9月末近く、自己管理はとても大切ということで、
自主的に、健康診断の再検査に行ってきた。
腎臓の数値ランクがAからBに落ちていたのだ。
会社が契約している検診センターは
ベルトコンベアーに乗せられたパーツのごとしのスムーズさ。
時短は良いこと、素晴らしいこと。
でもあまりに希薄な関わり方でふと、その診断にも
疑いを感じることがあるのだ。
誰が悪いというわけでもないのだけれど…。
オットの会社が契約してくれている病院がいかに心理的にも寄り添い、対応が手厚くかったかを思う。けれどこの数年、私がオットの扶養家族でなくなったために
今までのように夫婦で一緒に人間ドックに入れなくなった。
そのことをオットの方が不安がり、結局、自腹で、過去データが全てがあり
ドクターもずっと変わらないなじみの病院にも検査をお願いし、この数年続けている。
(高額なので結構きつい・・・)
結果、検診で判定Bだった腎臓の数値は極めて正常でAであること、
(大量受注の検診センターはAIによる判断のため、大袈裟目に数値を出すそうだ…)
視力や右足かかとの痛みなども、まあまあの加齢によるもので、
要は数年ぶりにコンタクトレンズや眼鏡の度を合わせることと、
日々の適度なストレッチを忘れないことだと学んで無事に終了。
問題ない、大丈夫、との先生の言葉に締めくくられて、にっこりした。
いい年の取り方をしていこう。
そう思った。
今回は、心配して付き添ってくれたオットの方が本調子ではなくて、
実は困ったのである。
趣味の合唱団の活動で飛び回っているオットを
日頃は生温かく見守っているのだけれど、
コロナウイルス感染にだけは気をつけて、と日頃から厳しめに言っている。
わかってるよと適当なオットだったが、
よりによって子供たちが二人揃って共にそれぞれ、将来をかけた大切な10日間の実習に入ったその日の夜に、
明らかに風邪とわかる声のおかしさで深夜、帰宅した。
どう考えても異常な声と、少し赤らんだ顔だった。
案の定、翌朝には高熱をだしたという、
いつもながらの「絶悪タイミング王」っぷり。
(私がオットについ、献上してしまったあだ名なのだが、
あまりに言い得て妙すぎで、子供も密かに使っている)
すぐに医師の診断を受けて、
「コロナ陰性」との結果にほっとしたのも束の間、
その日のうちに、共に歌った合唱仲間のうち、三人からコロナ陽性発症の知らせ。
翌朝にはさらに三人増えて、クラスターぶりが明確になった。
オットの体調も重篤ではないけれど、ただの風邪にしてはあまりにもだるい、
熱はないけれど苦しいということで、再びコロナ検査、
でも陰性。。。
大昔からなのだが、オットという人は普段も大変手がかかる…なのに、体調を崩すともっと煩く、
様々な要求レベルがグレードアップし、面倒なことこの上ない人である。。。
私が常にオットの健康管理に気を使うのは一重に、
この面倒さを体験したくないからなのだ。
それでも勝手に出かけて行って、
やっかいなウイルスに感染して帰ってくるものを、どうすればいいだろう。
しかも、前述したように子供らにとって一番の大切な時期である…
私の怒りは必然的に夫の合唱仲間に向かってしまう。
前にもクラスターが発生しており、その時の原因が今回と同じ人達である。
その人たちはもう3、4回目のコロナ感染だという。
はっきり言って懲りていない。
かかってもまあすぐ治ると思っている。
しかし彼らから感染したオットが私たちにうつせば、
重度のアレルギー持ちのためワクチンを打てていない私は重篤化の可能性が高いし、
大切な実習を控えていた子供たちの運命だって変わったかもしれない。
実際、他に感染させられた方たちは
たくさん予定の入っていた連休にかけて寝込むことになり、
大きなトラブルを家庭や仕事で抱えてしまわれて、
非常な怒りを持っているとのこと。
オットもついに、今回のことでは合唱仲間とのつきあいを考え直すと言い始めた。
まあ、とは言っても合唱命なオットなので、その気持ちがいつまで続くか分からないけれど。
問題なのは、オット所属の合唱という集団の晴れの場は、
実は高齢者の施設に呼ばれて行って歌を披露することだったりすることだ。
なのにそんなに健康管理意識が薄い人たちでは、
高齢者の方々にとって最も恐ろしい歩くウイルスでしかない。
慰問ではなく災禍になりかねないではないか。
今時、自己管理は他者への配慮、思いやり、マナーですらある。
大の大人ならばそのことこそをしっかりと肝に銘じるべきだろう。
結果的には、幸い、私達家族は元気に体調を保持し、子供達も無事に実習も終えられたけれど、
オットの回復には大変時間がかかった。
