人形姫の視る夢は・・・

人形姫の視る夢は・・・

着せ替え人形コレクターかりんの日々の記録です。

9月末近く、自己管理はとても大切ということで、

自主的に、健康診断の再検査に行ってきた。

腎臓の数値ランクがAからBに落ちていたのだ。

 

会社が契約している検診センターは

ベルトコンベアーに乗せられたパーツのごとしのスムーズさ。

時短は良いこと、素晴らしいこと。

でもあまりに希薄な関わり方でふと、その診断にも

疑いを感じることがあるのだ。

誰が悪いというわけでもないのだけれど…。


オットの会社が契約してくれている病院がいかに心理的にも寄り添い、対応が手厚くかったかを思う。けれどこの数年、私がオットの扶養家族でなくなったために

今までのように夫婦で一緒に人間ドックに入れなくなった。

そのことをオットの方が不安がり、結局、自腹で、過去データが全てがあり

ドクターもずっと変わらないなじみの病院にも検査をお願いし、この数年続けている。

(高額なので結構きつい・・・)

 

結果、検診で判定Bだった腎臓の数値は極めて正常でAであること、

(大量受注の検診センターはAIによる判断のため、大袈裟目に数値を出すそうだ…)

視力や右足かかとの痛みなども、まあまあの加齢によるもので、

要は数年ぶりにコンタクトレンズや眼鏡の度を合わせることと、

日々の適度なストレッチを忘れないことだと学んで無事に終了。

問題ない、大丈夫、との先生の言葉に締めくくられて、にっこりした。

いい年の取り方をしていこう。

そう思った。

 

今回は、心配して付き添ってくれたオットの方が本調子ではなくて、

実は困ったのである。


趣味の合唱団の活動で飛び回っているオットを

日頃は生温かく見守っているのだけれど、

コロナウイルス感染にだけは気をつけて、と日頃から厳しめに言っている。

わかってるよと適当なオットだったが、

よりによって子供たちが二人揃って共にそれぞれ、将来をかけた大切な10日間の実習に入ったその日の夜に、

明らかに風邪とわかる声のおかしさで深夜、帰宅した。

どう考えても異常な声と、少し赤らんだ顔だった。

案の定、翌朝には高熱をだしたという、

いつもながらの「絶悪タイミング王」っぷり。

(私がオットについ、献上してしまったあだ名なのだが、

あまりに言い得て妙すぎで、子供も密かに使っている)

 

すぐに医師の診断を受けて、

「コロナ陰性」との結果にほっとしたのも束の間、

その日のうちに、共に歌った合唱仲間のうち、三人からコロナ陽性発症の知らせ。

翌朝にはさらに三人増えて、クラスターぶりが明確になった。

 

オットの体調も重篤ではないけれど、ただの風邪にしてはあまりにもだるい、

熱はないけれど苦しいということで、再びコロナ検査、

でも陰性。。。

 

大昔からなのだが、オットという人は普段も大変手がかかる…なのに、体調を崩すともっと煩く、

様々な要求レベルがグレードアップし、面倒なことこの上ない人である。。。

私が常にオットの健康管理に気を使うのは一重に、

この面倒さを体験したくないからなのだ。

 

それでも勝手に出かけて行って、

やっかいなウイルスに感染して帰ってくるものを、どうすればいいだろう。

しかも、前述したように子供らにとって一番の大切な時期である…

私の怒りは必然的に夫の合唱仲間に向かってしまう。

前にもクラスターが発生しており、その時の原因が今回と同じ人達である。

その人たちはもう3、4回目のコロナ感染だという。

はっきり言って懲りていない。

かかってもまあすぐ治ると思っている。

しかし彼らから感染したオットが私たちにうつせば、

重度のアレルギー持ちのためワクチンを打てていない私は重篤化の可能性が高いし、

大切な実習を控えていた子供たちの運命だって変わったかもしれない。

 

実際、他に感染させられた方たちは

たくさん予定の入っていた連休にかけて寝込むことになり、

大きなトラブルを家庭や仕事で抱えてしまわれて、

非常な怒りを持っているとのこと。

オットもついに、今回のことでは合唱仲間とのつきあいを考え直すと言い始めた。

まあ、とは言っても合唱命なオットなので、その気持ちがいつまで続くか分からないけれど。

 問題なのは、オット所属の合唱という集団の晴れの場は、

実は高齢者の施設に呼ばれて行って歌を披露することだったりすることだ。

なのにそんなに健康管理意識が薄い人たちでは、

高齢者の方々にとって最も恐ろしい歩くウイルスでしかない。

慰問ではなく災禍になりかねないではないか。

今時、自己管理は他者への配慮、思いやり、マナーですらある。

大の大人ならばそのことこそをしっかりと肝に銘じるべきだろう。

 

結果的には、幸い、私達家族は元気に体調を保持し、子供達も無事に実習も終えられたけれど、

オットの回復には大変時間がかかった。

そんなふうに、私より大丈夫じゃない人に付き添われてしまったわけである。

 

とても人気の、美味しいお店で帰りにランチを楽しんだけれど、

食べきれず、残したオット。

それはもう相当に具合が悪い(いつもは大変な大飯ぐらいなのだから)

 

だけどこれらも人生の日々の中での、ある気付きを得るためのきっかけの一つだったのかもしれない。

オットにも今の、好調に見える生き方のどこかの流れを変えてゆく必要があり、

家族もまた、働きかけ方を学ぶ。

そんな意識変換を促してゆくための出来事だったのかもなあ、と

 

窓から眺める夕焼けに思ったり。

 

 


仕事は日々忙しい。

いろんな人がいて、いろんなことがある。

でもダメージは受けない。

目の前のいろんなエネルギーをどうするかは自分で決めるのだ。

された、言われた、させられた等等、人のせいにしては自分の意志での選択ではないと理解するのも、個人の自由である。

だから自分はエンパス体質でいつも人から影響受けてます、とスピリチュアルジプシーするのも好きなのだろうし、

自分の能力、運気を奪おうとする人がいる、それが不安、不快、不運の原因‥と、悶々と貴重な時間に悩む、

それも実は楽しいのだろう。 

どう受け止め、何に

自分の貴重な、一度しかない人生の時間と心のエネルギーを使うかは本当に自由だ。


私は良きと感じたものは受け取り、不要なものは流す。

誰かに影響されるとしたら、それは自分が好きで選択したことだと自覚するようにしている。

自分の今の環境は、全て自分が何かを受け入れてきた結果だ。

例えば親に進路を決められたとしても、それに従うと決めたこと、嫌だから親と話し合った、説得した、貧乏暮らしをしてでも独立することを決めた、という選択をしなかった以上、

すなわち全ては自己責任の、結果である。


だからこそ、今後も自分で決めていける。

その先に自分が選んだ未来がある。


あくまで、人生という乗り物の運転手は自分であって、

誰かにリモートコントロールされた遊園地のアトラクションでないのだ、ということを肝に銘じたい。


 

ちょくちょく、小さな幸運続きの毎日でもある。

あと3個当たれば6億円だった…そんなアンラッキーとは考えない。

1200円は大金。

ちょっとしたランチが食べられる。

重畳、重畳。

 

 

感じが良く、優秀な方たちと出会い、

 

美味しいご飯を味わう幸せな時間も積み重ねて。

幸福感は意図的に膨張させていいと思う。

 

 さらに最近面白いのは。

 NHK大河ドラマ「光る君へ」に絶賛ハマり中の私だけれど、

その中の登場人物の一人、俳優の三浦翔平さん演じる藤原伊周(ふじわらのこれちか)の生き方だ。

この人、しょっちゅう人を呪っているのだ。

自分の思い通りの現実じゃなくなると、怒る、恨む、嘆く、喚く。

いわゆる政敵である藤原道長や、

その娘で帝の寵を得た彰子の出産時などなのだが、

とにかく呪ってる。

暇があっていいなあ、と思う。忙しい相手はそんなこと構ってられない。

 

本気で人型をガッガッ、と小刀で刺し続ける。

色々呪詛の文言も欠かさないが、効かない。


そう、効いてないのだ。

笑えてしまうくらいに。


この時代、呪詛は本当に人を仇なすと信じられていて、

見つかれば即捕縛され、厳罰に処されるという立派な犯罪行為な訳で、

それくらい効き目を非常に信じられていたのだけれど。

 

呪った相手が、加護が強くついている人だからという見方が、

このドラマ的にベターなのだろうけれど、

実際のところ、効かないと思う。

呪いが本当に効力あるものなら、とうに死んでる犯罪者が、

戦争や酷い事故の原因となった人が、この世から即、消えられているではないか。

でも実際は多くの加害者たる人がピンピンしていることが多い世の中で

正しさゆえに神の裁きを相手に望んでいる人たちの方が不遇を囲い、絶不調に悩んでいたりする。

それはなぜなのか。


引き寄せてるなあ、と思う。

それを常に思い描くことで引き寄せてしまっている。


引き寄せのエネルギー体である高次元はあまり細やかではない。

◯◯が消えますように、の◯◯の部分が入らない。

でも、イメージされた「消える」部分は受け止め、送ってきてくれる。イメージした主に。

人を呪わば穴二つの所以はこのことだったのだと、私もこのエネルギーの性質がわかってから納得した。

それまでは人を呪うと言う醜い心根を神様に厭われ、

罰として同じ呪いを返されることか、と思い込んでいた。。。

 

 

