joker-hiro09のブログ

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高校3年生から通い始めた予備校のとある講師との出会いによって変わる

前回のブログで少し私の紹介をしましたが、私は小学生時の夢は特になく、中学生の頃は野球クラブに所属していてプロ野球選手
高校生の時は部活には入っていましたが、野球ではなくなり、大学で何をしたいかとかは決まらず、大学に行ったら何かあるだろうと思っていて、特に夢はありませんでした。
 
高校3年生にあがる前の春、私は大学受験のために予備校に通い始めました。もちろん、予備校に通わなければ勉強できないくらい自ら勉強をやろうという意思はまったくもっていませんでした。
 
一先ず受験科目になるであろう、五科目のうち苦手な科目を受講しようと考えていました。特に【英語】。これに関しては、苦手を通り越して嫌いでした。。笑 なので、英語に関しては4講座ほど受講していました(両親に高い費用をかけてもらって感謝です・・)
最初は、塾は本当に勉強するだけの場で、大学の合格を勝ち取るツールとしか思っていませんでした。
ですが、高校3年の夏前まで嫌というほど英語の授業を受け、勉強していたのに全く成績が上がりません。
(模試高校2年生3月模試 英語200点満点中80点、高校3年生6月模試 英語200点満点中95点)
本当に、英語はダメなんだと思ってました。。笑
 
ですが、高校3年生の夏、塾での夏期講習でとある講師との出会いが【きっかけ】でまるで変りました。
夏期講習は、通常の授業で受けている先生を選ぼうとしたら抽選?みたいなのがあり、外れてしまいました。
(おかしいですよね、お金払って授業を受けているのに受けたい授業を受けれないなんて・・)
なので、その時はしぶしぶ新しい先生の英語の授業をすることにしました。
 
初授業。その先生は若い先生でした。
しかも、英語の教え方。かなり独特です。これまで、4月から6月まで必死に長文読解は文法を的確に読み、単語を理解しパラグラフリーディングを大切に解いていたのに、その先生はそんなのは重要じゃない。重要なのは、筆者の気持ちになって読むこと。自分で推測すること。
でした。こんな教え方適当なんじゃないかと思いつつ、授業を受けてみると、信じられないくらい楽しい。面白い。
 
英語の授業でこんな感情を持ったのは、高校の体育で自分が得意な球技をやる時と同じくらいの感情でした。
何が面白いか、、私にはとても説明できません。ですが、その先生は受講生を惹きつける話し方をすることは間違いないです。
 
※英語の長文読解が苦手な方。解き方を教えますのでぜひコメントください!
(ただし、大学受験英語に限ります!!)
 
そんな先生の授業を夏期講習中受け、夏期講習後の後期の通常授業でもその先生の授業を受けることに決めました。
いつの間にか英語が好きな生徒になってました笑
10月の模試では、英語200点満点中180点でした。笑 本当です。親が騒いでくれたのは今でも覚えています。
点数があがればもちろん私もうれしい気持ちになります。
 
その時でした。
『あ、子どもたちに教えてこんないい感情を与えることができるんだ、授業で人の人生をこんなに大きく変えることができるんだ』
と思ったのと同時に、先生になろうと思いました。
 
それから、授業終わりその先生のとこに行っては英語の勉強や、将来のことや雑談をたくさんしました。
あの時は本当に楽しかったなあ、下手な恋愛よりも青春していたかもしれません。先生は男ですが・・笑
 
もちろん、そこから英語の成績はどんどん良くなり、模試で何回も満点をとりました。ほかの科目の勉強もしてましたよ!笑
センター試験が始まる1週間前が最後の授業でした。先生はいつも通り授業を進め、あえてなのかわかりませんでしたが何も応援等なく
終わりました・・(イメージでは大学前にも迎えに来てくれて『がんばれよ!』みたいなものを想像していましたが・・)
 
まあ、そんなことは置いておいて試験です。不思議なくらい、落ちる気がしません。全部の大学受かる気しかしません。
先生のおかげもありますが、これまでの勉強にちゃんと自分なりにしたといえるから。自信がありました。
 
ですが、そんな世の中甘くありません。本当に一生忘れないことが起きます。
センター試験は2日間です。初日は、主に文系科目。
1時間目は地歴公民で、お昼から国語、英語という流れです。
 
地歴公民は予想していた箇所が多く出て、手応え的には100点行ったんじゃないかと思いました(実際は96点でしたが・・)
次です。お昼明けの国語。本当に情けないことをしました。
何をしたと思いますか??
 