そんなふうに、私より大丈夫じゃない人に付き添われてしまったわけである。
とても人気の、美味しいお店で帰りにランチを楽しんだけれど、
食べきれず、残したオット。
それはもう相当に具合が悪い(いつもは大変な大飯ぐらいなのだから)
だけどこれらも人生の日々の中での、ある気付きを得るためのきっかけの一つだったのかもしれない。
オットにも今の、好調に見える生き方のどこかの流れを変えてゆく必要があり、
家族もまた、働きかけ方を学ぶ。
そんな意識変換を促してゆくための出来事だったのかもなあ、と
窓から眺める夕焼けに思ったり。
仕事は日々忙しい。
いろんな人がいて、いろんなことがある。
でもダメージは受けない。
目の前のいろんなエネルギーをどうするかは自分で決めるのだ。
された、言われた、させられた等等、人のせいにしては自分の意志での選択ではないと理解するのも、個人の自由である。
だから自分はエンパス体質でいつも人から影響受けてます、とスピリチュアルジプシーするのも好きなのだろうし、
自分の能力、運気を奪おうとする人がいる、それが不安、不快、不運の原因‥と、悶々と貴重な時間に悩む、
それも実は楽しいのだろう。
どう受け止め、何に
自分の貴重な、一度しかない人生の時間と心のエネルギーを使うかは本当に自由だ。
私は良きと感じたものは受け取り、不要なものは流す。
誰かに影響されるとしたら、それは自分が好きで選択したことだと自覚するようにしている。
自分の今の環境は、全て自分が何かを受け入れてきた結果だ。
例えば親に進路を決められたとしても、それに従うと決めたこと、嫌だから親と話し合った、説得した、貧乏暮らしをしてでも独立することを決めた、という選択をしなかった以上、
すなわち全ては自己責任の、結果である。
だからこそ、今後も自分で決めていける。
その先に自分が選んだ未来がある。
あくまで、人生という乗り物の運転手は自分であって、
誰かにリモートコントロールされた遊園地のアトラクションでないのだ、ということを肝に銘じたい。
ちょくちょく、小さな幸運続きの毎日でもある。
あと3個当たれば6億円だった…そんなアンラッキーとは考えない。
1200円は大金。
ちょっとしたランチが食べられる。
重畳、重畳。
感じが良く、優秀な方たちと出会い、
美味しいご飯を味わう幸せな時間も積み重ねて。
幸福感は意図的に膨張させていいと思う。
さらに最近面白いのは。
NHK大河ドラマ「光る君へ」に絶賛ハマり中の私だけれど、
その中の登場人物の一人、俳優の三浦翔平さん演じる藤原伊周(ふじわらのこれちか)の生き方だ。
この人、しょっちゅう人を呪っているのだ。
自分の思い通りの現実じゃなくなると、怒る、恨む、嘆く、喚く。
いわゆる政敵である藤原道長や、
その娘で帝の寵を得た彰子の出産時などなのだが、
とにかく呪ってる。
暇があっていいなあ、と思う。忙しい相手はそんなこと構ってられない。
本気で人型をガッガッ、と小刀で刺し続ける。
色々呪詛の文言も欠かさないが、効かない。
そう、効いてないのだ。
笑えてしまうくらいに。
この時代、呪詛は本当に人を仇なすと信じられていて、
見つかれば即捕縛され、厳罰に処されるという立派な犯罪行為な訳で、
それくらい効き目を非常に信じられていたのだけれど。
呪った相手が、加護が強くついている人だからという見方が、
このドラマ的にベターなのだろうけれど、
実際のところ、効かないと思う。
呪いが本当に効力あるものなら、とうに死んでる犯罪者が、
戦争や酷い事故の原因となった人が、この世から即、消えられているではないか。
でも実際は多くの加害者たる人がピンピンしていることが多い世の中で
正しさゆえに神の裁きを相手に望んでいる人たちの方が不遇を囲い、絶不調に悩んでいたりする。
それはなぜなのか。
引き寄せてるなあ、と思う。
それを常に思い描くことで引き寄せてしまっている。
引き寄せのエネルギー体である高次元はあまり細やかではない。
◯◯が消えますように、の◯◯の部分が入らない。
でも、イメージされた「消える」部分は受け止め、送ってきてくれる。イメージした主に。
人を呪わば穴二つの所以はこのことだったのだと、私もこのエネルギーの性質がわかってから納得した。
それまでは人を呪うと言う醜い心根を神様に厭われ、
罰として同じ呪いを返されることか、と思い込んでいた。。。
1日の仕事を終え、ゆっくりできるであろう時間、
休暇日など、のんびりするなり、
何か楽しむなりの予定にときめいていれば波動は高まるのに、
嫌な人、嫌な出来事の方に自身の時間と引き寄せ能力を使い、
必殺仕事人を求めてネットのスピリチュアリストの間を彷徨っていては、