1日の仕事を終え、ゆっくりできるであろう時間、

休暇日など、のんびりするなり、

何か楽しむなりの予定にときめいていれば波動は高まるのに、

嫌な人、嫌な出来事の方に自身の時間と引き寄せ能力を使い、

必殺仕事人を求めてネットのスピリチュアリストの間を彷徨っていては、

波動は下がる一方である。

幸福に暮らしたいはずなのに、逆効果すぎて切ない。


そんな勿体無い状況になられて抜けられないでいる方を、

お助けしたくて、エネルギー調整をさせて頂いめいるけれど。


効果があったと、とても喜んでくださったあと、

もういっそ全ての嫌な出来事とのエーテルコードをカットし、

何も嫌なことのない人生にしよう、という志のもとに、

絶えず身の回りのマイナスを探し始めてしまわれる方の、逆効果ぶりも苦しく。

それはマイナス召喚している状態。

自分にはマイナスがいっぱい!と高らかに高次元にリクエストし続ける

不運好き、というキャラになってしまわれるので、

普通にしていて思い出さないことはそのままでいいんですよ、とお伝えしている。

内心、不安についてスピリチュアリストに相談し続けていたい方には

つまらない助言のようではある。



ふと暇になった瞬間には、

自分を心地よくできる人でありたい。


マイナス感にフォーカスするより、まず自分を労る方に時間とエネルギーを使いたい。


美味しいものを食べたり飲んだり、ゆっくり入浴するのを先にしてもいい。。

嘘でもいいから、おまじない程度とでも思って、

塩とお酒をちょこっとお風呂にいれてこれで厄が祓えたということにしたり、

いい感じの入浴剤もたっぷり使って癒されると感じてもいい。

好きな運動、あるいは好きなゴロ寝でもいい。

その程度のことでいいのだ。

 

我を忘れるほどの趣味とか推しがなくても別に構わない。


当たり前だが、心と体は連動している。

体が気持ち良くなってしまえば、心シンプルに上がる。

波動が上がる。

波動と運気は比例するから、

こだわっていたマイナスを手放し、忘れた頃、

案外、現実はうまく変わっていたりする。

自分は不運が好きだ、と運命に信号を送るのをやめてる間に、

自分にとっての好環境へと整ってゆくのだ。

 

楽に生きて良いのだ。

楽してもいい。

誰かや何かに自分を搾取されるのはやめよう。

せめて自分の思考くらいは。

 

 

 

そんな私の最近のときめきの一つ。

(暇がほとんどないです。買い物に行く時間もない)

ディズニーストアでのお買い物は、届けられる箱も可愛くて楽しい。

 

自分で買っているのだが、

まるで素敵な誰かから自分へのプレゼントが届いたみたい。

 

来年の、プライベートタイム用ダイアリーを購入。

一昨年から私はウィークリーブロックタイプの手帳が気に入っていて、

ディズニーストアのそのタイプの手帳が一昨年はとえも使いやすかったので、

今年も、またディズニーストアで買おうと決心。

キャラクター版と、美女と野獣版とで悩んだけれど、

 

しおり紐のこのチャームが決めてでクラシックディズニーのキャラクター版に。

 

見開き2ページで1週間分のダイアリー。

見やすく、使いやすくて、このタイプが手放せなくなった私。

基本的に書くことは好きだけれど、日々の疲れもあったりするので、

日々の記録は箇条書きに、と決めたら、より一層描きやすくなって。

 

フリーページも可愛い。

マスページも助かります。

ちょちょっと図面を引きたい時もあるので。

 

ディズニーストアが近所にあるわけではないので(電車で15分は私にとっては遠方に当たる)

もっぱらなんでもオンラインショッピングなのだが、

送料がかかっていやんなのですね。

実際に自分が行って買ってきたとしても案外往復の電車代と何よりかかる時間を思えば、

送料くらい安いのだけれど、

わかっていてもついつい、送料無料になる何かが欲しくなる。

それで今回値段合わせに心惹かれた品を二つ購入。

一つはこのルシファー、シンデレラの継母トレメイン夫人のペットの猫ちゃん。

 

この意地悪そうな顔とハンカチからはみ出したふさっとした尻尾がたまりません。

ていうか、全体的にこのデザインが好き。

 

そして、この可愛い絵本図鑑を購入。

 

 

小さなお子さん向けのものとは思いつつ、

絵本全般が好きな私とムスメのために購入。

可愛くて楽しい。

いろんなディズニーの物語の世界をガイドしてくれる一冊。

 

少し時間に空きがあるとき、ぽーっとお茶を飲みながら、

目で見て楽しむ本や画像は心を一時、違う世界に遊ばせてくれる。

そんな気分転換もまたよし。

 

一生懸命働いて、帰ってきても家事をして、

お風呂に入ってご飯を食べて、洗濯をして、

家族のなんやかんやに時間を費やしたら、

もう余計なことを考える暇もなく眠くなって終わる私。

でもこんな流れがバリアかもしれず。

 

そして今より時間ができたら、

楽しみにしていたいろんなことをしたくてたまらないから、

それはそれで忙しくて、

マイナス探しをしてる暇はなく。

ちょこちょこ運が良いことがあるのは、

いい意味での忙しさがあるからかもしれない。

 

 

イベントバナー

気温が20度台に下がると予報されている日を楽しみに、

とにかくその日までは頑張ろうという感じで生きてます。

 

ちらりと右端に写っているのはムスコ。

彼の行手を祝福してくれるかのようなこの光が嬉しい。

 

涼しくなる季節が楽しみ、週末のお休みの時間が楽しみ。

私の日々はそんな小さな楽しみで溢れているのだけれど、

その中でもふと、暑さ逃れに彷徨い込んだ喫茶店の

冷たく甘いカフェオレにすごく幸福を感じたりする。

ムスコとオットのヘアカットが終わるのを待っている時間。

まだまだ熱波ギラギラ、高温多湿の商店街を歩いて行く人々を

路面に面した涼しい窓際の店内から眺めていると、

結構な人と目が合い、

そしてそのうちの何人かは行き過ぎかけて戻ってきて入店してくる。

よっぽど私が心地よさげに見えたのでしょうね。

もとより招き猫体質。

ガラガラだったお店があっという間に埋まった頃、オットとムスコが迎えにきて、

カフェオレも飲み終わる。

 

もうそろそろ暑い暑いという言葉はつかいたくないものね、

と思いながら、

艶やかさにつられて思わず購入した素敵な団扇が届き、ご機嫌に。

 

中華なお姫様のよう。

 

元から大の刺繍物好き。

 

房の飾りに白い蓮の花の石。

 

姫すぎて素敵。

冬になってもお風呂上がりの蒸し暑さの一瞬に使ってみましょう。

 

 

息子が以前通わせていただいていた就労移行施設で4年ぶりの秋まつりがあり、

親子で楽しい時間を過ごさせてもらった。

いろんな懐かしい人たちに会えてムスコがとても嬉しそう。

別に普段そんなにお友達を求めていない私ですらも、やっぱりなんか嬉しい再会があり、

元気なことを確認しあえて気持ちが明るくなる。

程よい距離が人との関係には必要だと本当に思う。

(こってりは要らない・・・)

 

知的障害ある方たちが作った可愛い石鹸。
台所用とのことでキッチンに置き、料理中の油っぽい手を洗ったら、
肌にとても心地良くて嬉しかった。
これまた使いたい。
作業所にお邪魔して直売をお願いするのはご迷惑かな。

image

この写真の中の片栗粉と、マッシュポテトの粉末も素晴らしいのだ。

前に売られているところで扱われなくなっていたので

ここで会ったが100年目とばかりに普段どこで入手できるかを聞き出したりして。

日常のちょっとしたもの、

なるべくそんな福祉施設さんの製品を買っていこうと思うのだ。。

全然無理しているわけではなく、

実際、美味しいパンとかクッキーとか、

すごく素敵な手織物のバッグやペンケース、革細工のものなどもあるから、

見ると単純に欲しくなる。

 

 

先週の打ち合わせでついに、

オット実家の海辺の町に立てる小さな家のデザイン全てが決定した。

外構のイメージが固まって、前からちょっといいなと思っていた門扉を選定。

フェンスもそれにつけるアクセサリーも決まり、

私、オット、インテリアデザイナーのSさん、外構担当のAさんも納得のうちに

話し合いを終えることができた。

最初に望んでいた以上の夢がぎっしり詰め込まれたものが、

半年後には建つみたい。

 

予定ではあと4、5年、東京と行ったり来たりで暮らす予定だ。

ということは東京の借家の家賃ももちろんあるわけで、

それは今よりずっとお安くしないとやっていけない。

荷物は二つの家に半分半分、だから東京の家の広さも半分にして

家賃も半分こ・・・と行きたいところだが、これがとても難しい!

長年住んでいる今の町で、しかも駐車場付きでなんて難しすぎる。

すごく馬鹿だとわかっているのだが、

家族全員ものぐさで駅から10分以上の遠さには難色を示す。。。

あまりにも条件が図々しくて、恥ずかしくて、不動産屋さんにも言い出せない。

しかしこんな時こそ引き寄せの力を使いたいではないか。

 

現実をしっかり把握する。

実際に相場が如何程のもので、自分にできることは何かと考える。

不可能に近いとわかってがっかりする気持ちは受け止めるが、絶望はしない。

誰かや何かを恨んだりしたい。

その上で希望は捨てない。

諦めず探しつつ、とりあえず、まいいか、と問題を横に置いておき、

日々をなるべく楽しく心地良く過ごす。

こうなるといいなあというイメージはその心地よさの中でふわん、ぽわんと空想する。

 

そうしてまさかの好物件との出会いが起きたというミラクル。

 

いや、最初は一回断った。

なんと言っても築55年・・・過去、賃貸してきた中でも最高に古い。

(オットの実家はそれ以上だけれど、だからこそ今度建て直すわけだし)

だからこその値段なんだろうなあと恐る恐る内見に行ったら、

思っていたより綺麗、そしてレトロ可愛い。

見た目も古そうではあるが住宅街の中に馴染んでいる。

家の中の天井は低いが、水回りはまあまあ綺麗にされている。

実は私はDIYが大好きなのだ。

新しい家は綺麗で清潔でそれはいいけれど、

自分で手を入れる必要がないという面白味に欠ける部分がある、

と常々思ってしまっているほどだ。

(自分好みに新築するのはもちろんいいのだけれど)