マークミスです。
私は、あまり現代文が得意ではなく、漢文から古文へ、そして現代文と得意な順番で解いて点数をより稼ぐ方法で試験を受けてきました。
当日ももちろんそうです。なので、解答はマークシートなのですが、一番最後の問題からマークを塗るわけです。
 
過去問数年間は国語が、31問?32問?すみません、はっきりと覚えていませんが同じ問題数でした。
なので、不思議なことに焦ってたのか、確認もせず31番のところから最後の解答を塗りました。
 
試験終了5分前、現代文残り3問時点で気づきました。塗る箇所が足りない。。
私が受験した時だけ、国語の出題数が1問増えていました。
 
もう終わりです。すべてが終わりましたと悟りました。間に合いませんでした。
本番得点は200点中40点くらいだった気がします。
 
そのあとのことは頭真っ白です。大好きになった英語もよくわからないまま終わりました。
 
センター試験で勝負をかけにいっていた受験生だったので、もうすべてが終わったと思いました。
独自入試の対策はあまりしてませんでした。
この年はもう浪人しようと思いました・・・
 
ですが、親にこれ以上迷惑をかけれない、大学受験は本当にお金がかかります。高校3年生でも気づくくらい、莫大なお金を私に投資してくれてます。なので、これをもう1年って・・
浪人はやめようと思い、2月の独自入試は諦め、3月の私立大学で最後の後期入試にチャレンジすることにしました。
センター試験が終わってから3月までの一か月。遊ばず勉強しました。泣きながら勉強しました。周りが受験終わって卒業前で遊んでいる中、私だけ勉強なのですから。本当につらかったなあ笑
 
後期入試当日、私は向かう途中の電車で目を閉じて、親、先生に感謝を心の中で伝えました。合格してきますとも。
頑張りを見てくれてたのかもしれません、人生悪いこともあれば良いこともあります。
 
ポストを見て、厚い封筒が大学から届いてました。そこの封筒には、『入学手続き書類在中』
 
合格でした。
 
嬉し泣きをしたのは人生初めてです。笑
私の家はそのころマンションで13階に住んでいたのですが、1階のポストから家まで階段で走りあがれるくらい、興奮してました。
 
合格発表があり、自分の番号の確認をして、塾の先生に会いに行きました。
 
大学合格をしたことは本当にうれしかったのですが、自分が本当に入りたい大学ではなかったこと、大学で何をすればいいかわからないこと、先生になるためにはどんなことをしたほうが良いかということ。報告とともに、最後にその先生からアドバイスが欲しいと思い、何個もなん十個も質問に質問を重ねました。
 
その時、すべての質問をまとめて答えてくださったのか、1回だけ回答してくださいました。この言葉は本当に私の気持ちを晴らしてくれました。
 
『別に良い大学に行けなくたっていいじゃない、なんでみんなそんな大学名にこだわるのかが分からない、自分がやりたいこと叶えるため、大きい会社に入社するために偏差値の高い大学に行きたくなるのもわからない、若いんだからごちゃごちゃ言わずに好きなことやりなよ、言い訳の上手い大人にはなっちゃだめだよ』
 
この言葉で、とにかく夢に向かって突き進む、ダメだったらその時考えればいいんだと思えました。
私は、その後大学生の時に小さいですが塾を作り、経営し、現在は大学経営を学びながら、教育業界に勤めています。
 
私も含め、日本人の特性としてリスクを恐れます。失敗したときに考えればいいじゃんというのは、楽観しているかもしれませんが、
その言葉は、私の背中を押してくれました。
若いんだからごちゃごちゃ言わず好きなことをやることって、簡単なようで難しいです。
 
ですが、これだけは今社会人数年を経て大人の社会に仲間入りしているのですがこれだけは言えます。
 
言い訳のうまい大人にはなりたくない。
 
これだけ。
 
みなさんもやりたい事、将来の仕事なんて決めれないかもしれません。ですが、いろんな人との出会いである【きっかけ】でふと大きく変えるかもしれません。
 
英語の勉強法や、この文章が分かりづらくより聞きたかったという人がいらっしゃたらコメントください!
 
次回のブログでは、私の大学時代のお話を少ししたいと思います。
 
おしまい。
 
適当日記