デビュー前
4人は幼稚園 からの顔なじみであるが、幼稚園時代、藤原と直井・増川は升の事を知らなかった。そのうち直井と升・増川の3人は同じ臼井小学校に通う。そして全員が同じ佐倉市立臼井西中学校 へ進学し再会。全員がバスケットボール 部に所属していたが万年補欠だったため、よく「体育館倉庫を真っ暗にして閉じこもる遊び(暗闇ごっこ)」をするなどして親交を深めた。
1994年 、中学3年生の頃学校の文化祭へ向けバンドを結成(当時のバンド名は“ハゲバンド”)。「ツイスト・アンド・シャウト 」や「スタンド・バイ・ミー 」などをコピーした。結成当初、ギター担当は別のメンバー(通称:“あいつ”)がいたため、増川はギターを弾きたいと思っていたが幕の上げ下ろしなどスタッフ的な役割が主だった。
1995年 にはオリジナル曲を持って次々と各地の大会へ出場する。同年秋には藤原が高校を中退し本格的に音楽活動へのめり込むようになっていた。藤原初の単独での作詞・作曲となったオリジナル曲「DANNY」(後に隠しトラックの形で収録)や、「BUMP OF CHICKEN」などもこの頃に完成する。ところが、メンバーの“あいつ”はやる気があまりなかったらしく次第に真面目に練習しなくなったため、チームワークの乱れに不安を覚えたメンバーが“あいつ”に内緒で増川と4人で大会に出たところ健闘。結果“あいつ”はバンドを離れることとなり、増川が正式にギター担当としてバンドへ迎え入れられた。これは1996年 春のことであった。
その夏にはBeat Brust in Japan に「ガラスのブルース」(後のアルバム『FLAME VEIN 』収録曲)でエントリー、全国大会でグランプリを獲得。その後都内でのライブや千葉県内ツアーを経験した後に初の音源となる「BUMP OF CHICKEN(のテーマ)」「DANNY」「ガラスのブルース」等を収録したデモテープの製作・配布を開始。大学受験のための一時活動休止期間を経て1998年 6月には劇団「すいっち」公演のミュージカル『はしるおんな』に生バンド役としてメンバーが出演。藤原も6曲ほど公演のために書き下ろす([3] 藤原曰く、最初の「MOTOO FUJIWARA名義での活動」はこれである、とのこと)。1998年10月24日 には500枚限定CDを発売、1か月で完売する。
