそう

ということは

山梨の旅館の2代目でありながら山梨に居住せず

東京で女郎屋を経営してた

 

当時街道沿いにあった旅籠は

もちろん奥さんが切り盛りしてたんでしょう

 

このとんでもない2代目

そのうち仲間割れを起こして

女郎屋を売り払い

その金で中国大陸に渡ってしまった

 

道楽者でも起業精神は旺盛らしく

満州でも一旗上げて

金をもうけて帰ってきたと思ったら

今度は骨董ざんまい

 

「その時に漁った骨董のうち

 いちばんまともそうなのが

 あの”蘇我兄弟”」

 

大広間の入り口の正面に掛けてある日本画

 

べつの叔父が

「****の絵だから

 もしホンモノならすごい値段」

 

遊び人が金にまかせて買った骨董なんて

ぜ〜〜ったいにニセモノだと思いませんか?

 

 

次の話題は

母たちの父にあたる3代目

 

このひとも遊び人だったそうで

叔父が言うには

 

「お母さんに手を引かれて

 何回も父のオンナの家に行った」

 

「昔は一角の男は

 女の2、3人はあたりまえだった」

 

おばあちゃんに旅館はまかせて

自分は遊び歩いていたのに

どうしておばあちゃんがオンナの家に?

 

「おれも小学生だったから事情はわからないけど

 おやじはもうけた金を全部

 女にみついでいたらしい、だから

 手元にお金がなくなった時に

 お金をもらいに行ったんだろう」

 

ほんもんのろくでなしです

 

この祖父の私の記憶は、戦争の話

怖いイメージしかなかったのですが

ろくでなしだったんですね

 

この祖父

私が生まれた頃には

なんでかこの町の町長さんやってて

そのころ掘り当てた温泉を

町長なのに

全部独り占めにしたらしい

その温泉で旅館は大成功

 

ろくでなしでも

事業は成功することはあるみたいです

 

 

次は今回の主役

母の長兄にあたる4代目

 

母いわく

「街のゴロツキの親玉だった」

「ナツコさんに旅館は全部やらせて

 自分は子分引き連れて飲み歩いてた」

 

血筋ですね

 

 

叔父が言い訳のように云うには

「うちの男はまじめで優しい」

「だから仕事にもオンナにもまじめに貢いじゃう」

「でも変わり者が多い」

 

この叔父も若い時は

ブラジル移民開拓団

相当な変わりもんです

 

 

わたし、自分の血は

今まで父方の方が濃いと思っていました

 

親戚が言うには

「おまえは文子(母です)の血」

「文子もおじいさんそっくり」

 

そういうご意見は聞きたくなかったのですが

そう言われれば、

たしかに、わたくしも

先を考えない無鉄砲で

変わり者

(本人はぜんぜんそう思ってませんが)

 

そういう血は多いかも・・・

 

こういう先祖の話のあとだと

母方の血筋だとは

自分では認めたくないんですが・・・

 

 

お葬式って

こういう話って、

ありますよね

 

自分のルーツを見た気がしました

 

じつは父方でもあったんですが

またそれはべつの機会に

 

 

ありがとうございました

 

株式会社J-one

代表取締役 島田逹己

http://www.j-one-net.com/