驚いたのはまさに今の我が家の半分ほどの広さのはずなのに、

実際はそれ以上の広さがあったこと。

どうやら庭に一部屋増築されたようなのである。

アパートだが縦割り、メゾネットタイプ。

つまり今でいうところのテラスハウスで、

少しもったいない気がしたが、素敵な庭が駐車場に改造されている。

しかし、昔の人は小柄で乗っている車も小さかったのだろう、

車庫入れが我が家の車には難しい。

決めるなら2週間後からの契約になるとも言われ、

それで一度は断った。それが8月のこと。

 

でも、何度もあの昭和レトロな可愛さを思い出した。

期待以上の広さと、駅からの距離、駐車場付きの家賃としては

かなりのお得であることを考えても忘れ難く。

(家は古くても周囲の家々はお美しくて、眺める側として嬉しい環境でもある)

絶対すぐ誰かが申し込むと思ったのに、何故かずっと募集中のままのそこを、

今月初旬、再び内見。

そしてついに申し込みを決定した。

車庫入れは難しいが、できないわけではない。

慣れればスムーズになるだろうということで、我が家的障害がなくなったのだ。

 

そこからがミラクルだった。

オーナー様は相変わらず2週間後契約の姿勢とのことだったのだが、

すごく気の利く優しい不動産屋さんが間に入って仲介して降った結果、

賃貸契約発生からの2週間をフリーレントにしてくださるという。

そんなことあるの!?と嬉しいびっくりになってしまった。

 

というわけで来月中旬過ぎに引っ越しである。

同じ町内なので、フリーレント期間中に少しずつ荷物を運べるのが嬉しい。

田舎の家の方のローンが始まるのは半年先なので、

それまでの間は今よりガクッと下がった家賃の分を、

引越し費用として相殺することもできそうだ。

 

というわけで、またゆるっと引き寄せに成功したと言えるだろう。

 

光の魔法は、ゆるり、ほわり。

思い詰めずに願いを風船のように空(高次元)にとばし、

自然の気流にまかせること。

どんな経路や方法を使って、望んだ場所に到達するかは風任せ。

いずれにしろうまく届くと信じる。

そしてなんとなく行きたい方向に

自分でできる小さなことを積み重ねてゆくだけでも、

願いが現実化する可能性はあがる。

今回の場合でいうと私が日々なんとなくしていたことは。

住宅情報サイトに希望条件を登録し、通知が来たらざっと目を通す、

オットと豆に相談し、これはと思う物件については早めに不動産会社などに連絡し、

予約をいれて内見した、ということだろうか。

希望の中のどれが叶えば一番自分や家族が快適かを考え、

譲れないものは家賃としたら、

最初は到底希望の物件はでてきそうにない有様だった。

完全なる夢、絵空事の世界だった。

でもまずまず叶ってほっとしている。

 

 

光の魔法をいつも信じる。

夢ばかり見ているわけではないけれど、現実だけに押し潰される気もない。

 

中秋の名月の日、夕暮れの空にもう、

信じられないほど美しい月がぽっかりと浮かんでいた。

その夜は普通にiphoneのカメラを向けると、

まるで昼の太陽を写したかのように空が輝いて見えた。

 

不思議な雲の層に取り巻かれて輝く夜の女王のよう。

 

カメラの明度をさげていく。

月との対話の時間。

 

からの翌朝の光。

 

本当の満月の夜。

 

楽しく過ごそう。

そう思うことから光を呼ぶ魔法は始まる。

 

 

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キラキラスピリチュアルカウンセリング承りますキラキラ

 

        †月視†プロフィール写真

私が実際に購入して、

愛用している品々をまとめてみましたリボン

 

私のスピリチュアル始まりの物語・・・お暇ならお目通しくださいませピンク薔薇

 

 

堂本剛さんが前につけてらした冠番組のタイトルが好きだった。

お名前のあとの『正直しんどい』。

なんと素直な。そして色々内身を含んだネーミング(と、私には感じられる)

関西人がヘタれる時、思わずこぼす言葉がこれ、

「正直しんどいわ・・・」

なのだ。

 

愚痴をこぼしちゃいけない、ネガティブな言葉を言ってはならないと飲み込んでいると、

それがとても苦しく、自分の中のネガティブが深まりやすい。

そのダークなものをさらっと吐き出せる魔法の言葉関西弁のこれには、

瞬時の息抜き、風通し、ザザッと溢れる中身をこぼして一瞬、少しでも容量を空ける・・・

そんな力があると私は思っている。

 

正直な本音、相手に何かのフォローやサポートをそんなに期待しているわけでもない、

でも現状の自分の一杯さ加減を伝えておく。

それだけで良い。

そんな感じ。

 

そんなことで風と光は通るんだよね。ちょっぴりと。

そのちょっぴりが結構重要なのだ、と思っている。。

 

日々の光は十分に、いつも身の回りに溢れていると思うのだ。

時にこぼれる「しんどっ」

でも呟いた後、がんばれている自分がいる。

非常に不思議な理不尽な目に合う、アンラッキーーと思っても、

くるっとその目が裏返って、ラッキーになる。

やっぱり日々はそんな感じだ。

 

オフィスの窓はいつもロールブラインドが閉じられていて、

空は全く見えないけれども、時折トイレに行くついで、

廊下の窓から外を眺める。

晴れて光が溢れていても、雨雲がどんより垂れ込めていても、

空はいつも綺麗だと思う。

 

少しの贅沢。シャインマスカットさま。

家族の笑顔に心が浮き立つ。

 

月ごとの、美しい桜神宮様の御朱印。

 

盛夏の空と咲く花の鮮やかさも

 

しっとりとした趣と

 

実りを感じさせる9月の御朱印とか。

なんて素敵。

私は毎年、桜神宮様専用のご朱印帳を用意し、

月ごとに伺って御朱印をいただくのを楽しみにしているのだが、

時折それらを眺めると、本当に季節の移ろいを美しく愛おしく感じられて、

とても心が豊かになる。

 

忙しいけど嬉しいことが多い。

 

たまには大都会に出たりする。

 

林立するビルの機能美。

 

この人工美にもまた神は宿る。

 

もちろん美味しいパスタにも!

 

高層ビルのエレベーターのこんなボタンにもときめきますよ。

 

新居のために夫婦で巡ったキッチンのショールーム。

鮮やかな色になってしまったけれど、本当はもっと落ち着いた、

好きにならずにはいられなかったブルーのキッチン。

お値段最強。夢は見るけど手が届かないか〜と夫婦でため息をつくことさえもまた一興。

玄関ドアやトイレや門扉などなど、

実物を見て選んで楽しめるショールーム巡りはかなりのリュクスを味わえる。

こレは結構幸せの上の方。

 

疲れた会社の帰り道の空に励まされることも、

 

お土産のシュークリームにも

 

私の幸せは溢れていく。

 

いいんです、幸せのハードルは低くても。

いつも普通にまあご機嫌。

テンションは無理にあげないし、わざわざさげることもない。

 

真のポジティブとは

外的要素に「幸せにしてもらう」ことを期待しないこと。

 

そう、期待しない、のです。

 

だからがっかりしない。

むしろ上積みがあるとやけに嬉しい。

 

元々無いと思っているから

周囲の人や環境を特に見上げも見下しもしていないので、

気持ちは大体ニュートラル。

 

その時点からの落ちはあまりないし、

あっても「きたか」と対応できる自分でいる。

なので「無い」が普通に嬉しいし、

上がることがあるとかなり幸せ。

 

スピリチュアルを学んでいるうちに自然にそんな感じになってきて、

生きるのがとても楽になった。

嫌なことは自分でなんとかするものだし、

できないならしょうがない。

他責に無駄なエネルギーは使いたく無い。

 

こうして日々は心地よく、過ぎていくもの。

願わくば、もう少し自分の時間を持てますようにと祈りながら。

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        †月視†プロフィール写真

私が実際に購入して、

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私のスピリチュアル始まりの物語・・・お暇ならお目通しくださいませピンク薔薇

 

 

少し前のことになるが、家族で映画を観た。

 

ブログを通じて、おすすめだと教えていただき、

初めてこの作品に触れたのがもう10年以上前になる。

物語は化け猫の祟りを扱ったもので、その発端は非常に胸が悪くなるような事件であり、

けして気持ちが明るくなるようなものではないのだけれど、

その世界観と主役「薬売り」のたたずまい、台詞回し、

絵柄、色彩の魅力がとてもよかったので、

何年も経ってから成長したムスメにも観てみるよう勧めたら、

これが見事にムスメのストライクゾーンだったらしい。

熱狂的にハマりにハマっていて、この映画のこともかなり前から楽しみにしていたのだ。image

大奥を舞台とした「モノノ怪物 唐傘」だが、やはり映像が素晴らしかった。

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このシリーズは終始一貫して人の心の闇が人を害する魔となってゆく過程を描くものなので、

平たく言えば全てドロドロしている。

そのデフォルメが極端でどこか滑稽味もある。

怨嗟の強さ、圧をひしひし感じつつ、

気がつけば物語の中の「薬売り」のように、わずかに笑みたくなってしまう。

 

美しい絵柄だった。

スクリーンで観るに値するなあと素直に感動した。

薬売りの声が櫻井孝宏さんから神谷浩史さんに変わられているが、

それでも良い。

よかったから、

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お高いのにグッズ購入。

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通勤用バッグにつけようかと本気で思うアクリルキーホルダー。

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魔除けになりそう。

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ルームキー型のアルクリキーホルダー。

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色使いが好き。

 

人の情念・怨念が妖(あやかし)となり、人を害するモノノ怪になる。

それを斬れるのが薬売りが持つ退魔の剣なのだが、その剣を抜くには、

「そのモノノ怪の形、真、理(ことわり)」を明らかにする必要があるため、

「お聞かせいただきたく!」と薬売りが真実の告白を関係者に迫るシーンが

毎回見どころである。

 

その通りよ!