波動は下がる一方である。
幸福に暮らしたいはずなのに、逆効果すぎて切ない。
そんな勿体無い状況になられて抜けられないでいる方を、
お助けしたくて、エネルギー調整をさせて頂いめいるけれど。
効果があったと、とても喜んでくださったあと、
もういっそ全ての嫌な出来事とのエーテルコードをカットし、
何も嫌なことのない人生にしよう、という志のもとに、
絶えず身の回りのマイナスを探し始めてしまわれる方の、逆効果ぶりも苦しく。
それはマイナス召喚している状態。
自分にはマイナスがいっぱい!と高らかに高次元にリクエストし続ける
不運好き、というキャラになってしまわれるので、
普通にしていて思い出さないことはそのままでいいんですよ、とお伝えしている。
内心、不安についてスピリチュアリストに相談し続けていたい方には
つまらない助言のようではある。
ふと暇になった瞬間には、
自分を心地よくできる人でありたい。
マイナス感にフォーカスするより、まず自分を労る方に時間とエネルギーを使いたい。
美味しいものを食べたり飲んだり、ゆっくり入浴するのを先にしてもいい。。
嘘でもいいから、おまじない程度とでも思って、
塩とお酒をちょこっとお風呂にいれてこれで厄が祓えたということにしたり、
いい感じの入浴剤もたっぷり使って癒されると感じてもいい。
好きな運動、あるいは好きなゴロ寝でもいい。
その程度のことでいいのだ。
我を忘れるほどの趣味とか推しがなくても別に構わない。
当たり前だが、心と体は連動している。
体が気持ち良くなってしまえば、心シンプルに上がる。
波動が上がる。
波動と運気は比例するから、
こだわっていたマイナスを手放し、忘れた頃、
案外、現実はうまく変わっていたりする。
自分は不運が好きだ、と運命に信号を送るのをやめてる間に、
自分にとっての好環境へと整ってゆくのだ。
楽に生きて良いのだ。
楽してもいい。
誰かや何かに自分を搾取されるのはやめよう。
せめて自分の思考くらいは。
そんな私の最近のときめきの一つ。
(暇がほとんどないです。買い物に行く時間もない)
ディズニーストアでのお買い物は、届けられる箱も可愛くて楽しい。
自分で買っているのだが、
まるで素敵な誰かから自分へのプレゼントが届いたみたい。
来年の、プライベートタイム用ダイアリーを購入。
一昨年から私はウィークリーブロックタイプの手帳が気に入っていて、
ディズニーストアのそのタイプの手帳が一昨年はとえも使いやすかったので、
今年も、またディズニーストアで買おうと決心。
キャラクター版と、美女と野獣版とで悩んだけれど、
しおり紐のこのチャームが決めてでクラシックディズニーのキャラクター版に。
見開き2ページで1週間分のダイアリー。
見やすく、使いやすくて、このタイプが手放せなくなった私。
基本的に書くことは好きだけれど、日々の疲れもあったりするので、
日々の記録は箇条書きに、と決めたら、より一層描きやすくなって。
フリーページも可愛い。
マスページも助かります。
ちょちょっと図面を引きたい時もあるので。
ディズニーストアが近所にあるわけではないので(電車で15分は私にとっては遠方に当たる)
もっぱらなんでもオンラインショッピングなのだが、
送料がかかっていやんなのですね。
実際に自分が行って買ってきたとしても案外往復の電車代と何よりかかる時間を思えば、
送料くらい安いのだけれど、
わかっていてもついつい、送料無料になる何かが欲しくなる。
それで今回値段合わせに心惹かれた品を二つ購入。
一つはこのルシファー、シンデレラの継母トレメイン夫人のペットの猫ちゃん。
この意地悪そうな顔とハンカチからはみ出したふさっとした尻尾がたまりません。
ていうか、全体的にこのデザインが好き。
そして、この可愛い絵本図鑑を購入。
小さなお子さん向けのものとは思いつつ、
絵本全般が好きな私とムスメのために購入。
可愛くて楽しい。
いろんなディズニーの物語の世界をガイドしてくれる一冊。
少し時間に空きがあるとき、ぽーっとお茶を飲みながら、
目で見て楽しむ本や画像は心を一時、違う世界に遊ばせてくれる。
そんな気分転換もまたよし。
一生懸命働いて、帰ってきても家事をして、
お風呂に入ってご飯を食べて、洗濯をして、
家族のなんやかんやに時間を費やしたら、
もう余計なことを考える暇もなく眠くなって終わる私。
でもこんな流れがバリアかもしれず。
そして今より時間ができたら、
楽しみにしていたいろんなことをしたくてたまらないから、
それはそれで忙しくて、
マイナス探しをしてる暇はなく。
ちょこちょこ運が良いことがあるのは、
いい意味での忙しさがあるからかもしれない。