ジョニジョニ・アラカルト        ー ベーシストの読書録 ー
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海堂 尊(かいどう たける)

絵・ヨシタケシンスケ

トリセツ・カラダ

カラダ地図を描こう

 

2009年作。外科医を経て病理医を勤める著者は、中学生はおろか東大生も、普通の大人も 「カラダ地図」を描けなかったことを知った。

 

自分のカラダの中身を 「知らないことすら知らない」のを問題視して、易しく書かれた入門書。

 

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「あぁ胃が痛い…あれ、胃ってどっちだっけ?」と思ったのがきっかけで、カラダの中身がわかる本を探しました。

 

でもどれもこれも面白くない。それは多分、僕が理解できないから。その点、この本はカラダの中身を知らない人に向けて書かれているので、なんとか読み切れました。

 

ここを入り口に、もっとカラダの仕組みを知りたくなりました。

 

安藤 直子

アトピー性皮膚炎

患者1000人の証言

 

2008年刊行。1964年生まれの著者は、小学校に上がるころからか、冬場にときどき、肘と膝の内側に湿疹ができるようになった。

 

思春期には治まったけれど、ニキビの治療で訪れた皮膚科で、ついでに訴えた ”右目の下の痒いできもの” に、何も書かれていないチューブに入った10gの薬を処方された。

 

何の説明もなかったため、2年間も塗り続けたその薬は "ロコイド” だったことを知ってからは怖くなり、やめればやめたで劇症化した。

 

辛い思いをしながらも大学を出て、治療の方針をめぐって家族との軋轢もあり、アメリカへ渡って、突然症状は好転する。

 

しかし再発して離職せざるをえず、96年に帰国。新薬の ”プロトピック” の治験に参加して最初はよく効いたものの、5年後に悪化しはじめ、ステロイドに切り替えざるをえなくなる。

 

どうしてもそれを使い続けることが良いとは思えず、「生きるのが辛い」とまで思う症状を抱えながらも薬から離れて5年。だいぶ良くなってきたのを機に、同じような悩みを抱える人たちの声を集めることを決意し、80問近い項目のアンケートを2087部配布して、回収できた1074部の統計をまとめている。

 

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アトピー関連の本は信憑性に欠ける、と僕は思います。で、この本は良く考えて書かれてる。なるべく、誰も責めないようにしています。

 

病気にならなかったら、まず読まなかっただろうなぁ。他人の苦しみを親身に感じられるようになったのは、むしろ良かったと思います。

 

個人的には、毎食サラダを食べるようにしてから、だいぶ良くなりました。

 

 

サイモン シン

青木 薫 訳

暗号解読

 

2001年邦訳、2007年文庫化。

 

人類有史以来、通信の秘密を保つために、様々な暗号が考案されては、解読されてきた。

 

単純にアルファベットを幾つかずらして表記したり、意味のない記号を組み込んだり、単語を記号に置き換えたりするものの、それらはすべて解読されてきた。

 

第二次世界大戦でドイツ軍が採用した暗号機「エニグマ」はそれまでよりも格段な複雑さを持っていたが、ポーランドのスパイ活動による情報と、イギリス軍による暗号の「鍵」の解読技術によって、連合軍は常に一手先を打つことに成功した。

 

日本軍の暗号「パープル」もアメリカ軍に破られ、ミッドウェー海戦に大勝し、山本五十六は暗殺された。

 

戦後、暗号はさらに進化する。常に問題とされたのは、どんなに複雑な暗号にも「鍵」となる存在が必要とされたことだった。

 

インターネット上での通信に、暗号化は欠かせない。やがて「公開鍵暗号」が誕生し、その進化は現在も続く。

 

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地味なテーマだなぁと思ったけど、そんなことなかった。数学に、より興味を持ちました。

 

元少年A

絶歌

 

2015年刊行。著者の生い立ちから14歳で逮捕されるまでの経緯と、その年のうちに医療少年院に送られるまでを第一部とする。

 

それから7年後、21歳で仮退院したところから第二部は始まる。家族が受け入れを申し出たもののそれを断り、できるだけ他人との関わりを避けて、様々な職を転々としながら一人暮らしを続けている。

 

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なんであんなヒドイことしちゃったんだろう?とずっと疑問だったんで、出てしまったからには読まないわけにはいかないか・・・と重い気持ちで読みました。

