「#共通テスト痴漢撲滅運動」騒動に見られる、「女性の安全と権利」について Q子

 

2.象徴としての「しろやま組」の情報処理能力

 

 

 

 

ここで、アルテイシアに向けられた、しろやまとその支持者たちの不満を、しろやまのツイートから整理する(*1)。

 

 

① 「しろやまの発起で始まった『受験生の痴漢被害対策として電車内のパトロール』」という潮流に乗ったアルテイシア等には、発起人であるしろやま等の活動を説明する義務があった。しかし、意図的にこの情報を伝えないことで、結果としてアルテイシア等が新しく始めた運動だと受け止められるように図った。

 

② ❶を指摘するという正しい行動を取ったしろやまをブロックした。これは、加害行為である。

 

③ アルテイシアがしろやまのルールと異なる言動を取るならしろやまに確認すべきなのに、しなかった。例えば、しろやまは、DMの取り扱いについてルールを決めている。相手がDMの存在を公表しないなら語るべきではないという自身のルールを順守するしろやまに対し、アルテイシア側は「『DMの公開は双方の同意があってしかるべきだ』というしろやまルール」を尊重しなかった。

 

 

しろやまの脳内にはアルテイシア等が主体となって行うべき言動が設定されていて、現実のアルテイシア等がそのシナリオ通りに動かないことを不満に思う権利があるというわけだ。

 

アルテイシア等がしろやまの主張が理解できなかったのも道理である。まず、法的根拠に基づかず、これまで付き合いもなかった赤の他人であるしろやまの個人ルールに、アルテイシア等は従う義務も義理も無い。そもそも伝えられていないなら、しろやまルールを知るわけがない。加えて、しろやまが自らの正義の根拠としている事実は、存在しないものだった。

 

しろやまが始めたと主張される、ツイッターをツールとして展開された受験生の痴漢被害対策あるいは電車内の痴漢被害対策は、ツイッター上ではしろやまに遡ること2009年9月、まず女子高生100人による池袋駅での電車内痴漢被害の訴えとして確認される。2012年10月には鬼耶高のユカリンゴが対象を受験生と明示したうえで電車内痴漢被害を心配し個人的な協力を申し出るツイートをしていた。2016年1月、わきまえない鉄馬の貧乏子育てbotが受験生の痴漢被害防止の協力を社会に呼び掛けている。2006年に開始され2008年から日本展開を始めたツイッターには、物理的にリアルタイムでのそれ以前の情報は存在しえない。2009年4月時点の利用者数は52万人。そのうち75%が男性である(*2)。それでも、数少ない女性たちによる自発的な活動の数々の残滓が残っていた。

 

ところが、しろやまが指摘した年には痴漢レーダーの話はない。さらにしろやまは、ツイッター上で一言も受験生の痴漢被害に言及していない年のアルテイシアときだ結にメールやDMを送って異議を申し立てたと主張しているのだ……(*3)。これで「アルテイシア等の言動がしろやまのアイデア由来だと主張していると理解しろ」というのは無茶苦茶である。

 

 

しろやまを担ぎ上げた連中は

 

① 「オトモダチであるしろやまさん」が言っているから

② 「オトモダチであるしろやまさん」の発言に、自身の記憶の一部と同じパーツが使用されているから

 

以上2点をもって確認も取らずにしろやまの主張を支持し、ドッとアルテイシア叩きの一群に雪崩れ込んだとみてよいだろう(*4)。

 

 

この訳の分からない主張を振りかざす一群の攻撃を向けられたアルテイシアの恐怖はいかほどのものだったろうか。2019年7月18日に起きた京都アニメーション放火殺人事件の犯行動機は「自分の小説を盗まれたから」とされている。著作者に向けて、会ったことすらない者からの「あなたが書いた作品は私が考えていた作品の盗作である」という苦情は珍しくない。2015年にツイッター上で痴漢被害についての言及が確認できるアルテイシアは(*5)、痴漢被害に苦しむ友人の娘に心を痛めて同年から始めた「ストップ痴漢バッジプロジェクト」の松永弥生との交流も確認される(*6)。アルテイシアにとって、友人を介して持ち込まれた今回のケースは、一連の痴漢犯罪への取り組みの延長線上にある。関りを持ったことがない無縁の人であるしろやまから突如DMが送り付けられアイデアや功績の簒奪だと糾弾されるのは、あたかも京都アニメーション放火殺人事件と同じシチュエーションではないか。

 

 

余談だが、検索で確認する限り「#共通テスト痴漢撲滅」を最も早く使用したのはアルテイシアだ(*7 2022年1月13日)。このタグをしろやまが使い始めるのは翌14日(*8)。先行権がアルテイシアにある以上、しろやまはパクリか、良くて二番煎じである。しろやまがこのタグを使用するのを見て、しろやまがアルテイシアに協力していると思った者すらいる。ちなみに「#センター試験痴漢撲滅」は2020年1月10日男性により提案された(*9)。しろやまがこのタグを使ったことは一度もない(*10)。つまり、試験の名称の変化にしろやまの対応が遅れたわけではない。

 

 

おかしなことは他にもある。

 

 

しろやまの主張は受験生の痴漢被害を減らすことだった筈だ。それなのに肝心の痴漢被害の実態について、なぜか言及がなされない。2017年3月からツイッターを始めたしろやまのツイートに、受験生の、あるいは一般の痴漢被害の実態と導入された対策の効果による被害件数の推移に関連するツイートは無い(*11)。しろやまの行動がこれまでの痴漢被害にどの程度効果があったか、しろやま等の活動が、あるいはそれと比べてアルテイシア等が取った手段がどれほどの効果をもたらしたか、分析や検証の類が一切ない。これまでしろやまが取ってきた手段と異なるものがあり有効ならそれを取り入れようという姿勢も見られなかった。そこにはただただ「受験生のために自己犠牲を払うしろやま」の自己顕示があった。

 

 

アルテイシアもきだ結も「名も無き女」を無視しなかった。しろやまからの”忠告”DMに目を通した後、アルテイシアは返信でしろやまに以下の提案をしている。

 

>たとえば「電車内パトロールの活動をnoteにまとめたのでツイートしてほしい」とか言われたら協力できます。「私たちの活動も取材してほしいから記者さんを紹介してほしい」とか言われたら、紹介はできます。
>私たちに、具体的に何を求めているのか教えてほしいです。

 

 

しかし、しろやまが前向きな対応をした形跡はない。

 

 

「大岡越前(大岡政談)」という時代劇のシリーズに『娘の手を引くの件』という話がある。名奉行と言われた大岡越前守忠相の下に子供をめぐって母親を名乗るふたりの女が現れる。どちらが本物か、双方に綱引きのように娘の腕を引っ張らせよう。勝った方を母親として認めるというものだ。さて、力いっぱい腕を引っ張られた娘は「痛い!」と叫んだ。それを聞いて片方がパッと手を離した。大岡は、ほんとうの母親なら我が子の苦しみを看過できるはずがないとして、手を離した方に子供を返したという。

 

 

受験生の痴漢被害に心を砕いているのは、果たしてどちらの方だろうか?

庇護下に置いた子(受験生)を利用して自尊心を満足させようとするさまは、いわゆる「毒親」と同じではないだろうか。