と今回初めて、映画を観ている最中に、思わず一人肯いてしまった。

(なんなら拳も握っていた)

 

スピリチュアル・・・と聞くと一種、特別な空気を誰もが一瞬は感じると思う。

それは純粋な興味であったり、

怪しさであったり、詐欺、なんて言葉も浮かぶかもしれない。

怖い、と感じる人もいそうだ。

 

 

私は、新興宗教によるたくさんの事件が世間を賑わせた頃の記憶が強くある世代なので、

困った時に目に見えないものにすがるのは危険、

そんなことがあると信じてしまうことがやばい、と本気で思っていたクチである。

 

私のスピリチュアル始まりの物語・・・お暇ならお目通しくださいませピンク薔薇

しかし、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もある。

現実的努力のできることを全てやったらもうあとは祈ることしかできない・・・。

そうなってしまった辛い時に、ふと、目に付く本やネットの記事を読むようになった。

それによって父の癌は治ったり、

ムスコの障害が消えたということはなかった。

が、何かが私の中で変わってゆくことが感じられ、

幸福感度は確かに大きく上がったのだ。

そして環境もよくなってきて、精神的にとても楽になってきた。

なので引き続き、詐欺的なものに警戒心をだきつつも、

用心深くその道を辿りはじめたのだ。

 

風水大ブームが来て、神社仏閣参拝ブームは

今も継続されているかなと感じるが、

この二つで、随分人は視えない力の効果を認識、

受け入れやすくなったのでは、と思う。

 

それよりもより深く、

多くの人が本格的にスピリチュアル活動やってみよう、と発起するのは、

自分の環境がうまくハマっていない、

回っていないと感じる時であることは確かかもしれない。

そして圧倒的に、誰かに変わって欲しい系願望の方も多いかなと推察する。

 

つまりはそれは、モノノ怪でいうところの

「情念」が湧いてとまらぬ状態だから、だろう。

ひどいことを言われたりされたり、嫌な空気で辛い時には、

そう言う気持ちになるのも無理からぬこと。

仕方ないことではある。

だからそれは別に否定しなくていい。

現実なので(自分のそんな感情を、マイナスだからと否定すると、

それがまたネガティブマイナスの連鎖になるので)

これ嫌だ、なんとかしたいと思う気持ちでいいのだけれど。

 

自分に嫌な態度をとるあの人、

自分の嫌いなものを好きだと我が子、

自分だけ報われていないような不公平な環境・・・。

など、日々、悶々と繰り返し思い詰めているので、

当然それがますます引き寄せられてしまうという仕組みを理解すれば、

まずその流れを止めようと思えるだろう。

そのように思考の流れを変えていくのがスピリチュアルの基盤なのだと思う。

 

つまり、誰か悪い人を変えるのではない。

自分が変わる。それが大事。

ここでがっかりする人、多いと思うけれど(笑)

 

実際、これで相当運気は変わる。

自分がそうだったからすごくわかるし、実感がある。

なので人にも変わってみたらいいよ!とお勧めできるし、

できたらお手伝いもさせてほしいと言うことで、

敬愛するhiroスピさまに学んだ方法を使って

ココナラでお仕事をさせていただいているのだが、

 

        †月視†プロフィール写真

せっかくのご依頼でも、

何も情報をくれないと視にくい、感じにくいのであります・・・。

 

私は、お申込者様に、

本名でなくてもいい、ご自身も相手の方のこともイニシャル、

ニックネームでいいですよ、にしている。

でも、性別と大体のご年齢もお願いしている。

そして簡単でいいから、何がどうしてどうなのか?を

お聞かせくださいとお伝えしている。

 

スピリチュアルというと怪しいし、頼むことも勇気がいるだろう。

私もかつてそうだった。

ましてや本名、事情を出すのは生々しくて辛いだろうことも理解はできる。

だからこそ、簡単でいいから、

「職場の同僚だけどなんか嫌、もやもやする」

くらいの情報は教えてねと切に願っている。

が、ろくに何も教えてくれない方多い・・・。

イニシャルとかもないのは言語道断として、

性別、年齢すら、入力してくれない人、ちょいちょいいらして。

まして何がどうしてどうなのか、はご説明いただけない。

いいけど、効き目半減ですよ、

私なりに精一杯やりたいから、

「形、真、理(ことわり)お聞かせ願いたく!」

アニメ「モノノ怪 唐傘」の薬売りさんに

予想以上に感情移入してしまった、

という笑い話でしたニヤリ

 

映画の後にいただいた、パスタのお店でのランチ。

激ウマでしたわ〜ラブラブ

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でもつくづく・・・人間関係で悩むって、本当に辛いことだなと思う。

 

せっかくのプライベートな、

世界で一番安心安全で好きな場所であるはずの家で、

何もないと言う素晴らしい時間に、ふと思い浮かべ、

そのまま悶々と考え続けてしまうのが嫌な人のことだなんて悲しすぎる。

 

もっと素敵に有意義に、

自分のためにこそ、時間と心のパワーは使いたい。

自分を癒し、磨いてスキルアップした方が、

断然、幸福になる確率が高い、なんてわかり切ったことだもの。

 

でも大抵は前向きなことにより、後ろ向きなことの方に、

人の心の無意識は向かってしまいやすい。

そうして知らず知らずのうちに、後ろ向きな予感を現実に引き寄せてしまう、

悪循環。

 

辛くて、でもその辛さを現実的に変える術がみつからない。

だからスピリチュアルに頼りたい、それはとても理解できる。

 

が、スピリチュアルは魔法では無いのだ。

いや、私的には結局究極魔法だと思っているけれど、

それは魔法としての力を発動する条件がそろえば、の話なので、

スピリチュアルの入り口に立つ時にはまず了解しておかねばならないことがある。

 

・縁切りできない

・呪い(美しく、願い、と言ってもいいけれど)意味なし効果なし

・他人の心は変えられない

 

という三大心得。

人間関係で苦しんでいる人が、

しょっぱなからいきなり、手放してもらわなくてはならない。

 

さらには、

何も動かず、ただ待っているだけでは、

祈っても願っても状況は変わらいという真実もある。

これもスピリチュアルに奇跡を求める人には苦い言葉かもしれない。

 

スピリチュアル依存者に多いのは、

自分は動かず騒がず、周囲よ変われ系でいらして、

スピリチュアリストはその念力で、その願望を叶えるお手伝いをする・・・

という幻想をお持ちだなと感じられる。

残念ながらそれも無いので・・・。

小さくでもいい、

現実的刺激を自ら自分の人生に与えてほしい。

 

「そういう言い方や態度は嫌なのでやめてください」

と嫌な上司や先輩、時には後輩、部下、同僚に言えて、

相手がはっとして、恐縮し、謝ってくれたらどんなにいいでしょう。

病気になる程苦痛なので配置を変えてほしい、と

組織上部に相談しなくても、ひたすら思い、念じることで、

不思議な力が働いて変えてくれたら、

大ごとにならず、普通に毎日をおくれるようになる・・・

そんな夢も見ていたい。

とてもわかる。

 

でも。

思うだけでは変わりません。

これも残念。

 

経験・体験したことのない、嘘のような幸福を思い描く力より、

過去に体験した嫌な記憶の再現の方が簡単で、

だから当然、その強い方を潜在意識は高次元にオーダーしてしまっているし、

高次元はするするっとそれを叶えてくれてしまう。

 

だからこその思考の方向転換。

情念・怨念の泉を自ら埋めて、枯らしていかないと、

正直、どんなに好きの真反対の相手のために時間を潰しても、

よくなることは何もなく、

自分だけが低波動の連鎖引き寄せに苦しむだけになりやすい。

勿体なさすぎる。

 

自分を気持ちよくさせる。

お風呂・食事、運動、睡眠。

そのほか各個人にあった快楽諸々。

自分の波動を上げるのは別にそんなに難しくない。

気持ちよくて悩みを忘れかけたら、もうそのまま忘れてしまう。

この仕打ち忘れない、と誓っても、

その想いはどこにも何にも効果を及ぼさず、

ただ高次元が同じようなものを引き寄せてくれちゃうだけなので、

忘れた方が断然いいのだ。

そのために自分を心地よくしましょう、心地よくなりましょう。

 

何で嫌なやつのために私の時間と心を使わなければならんのか。

私の心は前をゆく、と思った瞬間から運気は変わり、

風が流れ、道が増えて、現状は変わる。

 

アラジンのジーニーにも

ハリー・ポッターにも嫌な奴の性格までは変えられなかった。

嫌な奴は嫌なまんま。

でも彼らは自分が変わることにより、行動も起こし、

周囲もそれに応じて変わっていっている。

そして嫌な奴らより遥かに先に、良い場所へと

好きな人たちと共にたどり着いていて、

それがスピリチュアルの流れなのだと私はなるべく多くの人にお伝えしたい、

と思う次第で。

 

私の特技はそんな気持ちの切り替えと、

現実的行動を起こす気持ちを上げていく

お手伝いをさせていただくこと。

 

 

 

 

 

 

スピリチュアルの入り口をくぐって、効率よく幸せになれますように。

 

薬売りさんは退魔の剣で「モノノ怪」を斬る。

私は「モノノ怪」を分解させていただく。

分解されたそれはきらきらと浄化の渦へと飲み込まれてゆく。

スピリチュアルは感動。

必殺仕事人ではありませぬ。

そんな形でよかったら、ぜひ。

 

 

 

 

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キラキラスピリチュアルカウンセリング承りますキラキラ

 

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私が実際に購入して、

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私のスピリチュアル始まりの物語・・・お暇ならお目通しくださいませピンク薔薇

 

 

 

先日、テレビで占い番組を見ていたら、

六本木ヒルズのすぐ近くに、とても有名な神社が!というトピックスを掲げて、

出雲大社東京分詞様をご紹介されていた。

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(端っこが少し破れてしまっていてすみません・・・)

テレビの力はすごいので、今後参拝の方が溢れるでしょう。

一足先に伺わせていただいて本当に良かった。

 

出雲大社の本社と同様のものが売られているというお守りの中から

私が授与していただいたものはこちら、カードタイプのもの。

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まさに、古事記・・・と感じる(古墳時代?)ご様子が、美しくて素敵。

適齢期の娘のためにと選んだこちらは縁結びのもの。

このご様子は大国主尊様と、かの素戔嗚尊様の姫君である

須勢理毘売様でしょうか。

 

幼い頃、因幡の白兎のお話と、それに続くこのお二人の出会い、

大国主命さまの実力を試される素戔嗚尊様の厳しい無理難題、

陰でそっとお助けする須勢理毘売様のお話にときめいたもの。

思えば結婚して7年間子供を授かれなかった私とオットが

たまたまの通りがかりの出雲大社様に(オットの転勤で広島に住み、

そこからの仕事で本当に車で通りかかっただけ)

参拝させていただいたのが遥か昔。

当時の私は神社とお寺の区別もついていないというほどの不心得者。

オットも同じく、という塩梅でそんな馬鹿若夫婦でも知っている、

有名どころにこれちゃったから、これはぜひ子宝をお願いしようと

オットと二人で手を合わせ、可愛い娘と息子も欲しいですと祈らせていただいた。

当時結婚5年目となり、子を持つことが私の一番の夢だった。

はたして翌年、忘れた頃に(当時はすぐ忘れていた)妊娠、翌々年ムスメ誕生。

さらに2年後ムスコ誕生。

あれ?これはあのときのお参りの賜物?ご利益だった?と思い当たったのは

非常に時が流れてからで、

いや、そうだったよ、間違いなく!