 

僕が小学生の頃、自分でイイカゲンな国名を作って、ごみ捨て場で拾ってきた鉄の板に数字を書いて、その国のお金だ!なんて遊んでたことがある。

 

そんなことしながら、オリジナリティーってなんだろう?と考えてた。自分自身で何かを創り出したい、ということだったんだけど、それには周りが評価する支持がなくっちゃ意味がないんだな、と気付いた。

 

僕はそうやって世間と折り合いをつけてきたけど、なんだかうまく生きていけないなぁと思うことも、未だに多いです。

 

 

大正天皇
原 武史
大正天皇

2000年作。明治と昭和の天皇に関しては、数多くの評伝や研究がなされてきたにもかかわらず、その間に立つ大正天皇(1879〜1926、在位1912〜26)にはほとんど触れられなかった。

その原因は ”遠眼鏡事件” にあると思われるが、その信憑性をはじめとして、明治天皇の側室の子として生まれた ”明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王” の幼少期からの病状、健康を回復した青年期の皇太子としての精力的な活動、結婚、明治天皇の崩御に伴う即位から程なくして再発した病状から死に至るまでを、数少ない文献資料から研究している。

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「大正デモクラシーと灯台下暗しは似ている」 というダジャレでしか知らない大正時代。デモクラシーの意味すらわからない子供の頃、”マカロニほうれん荘” で読んだんだっけかな…?

なんとなく明治天皇は好きじゃないんだけど、それは大正天皇にとって「なんかおっかないおっさん」だったからなのかも知れない。

三人の男児に恵まれつつも、「側室を持ちたい」という本音を漏らしたところで笑いました。

この人が昭和天皇のお父さんなんだよねぇ。面白い人だったんだろうな。今の日本の現状を見たら、きっと嫌がると思う。いい意味で、フツーの人だったんだろうと思いました。

私は闘う
野中 広務
私は闘う

1996年作。1925年(大正14年)生まれの著者は二十歳で終戦、自決を思い留まって帰京する。

「戦前の私たちは知らないうちに、教育をされ、戦争に突入していった。私はこうした民族性に恐怖を感じる」(『終章 政治家の条件』より)

地元の青年団で活動するうち、一緒に活動していた仲間が勝手に町議に推薦して、3回当選した後に町長を「やるはめになった」のが三十三歳。京都府政のやり方と戦い続けて、五十七で京都府副知事になった時、「お務めは一期限り…これで政治の道は切ろう」 と考えていた。

1994年6月27日に発生した松本サリン事件の三日後に発足した村山内閣で、著者は自治大臣兼国家公安委員長を拝命する。翌年の阪神・淡路大震災への対応に追われる中、地下鉄サリン事件の全面解決に向けて強制捜査を指示している時、著者にしか知りえないことを本にしよう、と思っていた。

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容赦ない、他人への悪口が面白い本です。「森さんがペラペラ喋るから大変だった」 とか、「河野さんには政治家としての限界を感じた」 とか、「金丸さんを売った小沢一郎は許せない」 とか。

僕が選挙権を得た時、日本新党ブームで盛り上がってて、政治って何だろう、憲法ってなんだ?と頑張って勉強してた。その頃の気持ちを思い出させてくれて、若返りました。

投票に行くのも行かないのも、その人次第。そんな自由な世の中が続いて欲しいです。
異端の数ゼロ
チャールズ サイフェ
林 大(まさる)訳
異端の数ゼロ
数学・物理学が恐れる最も危険な概念

1999年作。人類が数を数え始めた時、ひとつ、ふたつと「たくさん」だった。

やがて「1」「2」「2と1」「2と2と1」となり、片手で「5(Ⅴ)」、両手で「10(Ⅹ)」、両足も使って「20(ⅩⅩ)」がひとくくりの単位になっていく。

目に見えているものを扱うにはそれで十分だったが、扱いにくい分数を小数点以下で書きあらわすようになったのは、60進法を用いたバビロニア文明だったという。

その記数法が優れていたにもかかわらず、当時のギリシア人とローマ人は採用しなかった。それは虚無への恐れであり、神の存在を脅かす概念であるからだった。

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子供の頃、「算数ドリル」を解くのが好きだった。簡単だったからね。でもなんとなく、十で位が上がるのが本当に正しいのかな?なんて変なことを考えてた。

