切れ長の目が桜司郎を捉える。桜司郎は思わず目を逸らした。

 

 長い沈黙が部屋に流れる。今度は志真が口を開いた。

 

「……海、見たことありますか」

 

「海……?」

 

「京におるんじゃったら、海は見たことないじゃろうと思うて。萩の菊ヶ浜は綺麗ですけえ。行きたいなら、案内します」

 

 江戸へ向かう途中で遠くに海というものがあると聞いたことはあった。ただ、近くでは見たことがない。

 

 桜司郎は小さく頷いた。

 

それを見た志真は何処からか羽織を持ってきては桜司郎へ着せる。おうのへ声を掛けると、桜司郎は志真と共に村塾を出た。

 

 

 久々の外の空気はひやりと澄んでいて心地良い。城下町を通り、無言で歩く志真の背を追えば、やがて波の音が聞こえてきた。

 

 勿論、"元の世界"に居た頃は海に何度も来ている。だが記憶が無い今は目の前に広がる一面の青が新鮮で仕方がなかった。

 

「これが……海」

 

 冬の海に好んで近寄る者はおらず、浜辺に二人きりである。潮風が頬を撫で、が鼓膜を叩く。

 

「寒うないですか」

 

 志真の言葉に桜司郎は頷いた。

 

「そうですか。……この海の向こう側には国があると吉田先生が言うちょりました」

 

「それは……吉田栄太郎さん、のことですか?」

 

 桜司郎の問い掛けに、志真は傷付いたように表情を曇らせる。砂を踏み、桜司郎を見た。

 

「まだ覚えちょらん"フリ"を続けるのですね。……吉田先生は、最期まで貴女のことを気にかけちょったちゅうそに。じゃけえ、未だに壬生狼に居られるんでしょうね」

 

 

 そう話す志真の口調には棘と悔しさのようなものが混じっている。勿論、彼は吉田が桜司郎から記憶を奪ったことを知らなかった。そのため、吉田の仇と分かっても新選組に居続ける桜司郎を心の底から軽蔑している。

 

「……でも、先生は私が貴女を恨むことを許してはくれんでしょう」

 

 その言葉を聞いて桜司郎は着物の裾を握りしめた。

 

───ああ、きっとこの人が殺したかったのは近藤局長ではない。私のことを殺したかったんだ。、 志真は桜司郎から視線を逸らすと、目を細めて海を見詰める。その横顔があまりにも苦しげで、救いを求める子どものように見えた。新選組に居た時もそうだが、白岩改め志真は時々このような表情をする。

 

「……良いですよ。恨んでも。それで貴方が楽になるのなら」

 

 桜司郎はぽつりと呟いた。恨みたい相手から恨む許可を貰うのも変な話かな、と苦笑いをする。

 

 それを聞くなり志真は顔を歪めると、桜司郎の襟元を掴んだ。その手が僅かに震える。

 

「そねえなこと、軽々しく言わんといてつかァさい……。私が、これまでどねえな思いで生きてきたのか……貴女には分からんでしょう!」

 

 志真は今まで心に溜めていたものを吐き出すように、一息に話した。その脳裏には、吉田を失ってからの出来事が浮かぶ。

 

「私にとって、先生は……全てじゃったのに……!」

 

 禁門の変で久坂や入江が殉死した後、志真は長州へ戻った。吉田の縁で高杉の従者になることが出来たが、度々その使いで京へ上り、新選組を探る機会があった。変わらず桜花は新選組に居続けていると知った時に、自身の中で黒いものが渦巻くのを感じた。

 

 憎いとさえ思った。新選組も、吉田の思いを足蹴にする桜花も。あの絶望した日すら忘れて、新選組の隊士と笑い合う桜花が許せなかった。

 

 

 そんな折に、高杉から桜花を攫ってくるようにと言われたのである。この機会を逃しては復讐は出来ないと思った。

 

「……忘れたくて忘れた訳じゃない。きっと、その時間は私にとって大切な時間だった。でも、結果的に失くしてしまった」