と、確信したのはほんの数年前だ。

愛しいムスメとムスコを授かったお礼の

お参りができていないことが気になっていたので、

せめて東京分詞様にお参りできたことはとても嬉しかった。

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カードの裏がまたとびきり有難い感じで素敵。

おかげさまで授かったムスメに

今度はまたぜひすてきなご縁を頂けますように。

 

 

そんな私が考える運・不運のお話。

 

アンラッキー、と時に思うことがある。

しかし日本で古くから「災い転じて福となす」と言われているように、

不運だったと嘆くことなかれと思わずにいられない出来事も、

私にはちょくちょくある。

 

例えば、先週のこと。

常時服用している薬がなくなってきたので、

主治医を受診しなければならないと思い、

金曜日夕方、退社してすぐの時間の予約を取ろうとがんばったのに、

なぜかできない。

スマホで予約しようとサイトを開き、診察券番号とパスワードを打ち込む刹那、

何か家族に緊急を訴えられて急いでその対応に行ったり、

自分自身が、料理の途中や見たいテレビ番組にふと気を取られたりして、

2、3回予約をしかけては中断した挙句、結局できずに終わってしまった。

何をやっているんだろう、私は、と、とてもがっかりしたのだった。

ところが金曜日のその夕方、私の所属する部署でありえない問題が突如勃発。

皆で力を合わせて全力で取り組むことで無事にその問題をクリアできたのだが、

病院の予約を取れていなかったことにどれほど救われたかわからない。

予約が取れていても私は、きっとそれをすっぽかして皆と共にいたけれど、

その代わり信頼する先生や看護師さん達に申し訳なくて胸は痛み、辛かっただろう。

うっかりそのことを口にすれば、同僚や上司皆に、

ここはいいから帰って、病院に行ってと言われて、とても困ったことだろう。

定時に退社させられて、病院に行けてもちっとも嬉しくなれなかったはず。

ああ、本当に予約が取れていなくてよかった、これが正解だったんだと、

清々しい気持ちで帰りながら、高次元だなあ、と面白くて

驚きつつもニヤニヤしてしまった。

 

そしてまた数日前の朝のニュースで、

オリーブオイルの価格が高騰しており、入手が難しいという情報を知った。

お米と同じくなぜ突然?と驚いたのだが、

もっと驚いたのは、たまたま私がついうっかり、

大容量のオリーブオイルを少し前に購入してしまったという事実だった。

その時の私はネットで品番確認を怠り、

通常なら買い求めるはずもない巨大ボトルを、セール価格で入手したところだったのだ。

その間違いに気づいたときには「私ってばか・・・」と絶望したし、

家族にも、も〜、なんて笑われていたのだが、

ニュースを見ていて、皆で、「わ、間違ってよかった!」と言い合った。

 

振り返ってみれば、この手の流れが私には多い。

 

昔、好きな部署に配属されず、心底がっかりしていた時期がある。

けれど、そこで学んだことが後でとんでもないほど役に立ち、

それなしでは運命を切り開けなかったんだと今、わかるようになった。

当時はアンラッキー感の極みだったのに、とか。

 

電車に乗り遅れたおかげで人身事故により止ってしまって、

1時間近く缶詰になる、という状態を回避できたこととか。

 

待ちぼうけさせられている間の暇つぶしに買った宝くじが

数万円、当たったこととか。

 

鍵をなくして外出しそびれていたら、

思いがけず体調を崩して早退してきた家族を迎えて、

気の進まなかった外出を堂々とキャンセルし、

即座に家族の看病をできたこととか。

(直後、鍵はソファのクッションシートの隙間に落ちていたのが発見された。

バッグのポケットから落ちて入り込んだものらしい)

 

結婚して35年、初めてオットが車をこすり、

驚きがっかりのボディの傷とテールランプの破損に落ち込んでいる彼を慰めるために、

気晴らしにと好きな車のショールームに行ってみたら、

前から欲しくて憧れていた車種との運命的な出会いがあって、

買い替えられてハッピー、とか。

(長年乗っていた破損した車も、予想以上の高値で下取りしてもらえたのだ)

 

転居しても近いから今までの電話番号を変えずに済むと信じていたのに、

微妙な差で区域が違うから、番号変更になると言われ、落ち込んでいたら、

次に割り当てられた番号が、NTT担当者も「この仕事を始めてから初めてです!」と

驚き興奮されるようなすごい番号になったこととか。

 

本日だと、いつも必ず近場の時には買っている

大好きなミュージシャンのライブのチケットを予約したつもりができておらず、

行けなくてがっかりしていた・・・ら、

台風の影響でそのライブが中止になってしまった、

買っていなくてよかった、振替日の方は買えるかも、とか。

 

全部最初はアンラッキー、とため息がでる。

そう感じることは仕方ないのだ。

無理にその感情を押さえ込むのもよくはないから、

素直にをれを感じていい。

でも、きっと次はいいことあるよね、と

気持ちの上書きをすることは、けして意味のないことではない。

そう実感している。

 

たぶんそれくらい、潜在意識の指令を受けた高次元の仕事は速やかで、

強い効果を持っているのだ。

潜在意識が認識するしっかりとした印象を、

高次元というエネルギー集合体は、

「はい、どうぞ」と引き寄せてくれてしまう。

私のように単純で、些細なことで幸福度指数が上がる馬鹿ほど、

運は不思議にいいのかもしれない。

 

だからネガティブな感情を心に囲い続け、

常に追想、意識していることはよろしくないのだ。

そんな意識はなるべく早く更新するに限る。

なんでもいいから取り合えず、自分を慰め励まして気分を上げて、

上書きしていこう。

ちょっといいものを買ってもいいじゃない。

おいしいものを食べたり、飲んだり、

それだけでも自分の体が喜び、魂も連動して喜んでいる。

シャワーで済ませず、じっくりお風呂につかるのもかなり良い。

嘘でもいいから縁起かつぎにお塩と清めのお酒をちょっぴり入れて、

これでもう大丈夫、とセルフ浄化を決め込めば、

それだけでもう気分は上がりかけている。

 

つまりいつもなんとなくツイている状態でいるためには、

経験した嫌なこと、不快な人の記憶を何度も再生しなくて済むように、

さっと自分の好きなことに気持ちを切り替えること。

その一瞬だけでもいい、気持ちを晴らすということを繰り返すこと。

”気晴らし”は”気祓し”、

誰もができる簡単だけれど効果大な運気アップ方法なのだ。

どんなに小さなことでも、

その楽しさ、心地よさの体験・感覚が、心と記憶の上書きをする。

潜在意識が「あ、楽しい、こう言う感じが好き」と

大きなエネルギー集合体へと働きかけてゆくように。

 

その感覚に、自分でケチをつけてはいけない。

「今は楽くても、どうせ夢から覚めたら現実は・・・ってなるんだろうな」

なんて思っていたら、本当にそうなってしまう。

先のことを考えすぎない、深追いしない。それも大事。

単純に、今を楽しみ、

「ま、いいか」と心のハンドルを切り替えながら、

なんのかんので自分の行きたい方向に進んでゆくよう

日々意識すればいい。

 

とはいえ。

気分が真っ暗になりすぎ、

塗りつぶされてももうおしまい、という気持ちになることもある。

そうなったらもうなかなか変われない、と言うわけではない。

それも私は知っている。

 

大きなところではなにより、

ムスコの障害が分かった時の衝撃の記憶が生々しい。

 

可愛い息子が自閉症とわかった当時の絶望は本当に深くて、

この世の全ての色が消えてしまったように感じられた。

もう本当の意味では幸せを感じられない、2度と本当には笑えない。

その当時、心底深く、私はそう信じたのだ。

 

けれど、そんな中にも光は射した。

潜在意識のどこにも不幸しかなかったと思う瞬間ですら、

光は届き、見えなくなった道を照らしてくれた。

まるで足元が一歩、また一歩と光る石になって、

私を暗闇のトンネルから連れ出してくれるかのように。

いろんな人、環境との出会い。

マイナス意識でどっぷりだったのに、どうして光はきてくれたのか。

たぶん、幸せをあきらめない心がよかったのだと思う。

 

そんなだから、

日常生活レベル程度のアンラッキーなんて

楽勝でエネルギー調整できるに決まっている。

 

大丈夫。

なんのかんので幸せになる。

それが自分の運命だから、と。

そう高次元に信じさせよう。

そしてきっとその通りになる。

なっている。

 

 

 

気がつけば、わずか10日あまりの間に

酷暑と台風、地震、大雨、雷、という一般的災禍と、

我が家的には水道代の高額請求から始まったトイレの故障発覚とその修理、

ムスコの新たな就労先見学、オットのスマホ故障といろんなことが相次いでいる。

それでも元気な自分と家族はなんとおめでたいのだろう。

しみじみとありがたいと思いながら美味しいお酒を飲む幸せ。

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やっと見つけた我が故郷、神戸は灘のお酒。

美味しさに涙が出た。

 

