曹、三法、満福山、栗原郡花山村に在り。旧と能州總持寺末に属し、羽州黒滝向川寺派にして、竹室良厳和尚開山の地なり。往古、坊沢と称する地に在りて浄泉院と号し、狩野兵庫頭為直の牌寺なりしが、慶長年中、本邑を遠藤式部玄信に賜ふや、当寺亦此地に転じ、玄信の法諡を取て今号に改むといふ。
    堀由蔵編『大日本寺院総覧』明治出版社・大正5年、1856頁
栗駒町誌編纂委員会編『栗駒町誌』(栗駒町・1963年)には、以下の事績が書かれている。

一八六九(明治二) ◯散髪廃刀許可、城国寺で断髪式を行う 『栗原郡誌』、『栗原町誌』186頁

なお、詳細についてはまだ不明であるが、当山を菩提寺としていた武士階級の方々のことかとも思っている。
満福山城国寺は、応永元年(1394)に山形県大石田にある向川寺4世・竺室良厳禅師によって開かれた曹洞宗の寺院です。

ただし、残念ながらこのことを客観的に示す文献史料などがあるわけではありません。

分かっているのはご開山さまのお名前と、開基とされる方(狩野氏)のお位牌が当山山内に残されていることくらいです。

そのお位牌の関係から、当寺は当初「晟泉院」という名前だった可能性も指摘されており、おそらくは現在地とは別の場所に存在していたと思われます。

しかし、戦国時代が終わり、伊達家の仙台藩が現在の宮城県と岩手県の南部地域を領するにあたり、その奉行であった遠藤氏が現在の栗原市花山地域に入り、当山を現在地に移転し改名したようです。

それは、歴代の遠藤氏のお位牌からも明らかです。

なお、遠藤氏より前に当山が存在した理由として、元禄年間に当寺の梵鐘に鐘銘をお寄せいただいた加賀大乘寺27世・卍山道白禅師が当山のことを「大徹派下の古禅刹なり」と書かれ、これはご本寺・向川寺さまとの関係を端的に示すとともに、開創時期の古さを示すものとして理解しています。
当山のある宮城県栗原市と、隣の大崎市を繋ぐ道路の一つに、「小僧峠」があります。

当山では昔から、「小僧峠」という名称は、当山にいた小僧さんが、山姥から逃げてきた「三枚のお札」説話に基づき、御札によって峻険な峠が出来た、という話を受け継いできました。

もちろん、本当か嘘かは分かりませんが、伝承があったということのみは伝えておきたいと思います。

なお、小僧峠の反対側には、同じ曹洞宗の花岳院さまもあります。峠への距離は同院の方が近いですので、もしかしたら、当山ではなく同院で伝えていた話なのかもしれません。
檀信徒の皆さま、そして宮城県栗原市花山地区にお住まいの皆さま、明けましておめでとうございます。

今年は、2018年です。当山が開創されて624年目となります。

本年も檀信徒各家の皆さまのご多幸と、ご先祖さまの安寧を心よりお祈り申し上げます。