だって時計は60分だし、ビールは12本で1ダース、アメリカでは20ドル札があるっていうじゃないか。

そんな混乱をしながら大人になってしまったけど、今でも数にたいする疑問は続いてます。こんなに便利なゼロを西洋がなかなか採用しなかったのは、アリストテレスを信仰していたヨーロッパのせいなんだなぁと、この本に教わりました。

ヘッダ・ガブラー
イプセン
ヘッダ・ガブラー
(台本編纂 笹部 博司)

1890年作。29歳になったガブラー将軍の娘ヘッダは、「そろそろ潮時だと思って」4つ年上の、教授職目前の前途有望なテスマンと結婚する。

夫の仕事である研究も兼ねた、半年間の新婚旅行から帰った夫妻を、ヘッダに気がある中年の友人ブラックが訪ねてきて、ヘッダは打ち明ける。「退屈で退屈で、死ぬかと思ったわよ」

そんな折、ヘッダのかつての恋人、レェーヴボルクがこの町に来ていると、後輩のテアに知らされる。テアは生活のために結婚した年配の旦那に我慢ならなくなって、レェーヴボルクを慕って家出してきていた。

ヘッダと彼のかつての関係を、誰も知らない。ヘッダは退屈しのぎに、すべてをぶち壊しにしようとする・・・。

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劇中、ヘッダは登場人物全員に「葡萄の葉っぱよ」と唐突に言って、「ブドウの葉っぱってなに?」と聞き返されるも、なにも説明しません。

調べてみたら、それはディオニュソスの髪飾りだった。ディオニュソスはバッカスと同一視される酒神。葡萄の葉っぱは、享楽主義を象徴する舞台道具なんだね。

いろいろあって、最後にはピストルでこめかみを撃ち抜いてしまう衝撃的な話ではあるけど、ヘッダのセリフは面白い。イプセンはいやらしいおっさんだったんだろうなぁ~と、勝手なイメージを膨らませてます。

2001年宇宙の旅 ワーナーホームビデオ Blu-ray
スタンリー キューブリック 監督
木原 たけし 字幕翻訳
2001年宇宙の旅

1968年公開。人工知能HAL9000が運航する宇宙船は、3人の人工冬眠された科学者と、2人の宇宙飛行士を乗せて、木星へと向かっていた。

搭乗者には渡航の目的が知らされていなかった。その元となる出来事から、映画は始まる。

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はじめて観たときは、エンディングで 「はぁ?」 となったけど、そのわけを知りたくて何度も観てます。

途中まではSFなんだけど、終盤はじつは宇宙へ向かってるんじゃなくって、人間の深層心理への旅の映像化なんじゃないか、と僕は解釈しました。

2001年宇宙の旅 早川書房
アーサー・C・クラーク
伊藤 典夫 訳
2001年宇宙の旅

1968年作。著者がキューブリックと共に、映画撮影と同時に書き進めた脚本を元にして小説化した。

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途中までは映画のノベライズみたいで読みやすいんだけど、終盤になってすごく読みづらくなった。

たぶんキューブリックはロマン主義で、クラークは科学万能主義なんじゃないかと思う。で、僕は幻想的な話が好みなのかな・・・。

でも映画も小説も、勝るとも劣らない名作です。

荒野へ 集英社文庫
ジョン クラカワー
佐宗 鈴夫 訳
荒野へ

1995年作。1992年8月、アラスカ奥地でひとりの青年の腐乱死体が発見された。

身元が明らかになるにつれ、この学業優秀な、前途有望なスポーツマンがなぜ、地図もコンパスも持たない無謀な旅をしていたのか?とセンセーショナルに報じられるようになった。

自身も死を覚悟したアラスカのデナリ山登山の動機とシンパシーを感じた著者が、綿密な取材の末にまとめたドキュメンタリー作品。

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死んだ青年は、自分の力で人生を切りひらこうと思ってたんだと思う。僕もそう思ったことがあったけど、それは若い頃特有の思い上がりだったなぁ。いや、彼のように学業優秀ではなかったけど。

よく考える人ほど、楽な生き方なんてできない。でも、楽に生きてる人なんていないのかもしれないねぇと思います。

死んだ時に惜しまれるような存在になりたいもんだなぁ、なんてとんだ思い上がりなのかもしれないですかね。