 

医者の不養生でないけれど、

スピリチュアリストの不養生をたぶん私はやってしまっている。

「忙しいのが好き」というブロックが入りっぱなしで、

わかっているのに置き換えるという調整を自分に向けてやっていないのだ。

だから時間にヒーヒーと追われ、

仕事と家事と家族の相談、ココナラのお客様のエネルギー調整対応だけでいっぱいの、

そんな日々に埋もれている。

「家族が私を頼りまくる→だから私は寂しくない→愛されている証」

みたいなブロックも入りっぱなしでどうもしていないので、

ここぞという時にまあ、家族話しかけられること。

家族仲良しでいつも団欒の時間が日々の中心にある。ありすぎる。

幸福なことだ。

でももう少し、自分時間も欲しいのだ。

切実に。

そんな希望にちゃんと向き合おうと思った。

 

まず、ココナラの対応可能数を思い切り減らし、

都合によってはまめに受付停止をすることにした。

自分を無くすと良い状態ではいられないから、今の私には必要な措置で、

もっと早くこうしてもよかったかもしれない。

そうすることでお客様にはがっかりされてしまうこともあるかと思うが、

私自身が疲弊したらお客様にも良い調整ができない。

誰も自分より疲れている人にヒーリングなんてして欲しくないよね。

不幸な人に運気アップをお願いしたりしないように。

(スピリチュアリストはまず自分が幸せであらねばならない、

と私は自己体験からそう思っている。

昔よく、非常な熱意で宗教に勧誘してくる人らが、

間違いなく自分より運気が悪く現実不幸で、

なんの効果も感じなかったので。

貧乏な人に金運アップを、

独り身の人に良縁祈願をお願いするのも同じ理屈でどこか変だと思うのだ。

むしろそちらに属性引っ張られそう)

 

 

私はものぐさなので、それほどどこかに出かけたり、

ましてや旅行や、贅沢な食べ物、品物を求めて出歩く行動も

ほとんど積極的には起こさない。

非常に小さな安らぎと楽しみごとの中に自分の魂の大部分を置いている。

でもそこが私にとっては広い世界で、味わいもとても深いのだ。

そんな楽しんだ記録をのこしていきたい。

(しかもオットが非常に行動力ある人なので、

こんな私なのに、その割には色々出かけたりもしてはいるのだ)

計画したこと、実施したこと、未来の夢も現実の結果も含めて全て、

記録するのが好きで楽しい。

心に浮かぶあれこれを自分で言葉や文字とし出していきたい。

アウトプットで心が浄化し、運気が綺麗に整理され、

新たな光と風のような波動が自分に入ってくる気がするから。

 

物心ついた頃からの文具マニアで、

小さい頃の行きつけの店は数件の文房具屋さんだった。

中でも手帳とペンなど筆記具系がものすごく好きで、

コレクター化してしまっていた。

日記はほぼ5歳、6歳の字が描けるようになった時からつけている。

(今思うと遅いのだが、当時としては早いと言われていた)

素敵なノートや手帳に書き込みたくて、字を覚えたと言っても過言ではない。

そんな私だから、

日記、手帳と聞くだけで胸がときめき高鳴るのは、

半世紀以上を過ぎた今も変わらないままだ。

 

今の時期「手帳会議」っていう言葉が私をとてもわくわくさせる。

来年の手帳をどうする?とあれこれ悩み、試行錯誤するという

一人脳内会議のことである。

Xなどで皆さんもそれを楽しまれている様子を伺い、

私も私もと一人共感しながら、ほう、どれどれ、と

他の方のおすすめ手帳を調べるのもまた楽しい。

そういう時間が自分のために欲しかったのだ。

 

良い商品はリピート希望の方がたくさんいる。

昨年、一昨年と私も非常に気になりながら、

その年その年で違う手帳を選んだために見送ったけれど、

やはりどうしても気になっている、というものを今年は一番先に購入を決めた。

 

ずぼらな私がなんと真っ先に仕事用の手帳を購入したのだ。

いえ、常々会社は辞めたい、家の中で働きたいと思っているのだけれども、

とはいえ、実際にそうするまでの間はやはり責任を持って向き合いたい。

100円の手帳で十分と思った私は良くなかったなと言う反省がずっとあるのが現状で、

多種多様な仕事の内容、覚えること、気にしておくことを記入していたら、

あっという間に4月始まりの手帳の余白は全て埋まってしまい、不自由している。

別のノートを継ぎ足すかと考えていたが、もう来年の手帳がで始めていた。

ちょうどこの時期から仕事も来年の予定が出始めている。

タイミングが合っていたので、今年は購入することに迷いなし。

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前から好きなラコニックの手帳。

中でもこれは、

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変形B6横型タイプなのだ。

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つまり、ぴよ〜んと横に長く開きます。

これが

会社のデスクのPCと私の間の隙間にぴったりすぎると思ってしまった。

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まさにそれを意図してデザイン、製作されたもののようで、

うまい!と昨年唸ったもの。

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中身のこの1週間見開き、すごく使いやすそうだし、

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マンスリーページも2ヶ月分を見開きで見られるのがとても便利だろうと

予想がつく。

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ラベルがついていて、表紙のラベルケース部分を入れ替えられるみたい。

しかも、マンスリーは9月始まりなのだが、

ウィークリーページはもう8月26日の月曜日から使い始められるのである。

つまり明後日から!

とても助かる。ありがたくて涙がでそう。

ウイークリーページは1日の予定や実行したことを

午前と午後に分けて記入できるようになっている上に、

その下に5mmマス目のメモ欄がある。

これがどれだけ助かることかと、あまりにも気の利いた作りがにくい。

色はブルーやグレー等、クール系、ラベルがないタイプもあり。

私はこのラベルありのデザインがキュートで好きだし、

淡い紫色が昔から好きな色なので、迷わずこのタイプを購入。

単純な私はこれだけで、仕事に対するモチベーションアップしている。

いつもなら週末、このまま時間よ止まってくださいと思うくらいに

月曜日なんかが憂鬱なのだが、なんか今、もうちょっとうきうきしてますよ。

単純な私は本当に便利。

 

 

 

と、仕事用の手帳で熱くなっている私だけど、

本来私は早く仕事を辞めてずっと家に居たいタイプ。

だからメインはもちろん日常の自分のためのライフログ。

疲れて全く書けない日もあり、そんな時の空白ページに

自己嫌悪した経験も過去たくさんあるのだけれど、

もう今は、そんな自分の心情も含めて全ての日記に愛を注ぐ。

かけない日にはスタンプ一個ポン、

シール一つペタ、でもいいやでやっていくことにしたのだ。

でもやっぱり記録愛好者として、

その日の自分の行動を一言なりとも書き留めたいなと思った時、

これがあるだけでもその私の思いは満たされるのではと気になっていた。

 

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日の長さを感じる手帳。

こちらは一昨年から気になって仕方なかったもの。

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開くとこうして、美しく、淡く色付けられた部分がある。

これが夜明けと日没時間の推移を感じさせてくれる部分なのだ。

白い部分が本当の日中、というものになる。

まさに「日の長さを感じる」手帳。

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それってとても素晴らしい、とただ思ってしまう。

しかも時間軸として書き込んでおければ

大味に「出勤」「帰宅」だけでも十分私の日々の記録になる。

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フリーページの他、

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朝昼晩のルーティーンの記録とか、

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季節ごとのルーティーンなども記入できるページ、

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季節を通した年間の予定表、

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3ヶ月単位の習慣チェックなど、

いわゆる付録、おまけページも他の手帳とはちょっと違っているなと言う印象。

表紙のカラーは白と迷ってやはりこのパープルを。

 

こちらは日々の記録を11月25日から記入し始めることができる。

 

 
 

 

こうしてまだ8月だと言うのに、早くも2冊の手帳を準備した私。

でも日々のスケジュール管理で持ち歩くのは絶対来年も羽海野チカ先生の

「3月のライオンダイアリー」だし、

溢れる想いをはきだす時にはほぼ日手帳のDAY Freeかなあと思っている。

トモエリバーというあの紙の書き心地と、薄いマス目が大好きなのだ。

普通に日付入りのものにしてもいいのだけれど、

時に私は1ページ以上わーっと書き尽くす時があるので、

そんな時は、わ、どうしよう、もうこれ以上書けない、と苦しくなる。

逆に全く書けない日もある。

なのでデイフリータイプが私には合っているに違いない。

サイズもかなり悩むところ。

本当は基本の文庫本サイズが好きだけれど、行った映画や展覧会、

動物園や植物園、水族館などの半券、

レストランのカードなどなど気に入った記念品のあれこれを、

色々ぺたぺた貼りこむには、文庫本サイズはちいさかった。

たぶんカズンサイズがいいのだろう。でも高い〜。

まさよさんの美しい手帳もきっと買うだろう。

そして私がこの2年、

ハマっているのはウィークリーブロックタイプのダイアリー。

すごく書き綴りやすいんである。

 

果たしてこれで済むかどうか。

無類の手帳好きである私は悩む。

システム手帳こそが結局、

あらゆる用途に一気に対応するアイテムとして有効であり、

だから昔大流行したのではなかったかとも今更のように原点に戻ったりとか。

 

と、こんなふうにあれこれ思い悩むことも楽しい手帳会議。

とにかく時間を楽しく、有意義なことで埋め尽くしたい。

そのためにこそ、面白くなきことをこそ面白く、自分の意志で変えていきたい。

それこそがスピリチュアリストの本懐のはず。

時間がないと言うよりも、時間と楽しく踊りたい。

そんなチャレンジをこれから開始していきます。

 

 

 

雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶赤薔薇雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶

 

キラキラスピリチュアルカウンセリング承りますキラキラ

 

        †月視†プロフィール写真

本業と家庭の都合優先なので稼働時間は少なめですが・・・・

 

 

