ブログ再開にあたり、私のこれまでを簡単な年譜にしてみました。
よかったらご覧ください。
〜愁ひの年譜〜
昭和40年(1965)
埼玉県蕨市に生まれる。
父は塀の中で服役中。母は埼玉に住む三姉妹の姉を頼って私を生んだ。
昭和42年(1967)
東京都保谷市 (2歳)
天ぷら油で右足の甲に大火傷を負う。
11月弟が生まれる。
昭和45年(1970)
東京都新宿区 (4〜5歳)
ニュースで父の顔写真を見て興奮する。
買ってもらったばかりの自転車で急な坂道を下るもブレーキのかけ方が分からず、そのままお米屋さんの車に激突。即日廃車となる事故を起こす。
坂の上にある高台から無差別に小石を崖下の歩道に投げる遊びに夢中になる。
近くの公園の鉄棒に登り、足を踏み外して股間を強打 KO義塾大学附属病院に入院。
両親は医師から私が血友病である宣告を受ける。
お岩さんのお墓を探そうと冒険に出るも旧フジテレビの敷地内で守衛さんに保護される。
昭和46年(1971)
東京都豊島区 (5〜6歳)
小学校へ入学
一年生の担任がクラスの生徒に向かって「◯◯さんは、血が止まりません」と衝撃発言を耳にする。この時に自分の病を知る。
昭和48年(1973)7〜8歳
駄菓子屋さんのラッキーカードを偽造、大当りのカードアルバムを獲得
母に当たりくじ偽造工作がバレる。
母を激しく怒られ、激しく悲しませ、これを機に悪の道から足を洗う。
足首の捻挫、右ひざの内出血を繰り返し、通院を繰り返す。
昭和50年(1975)9〜10歳
右ひざに内出血を繰り返し、ひざ関節が45度曲がったままとなりTo大学附属病院に入院。
曲がったままのひざ関節をけん引で強制的に伸ばす治療を受ける。
親戚の叔母たちからご浄霊というものを受ける。
血友病による右ひざ関節の可動域障害(10度未満)として障がい者手帳の5級認定となる。
歩行用装具を着用するようになる。
昭和52年(1977)11〜12歳
中学校へ入学
成長過程から装具と身体が適合しなくなり右足踝の内出血を繰り返す。
ご浄霊のおひかりをいただいた母と叔母のご浄霊を受け、体中が熱くなる経験をする。
その夜、腫れ上がった右足踝から大流血を起こし本郷のTo大学附属病院へ緊急搬送。
失血死手前のところで一命をとりとめる。
両親は医師から右足切断の宣告を受ける。
右足踝の再生手術のため、板橋区のTe大学附属病院へ転院。
大人たちに囲まれた入院生活でFM局から流れる映画音楽や洋楽に目覚める。
昭和53年(1978)12〜13歳
右足踝再生手術は複数回に渡り切断は免れる
リハビリに励む。
昭和54年(1979)13〜14歳
一つ上の従兄弟からギターに誘われるが、音符が読めない事を理由に辞退。
左ひざと左ひじ関節炎の内出血を繰り返すようになる。
両親の不仲が日を追うごとに悪化していくのを感じとる。
昭和55年(1980)14〜15歳
両親が離婚
離婚後も執拗に父が家にやってきて顔を合わせは大喧嘩となる。
父から復縁したいとの申し出があり、母の姉夫婦と父の元舎弟が同席のもと話し合いが行われる。
申し出を断られ、一度は受け入れたものの父の感情が治らず、父は私ら親子の襲撃を決意
父の元舎弟の機転で間一髪、私ら親子は逃避を決行。父の襲撃計画は未遂に終わる。
後に居場所を突き止められ警察沙汰となる。
父へ「もう家には来ないでほしい」と息子から別離を告げる。
Te大学附属病院にて左ひざと左ひじの可動域改善のため手術を受ける。
ジョン・レノンの悲報をラジオで知る
昭和57年(1982)16〜17歳
年齢を詐称してアルバイトをはじめる。
昭和58年(1983)17〜18歳
国内でエイズ感染の危険性をとりだたされる。
血液製剤の自宅投与が認可される。
運転免許を取得。
中古車のスカイラインを購入。
昭和59年(1984)18〜19歳
巷はエイズ感染者への偏見の眼差しが強まる。
非加熱製剤による感染の恐怖が日を追うごとに増していく。
昭和64年・平成元年(1989)23〜24歳
パン製造工場に就職。
6ヶ月後、腰を痛め職場復帰できず、事実上の解雇となる。
平成2年(1990)24〜25歳
レンタカー会社でアルバイトを開始。
平成5年(1993)27〜28歳
レンタカー会社に就職
実家から独立 独り暮らしを始める。
血友病の従兄弟がHIV感染の宣告を受ける。
平成7年(1995)29〜30歳
父、死去 四十九日法要に参列。
非加熱製剤によるC型肝炎を宣告される。
弟のリンパ節に悪性腫瘍が見つかる。
平成8年(1996)30〜31歳
HIV治療中の従兄弟から家族ハワイ旅行を招待される。
母と弟の3人で北海道一周旅行に行く。
平成9年(1997)31〜32歳
弟、悪性リンパ腫で死去(享年29歳)
実家に戻り母と同居を再開する。
平成10年(1998)32〜33歳
腸閉塞によりTe大学附属病院で緊急手術入院。
平成12年(2000)34〜35歳
C型肝炎の治療のためTe大学附属病院に入院。
退院を機に禁酒6ヶ月を誓い完遂する。
平成14年(2002)37〜38歳
レンタカー会社を退職。
カーセキュリティ取付販売会社に就職。
半年後に会社が給与未払いを続け退職。
コールセンター運営会社に就職。
ハワイに招待してくれた従兄弟がHIVで死去。
平成17年(2005)40〜41歳
満40歳の誕生日から煙草をやめる。
風邪から肺炎に発症 S育会病院に入院。
C型肝炎を完治。
平成24年(2012)
東京都北区 (46〜47歳)
積雪で転倒 右ひじを骨折。
血友病関節炎専門医の診察を受ける。
左ひざに人工関節手術を薦められる。
母、肺がんの宣告を受け東京J医科大学病院へ抗がん剤治療のため入院。
平成25年(2013)47〜48歳
再び急性肺炎のためH立病院へ入院。
従姉妹から世界救世教を紹介される。
母、肺がんで死去(享年70歳)
平成26年(2014)48〜49歳
世界救世教へ入信
平成29年(2017)51〜52歳
右ひざ炎症により寝たきりとなり緊急入院。
MRI検査を受けるも炎症原因は不明。
障がい者手帳3級認定となる。
右ひざの浄化後、日常生活が向上する。
平成30年(2018)52〜53歳
熱海 瑞雲郷にて念願の大黒様を購入。
京都 平安郷清掃奉仕研修に参加。
平成31年・令和元年(2019)53歳
箱根 神仙郷清掃奉仕研修に参加。
世界救世教教祖生誕の地 ご参拝。
令和元年地上天国祭 ご参拝。