 

私が実際に購入して、

愛用している品々をまとめてみましたリボン

 

私のスピリチュアル始まりの物語・・・お暇ならお目通しくださいませピンク薔薇

 

 

最近買った、お気に入りシリーズ。

 

小さな小さな海老たちが住む我が家のビオトープの世界。

その水槽の中の、フローライトの石が涼しそう。

日の光が透けて色が綺麗な時には、思わず見惚れる。
 

 

ついてくる石は水晶だったりローズクォーツだったりランダムで

選べないみたい。

 

 

先日、ダイソーさんの大型店舗で購入したクラシックディズニー、

アリスのステンレスボトルと、

ペットボトルケース。

 

 

 

ネイビーブルーの蓋とイラストがとても可愛い。

手ごろな大きさで700円。

 

こちらは市販のペットボトルをセットするもの。

 

蓋を外して、ペットボトルを入れて、

この蓋をはめて、ペットボトルの口部分だけ突き出しておく感じ。

朝、冷蔵庫から出したお茶のペットボトルを入れて会社に持っていくと、

午後、退社する頃までまだ冷たくてびっくり。

すごく優秀。

1000円の価値あり、と納得。

 

好きなものを持つということはやはり自分の心を上げやすくする。
便利で使い勝手がいいものならなおさら嬉しい。
 
 
台風7号が近づいているということで厳戒態勢だったけれど、
私が住んでいるところでは何事もなかった。
お米もそこまで売り切れていない。
ただ購入に制限はかかっているとのこと。
我が家はたまたま、お米不足の報道の前に、
お米を注文していたのが届いたばかり。
その直前にちょっと足りない感じになったので、
軽く買い足したものもある。
つい先週のことなのに、その時はお米は普通に売られていたのだ。
確かに若干値段が上がっているかなあと思ったけれど、
それは最近、お米に限ったことではない。
 
昨年の今頃私は職場で、大量のお米に埋もれていた。
東京都が低所得世帯に向けて配布したお米がたくさん、
寄付として職場に持ち込まれたからだ。
連日、
「もらったお米を寄付したい、たべきれないから」
という電話がかかってきた。
主に高齢者の方で、持っていけないから取りに来て、とおっしゃる。
職員の数は限られており、
それぞれ非常に多くの案件を担当しているために
お米を取りに行くのは時間的余裕がなくて大変だった。
けれど、そんな高齢者の方との接触、ご様子見も大事な仕事にはなる。
それで皆、頑張ってお伺いして、東京都配布のお米を持ち帰ってきた。
窓口まで持ってきてくださる方もお元気な方もたくさんいらしたし、
ご寄付のお米はあっという間に、社内の備品置き場で山積みになった。
 
本当につい1年前のことなのだ。
何もない時と何かあった時の差は、こんなにも大きいものなのだろうか。
昨年だって酷暑だった。
その前の年も酷暑で、日本はここ何十年かは酷暑続きの夏だったはず。
なのになぜ、今年に限って酷暑でお米が育たない、ということにまでなったのだろう。
積み重ねか。
 
不思議なことだが3ヶ月前、
いつも食糧を配達してくれる生協のお兄さんに、
月に1度くらい購入しているお米を、単発注文ではなく、
定期購買にされませんかと勧められた。
実はお米は毎年、新米の頃いただくものも多いから
我が家で困ることはない・・・なのに、
ふと、そのお兄さんのお勧めに乗り、
秋から定期購買すると決めたことも、今となっては不思議な気がする。
 
この「なんとなく」が大事なのだろう。
意味はない・・・でも意味があるのだ。
潜在意識が知っているとはこういうことかなと思う。
 
長年、用心深く距離をとってきた見えない力、
エネルギーに向き合うようになって数年。
あっと驚く嘘みたいな奇跡は起きていないと思っていたが、
小さな運は降り積もり、大きな結果になっていたかと色々な時に思う。
我が家の空気を、家族全員が浴びる光と、
吹き抜ける風の量を変わった気がする。
 
毎日非常な量と速度で押し寄せてくる情報の中、
心がキャッチし震えることを不自然に抑え、無関心でいることはできない。
予測される不自由や不安に揺らぐ心も受け止める。
人間だから、悲観もすれば楽観もする。
それでいいのだ。
その間でいろんなことを感じながらこの日々を紡いでいこう。
生きているとその度、深く実感しながら。

時々は「きっと大丈夫」と呟いてみる。

潜在意識がその言葉通りの未来を引き寄せるように。

ポイントがあったので、奮発して、

iphoneのケースを新しく購入。

和の色、模様は美しい。

西陣織は芸術品。

これがiphoneのケースになるなんて素敵過ぎると前から狙っていて。

 

好みの手帳型。

ストラップホールは二つ。

私が望む条件がバッチリ揃っているので、思い切って購入。

 

 

ショートストラップでは残念ながら和風のものが見つけられず。

でも素敵なこの革製のものと出会うことができた。

ちょっとこじつけだけれど、桜イメージで。

 

付けてみるとやはり可愛い。

 

銀色大好きな私は手帳ケースもずっと銀でいたけれど、

今回ボロボロになったのを機に、

前から欲しかった和風ケースを購入できてとても嬉しい。

しかもセールで半額だったし、ポイントがあったのでお財布もあまり痛んでいない。

本当はハマりにハマっている「光る君へ」の世界に浸りたくて、

源氏物語絵巻のケースがすごくすごく欲しかったのだけれど、

さすがに主婦としてどうかと思うお値段・・・

働いてるんだしこれくらいはと思いかけたりしたけれど、

危うく止まる。

 

桜って良いな、と改めて思う。

白い桜、ピンクの桜。どちらも相まってとても美しい。

その光景を一つにぎゅっと凝縮したようなこのiphoneケースを

眺めてときめき、使って幸せな気持ちになる。

好きなものを楽しむことが幸せになる要素の一つなので、

お気に入りのものを見つけて身につけたり、部屋に飾ったりすることは

とても正しい開運法なのだ。

 

 

 

そんな「光る君へ」大好きな私にとって、

今週のお休みは痛手すぎた。

パリオリンピック のためというので仕方ないのだけれども。

 

日本すごくがんばった!

胸が熱くなるシーンはいっぱいあったけれど、

ちょっとおフランス様に思うことも色々あって。

Xでどなたかが呟いておられたけれど、

今回のオリンピックの収穫は、日本人がむやみやたらと持っている

フランス幻想から解き放たれたことだと。

確かに、と思ってしまった。

 

でも卓球台は可愛かったなあ。

黒にピンクのパイピング。

急いでテレビ画面を撮ったこれにははっきり写ってないけど、

会場の床全体も黒で、端がピンクで縁取られているのだ。

可愛い〜。

乗馬のスタジアムがベルサイユ宮殿とかも凄かった。

 

そんな中での大きめの地震。

23区内の我が家は震度3だったけれど、

南海トラフと関係ないと言われても不安にはなる。

ましてオットの実家は関東大震災時の震源地から遠くない。

これからまさにそこに移住していこうという流れで、

地震と津波のことは常に頭の中から離れないのだけれど。

でもまあ、大丈夫でしょうと思うことにする。

ただかねてより購入検討していたバッテリーとか買っておこうかなあ、

と思いながら、

ごくごく普通の気持ちでスーパーに向かった今朝。

 

驚き。

朝一番なのに駐車場が満杯。

普通、この時間は空いていることが多いのだ。

混むのは正午前くらいからなので、

あえてその時間を避けて、いつも通りの時間と気分で買い物に来たら。

なんか、商品少なめ。

生鮮食品はたくさんあるんだけど。

何より、水がない。

え?と目を疑う。

残り少ない在庫の値段が通常より三割増し高い。。。

それで気がついた。

皆さん、南海トラフ地震に備えて、備蓄食料及びお水を

多めに買いにいらしていたのだ。

 

でも我が家は全く持って普通の気持ちで普段通りに水がほしかった。

 

だって我が家のウォーターサーバーこんなのなんだもの。

 

 

 

コンパクトに2Lのペットボトルを差し込んで使うサーバーなのだ。

 

 

 

 

 

レトロ可愛いデザインがお気に入り。

2年前まで、大手有名ミネラルウォーター会社のサーバーを置き、

水を配達してもらっていた。

この配送、受け取りが我が家の場合困難を極めることが多々あり、

(その会社は置き配をしておらず、時間指定しても届かない。

届かないなら届かないで翌日にしてくれればいいものを、

ギョッとするような夜の時間、人が入浴中に持ってくる・・・が数回あり)

大重量で取り替えも大変。

そんな時にこの商品を見つけ、

 

 

 

手軽だしデザインもかわいいしで購入。

 

 

 

 

今も満足して使っている。

 

 

 

だから買い占めとかいうのではなく、普通に水が必要だったので、
残り少ない中からとりあえず購入してきたけれども。
 
不安がふっと心に影を落とす時、
何気なく購入したいつものヨーグルトを、
帰ってきて冷蔵庫に入れようとした瞬間気がついた。

あれ!ウッディがいる。

 

俺がついてるぜ、と励まされた気がした。

 

絵柄の美しさに買ったワンカップならぬ缶の日本酒。

暑いので、冷たくきりりと冷やして頂いたらとても美味しかった。

 

相変わらず、こんな小さなことの数々で、私の気持ちは上がっていく。

お手軽な性格の自分がとても好きさとここでもまた自己肯定感アップ✨

 

災害は思い浮かべるだけでも、とても怖い。

なのに今この瞬間にも近々で、地震もあれば台風も来るという。

避難経路の確認やいざという時の物資の調達・準備は絶対大事で怠らないよう

気をつけようとは思うけれど。

だからと言ってそれに心を囚われ続けるのは嫌。

そんなこともあるかもねと心に含みを起きつつも、

やっぱり今を楽しんでいたい。

 

心が楽しむ。

それが多分一番の厄除け。

嫌なこと不安なことは時にはある。

でも、素敵で楽しいことを経験して楽しんで、

そんな記憶の更新、上書きを重ねるごとに、運気はやっぱり上がってゆくのだ。

そうして何か嫌なことを忘れるということは、

原因になったものに負けることでもなんでもないから、

忘れていいのだ。(そもそも勝ち負けじゃないから)

 

大切な時間と自分の心の領域を、

好きじゃないもののために使うのはもったいないから。

 

気晴らしは最高の開運法。

そう思って今日も明日も私は楽しむ。

たとえそれがささやかなおやつを食べるだけのことであっても、

その瞬間の私はとても幸せ、ゆえに最強チョキ

 

感謝感謝と人に言われるのが嫌、という人がいた。

周り中の人に、もっと感謝の心を持たねばならないと

言われることにうんざりだと(還暦近い年齢の方)。

そう言ってくれる人が側にいるなんて、感謝だね、

という言葉を危うく飲み込んだ私だった。

 

人生50年と信長なら言ったであろう年を過ぎ、

王子様との出会いがないと嘆く人も。

王子様だって王女様を探してると思うのね。

あなたは王女さまですか?

という言葉もなんとか飲み込む。

 

真実を言わない優しさもありますよね、神様。

それともこれは意地悪なのでしょうか。

そのどちらでもある、と聞こえたような気がした先週の空。

言ってどうなるものでもなし。

 

 

つつがなく、何事もない日々を、私はやっぱりありがたいと思ってしまうよ。

だって伝染病とか戦争とか地震とか、

日常サイズでも事故とか事件とかいっぱいあるじゃないですか。

何もないって素晴らしいこと。

朝、いってらっしゃいと送りだした家族が、

ただいま、と帰ってくるだけでもすごい喜び。

私も家に帰る時はいつも嬉しい。

 

ツインレイというのもどうだろう。

会えさえすれば、まるっと丸ごと、嘘みたいに完璧に愛し愛され、

万事うまくいく、なんてこと本当にあるのかとても疑問。

 

ご縁があっても無くても幸せになれます。

幸せは自分の心次第だから。

幸せになるためのハードルを勝手にあげて、

そこに届かない足掻きを不幸を感じて、

誰かや何かのせいにして。

それはたぶん無限のループ。

だから自分で断ち切らなくては。

 

そうして全てを手放した時、ふと巡り合う縁もある。

ストンと胸に落ちる「わかった!」と納得できる瞬間もある。

 

それだから人生は面白いのだ。

生まれてきた以上、死ぬまでの時間は普通結構たっぷりとある。

その間をいかに満ちたりて過ごすか。

 

満ちる、ための水位は低い方がいい。

すぐ満ち足りてしまえるから。

 

可愛いものを見て幸せ。

 

ホイップクリームたっぷりのカフェラテに幸せ。

 

パートナーと分け合って食べるパンケーキに幸せ。

 

全部とても小さいんだけれど、

積み重なって大きく強い私のバリアになっている。

 

そんな感じの1週間だった。

そして、途中一回出社はするんだけれど(大事な会議があるから)

これから怒涛の夏休み。

やったー!!

今、私、それだけで最高に幸せです。

 

皆様にもたくさんの幸せが訪れますように。

愛と光をお送りします✨

 

 

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キラキラスピリチュアルカウンセリング承りますキラキラ

 

        †月視†プロフィール写真

私が実際に購入して、

愛用している品々をまとめてみましたリボン

 

私のスピリチュアル始まりの物語・・・お暇ならお目通しくださいませピンク薔薇

 

 

先週末、毎年恒例、

合唱仲間と箱根で一泊二日の合宿をしてきたオットのお土産は、

 

小田原名物鈴廣さんのカマボコ達と、

 

カマボコに合うことを前提に作られたビール(私は飲めません)と

日本酒(めっちゃ飲めます)だった。

 

このラベルいいなあ!

 

すごく素敵。

 

カマボコはこう切ることしか私にはできず、

家族で仲良く・・・いえ、われがちに好きな部分を取っていく。

オット=セブン、ムスメ=ウルトラマン、私=バルタン星人、ムスコ=エレキング・・・

というように。

とても美味しくて、夫婦とムスメでさすが鈴廣・・・と唸りながら咀嚼している間に

あっという間にムスコが残りを平らげて、家族の間で非難轟々。

私的には残り3つをオットと子供達に平等に1個ずつあげるつもりだったのだけれど。

常においしいものを豊富に与え、

消して不自由はさせていないはずの普段は優しいムスコ、

食べ物が絡むとすごくエゴイスト(笑)

母や姉への思いやりはどうよ!?と思わず説教(パパは?)

 

ま、そんな笑い話もさておいて、今週初めは夫婦でお休み、

映画館に出かけましたよ、と。

 

素敵でおしゃれな都会の映画館の空間は

出不精な引きこもり体質の人間でさえも、

気持ちを高められるパワーがあるよう。

 

楽しんだ映画はこれ。

オットが観たいというので、まあまあだろうなあと思いながら行ったら、

私たち的には面白かった!ので、良し。

けれど、館内にはご高齢の方と、お子さん連れの方が多くて。

これは人気のビジネス書を映画化したものらしいけれど、

なんとなく皆さん、歴史のドラマを楽しまれるつもり、

お子さんには歴史の勉強をしてもらえるつもりでこられたのかな、と。

上映が終わっての帰り際、

「なんだこれ」「ちょっと違ったわね」

「勉強になんなかった」「でも名前は覚えたでしょ。それだけでもすごいのよ」

なんて会話が聞こえました。

俳優さん達のお力がやっぱり素晴らしくて、

とても楽しい映画でしたけどね。

Gacktさんの織田信長がとてもかっこいい。

私的にはかつて

大河ドラマで演じられた反町隆史さんくらい良かったと思う。

食後、夫婦でレストランへ。

普段、会社と家とその間のお買い物ゾーン、それだけで暮らしている私には

(あ、いやということではなくて。私には合ってるのでとても満足しているけれど)

素敵に非日常空間。

気持ちリフレッシュ。

 

たまには良いでしょう。

日の光に透かして飲む、昼間のワインもまた格別。

 

子供がいてもいなくても、

やっぱりランチに選ぶはパスタが多め。

 

美味しくチュルチュルと頂きました。

 

そして近くの出雲大社東京分詞様へ。

歩いてすぐの場所にお在りながら、あまりの暑さでほんの数分でもとけそうに。

でもお参りさせていただく機会を経て光栄。

もう何十年も前から、一度お伺いしたいと思っていたのです。

神社やお寺にお参りするのはいつもふとしたタイミング。

近年私はあまり意気込むことなく、

大きな計画は立てずにお参りさせていただくことが多い。

ふわっと軽く意識を合わせる。

思い浮かんだ時、それがもう神様に呼んでいただけたことだと思うから。

引き寄せられていく感覚を感じたい。

 

ふと意識したその瞬間から、神様はもうこちらをご覧になられています。

だから、神社に着く前、参拝の道中、参拝中はもちろん、

参拝後の自分の言動もなるべく清く、正しく、美しく。

神様に愛いと意識を向けていただけ続けるように。

人を押し除ける、われがち行動する、など神様の前でむしろ逆効果かと。

バチがあたるということはない、ただスルーはされてしまわれるので、

せっかく頑張った参拝が無・・・。

混み合うバスで二人がけの隣の席に自分のバッグを置いて

他の誰も座れないようにした女性が、

熱心に開いて読んでいた雑誌が、

ご利益のある神社特集で、もうこの瞬間から無理と笑ったこともあり。

自分に運がないなと思ったらそれはやっぱり

神様と意識が繋がっていないということ。

自己肯定感を高める=身勝手OK、では無いです。

間違わないで。

 

神社に行くと嬉しくなる。

 

だってほら、こんなにも御神気が近いから。

尊さに敬虔な気持ちになる。

この感覚は格別のもの。

 

恐れ多いので、御神前を真正面から撮影するのは差し控えさせて頂く。

(会社を抜けてきたらしい制服姿のOLは

真正面からバシャバシャ撮影してらしたけれど)

昔、ふとしたきっかけで職場の先輩から、

東京の、それも六本木に、

あの出雲大社様の分詞があると伺ってから何年経っただろう。

その時からきっとお呼びくださっていた。

ただありがたい。

オットの転勤で広島に住み、

休日にふらっとドライブがてら、本社にお参りさせていただいたのが数十年前。

当時は子宝祈願をさせていただいたのだけれど、

願った通りの可愛いムスメとムスコを授かり、

今も幸せ(すくすく育って成人しました)

たくさんのご利益を頂けてきたことが感じられる。

本当に出雲の神様はご縁の神様。

男女の色恋ばかりではなく、いろんな縁をお繋ぎくださる素晴らしい力。

いつかきっとたくさんのお礼をお伝えしにまた伺わなくては。

 

そういえばヒルズのお庭(?)にたくさんのドラえもんがいた。

 

通りかかった美術館前のショップでも、グッズがいっぱい売られていて、

耳のついた白いドラえもんのぬいぐるみがいいなとチラッと思った。

 

夢を見ること、見続けること、

努力すること、がんばってみること。

自分に正直になり、でも、人のことも思いやること。

今もこれからもそんな風に子供たちが育ってゆくのだ。

ありがとう、ドラえもん。

私もまだ頑張るよ。

 

忙しいと心を亡くし、

ふっと低い波動と絡み合ってしまうことが時にある。

それに気づかず突き進むと、求めていない場所に出る。

自分の心に気がつくことが大事。

 

想うものにエネルギーは繋がる。

だったらそれは低い波動のものであってはならない。

心は必ず高みへと飛ばす。

そうすればそこに運命もついてゆくから。

 

神様にスルーされる人ではないようにしよう。

力まず、無理せず、マイペースなのに高波動。

修行修行と自分ばかりか人にも求め押し付けて、

マイナスな繋がりを増やす人よりよっぽどいいと思うのだ、

一人ですたすた進んでゆく人の方が。

もつれ固まる滞り軍団よりも、

ひとり、すっすっと前をいく個体の方に目は向かうだろう。

 

神様の目がほら、天で輝いている。