一体、どうして、カルトであることが周知されて30年も経ってから、リトル・ぺブルのメッセージが溢れているのか疑問なのですが・・・。くだんのブログ主は、鬼塚五十一の本も頻繁に紹介していますので、広島司教区の警告文も掲載します。

 なお、この集団は、その後、カトリックを棄教し、米国のオーソドックスの分派に鞍替えし、今や風水にこだわったり、動物愛護に極端に熱心だったりと、当初とは全然離れた方向に行ってしまったと聞きます。
 

 2000年頃は、彼らは広島県安佐北区鈴張に集落を形成し、儀式では水のぶっかけ合いをやっていました。やったらめったら水をかけあう不思議な儀式を繰り広げていました。また、リトル・ぺブルと、ミミ萩原や鬼塚五十一らは1995年頃までは親密でしたが、その後、喧嘩別れし、ミミや鬼塚は広島県に集落を形成していました。

 

広島教区本部事務局からのお知らせ

 

教区の皆様へ

 

「マリアン・オーソドックス・カトリック・チャーチ・オブ・広島・ジャパン」について

 

最近、広島司教区内の各所(特に広島市内)に標記団体の方が、「第4回MCHJクリスマスの集い99」のチラシを路上で配り、参加を呼びかけています。名称の中に「カトリック」が含まれていますが、カトリック教会とも広島教区とも無関係の団体です。

 

広島教区教区長三末篤實司教は、1993年9月20日付け広島教区信徒一同宛てに「萩原妙美さんとその共同体の信心について」の通達をしています。この時点でミミ萩原こと萩原妙美さんとその共同体は、「シャーベル共同体」と名乗っていました。その後、この共同体は以下のように名前を使用していますが、同一のものです。

「MJFコミュニティー」

「MJFコミュニティー・ビザンチン・カトリック・フランシスコ会」

「MCHJマリアン・チャーチ・オブ・広島・ジャパン」

「MCHJマリアン・オーソドックス・カトリック・チャーチ・オブ・広島・ジャパン」

「萩原妙美さんとその共同体の信心について」の通達をもう一度確認しておきます。

1 萩原妙美さんが聖母から受けたというメッセージは、カトリック教会として、真実なものとは認められない。

2 萩原妙美さんを中心とした共同体の活動や言動や礼拝は、カトリック教会の活動や言動や礼拝ではない。

3 この共同体が今後、巡礼地、礼拝所、聖地などを造ったとしても、それらはカトリック教会とは無関係のものである。

4 それらの場所では、如何なる者であっても、聖なる典礼を執り行ってはならない。また、カトリック教会のメンバーとして、それに参加してはならない。

追記:「グランラセーレ広島 本格的カテドラル聖マリア大聖堂クリスマスミサ」は、カトリック教会とも広島教区とも無関係です。

信徒ならびに関係の方に、至急お知らせください。

 

1999年12月6日

広島教区事務局長 原田豊己

 

 

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 最近、リトル・ぺブルやマリア・ディバイン・マーシーの関係者が、ブログやTwitterなどでしきりと宣伝をしています。どちらも、カトリック教会から認められた活動ではありませんので、ご注意ください。

 

 名古屋教区 野村司教様の声明を掲載します。

 

 

主任神父様
信徒の皆様
 

お知らせ
 
 ウイリアム・カム氏(リットル・ペブル)によって創立された「ローマ・カトリック使徒教会の教えにしたがった聖シャーベル修道会」と称するグループはカトリック教会が認める修道会ではありません。

 そのグループの司教や司祭を名乗っている人たちはカトリック教会によって正当に叙階されていません。

 さらにそのグループに属する人たちは、そのグループから離れカトリック教会に帰って来ないかぎり、カトリック教会の成員ではなくなっています。

 彼らは「日本中をくまなく回り、多数の共同体を各地に設立させます」と言っており、教会の信徒の方たちに働きかける可能性がありますので、お知らせいたします。


2004年11月10日

カトリック名古屋教区
司教 野村 純一

 

 

 
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 全く宣教に携わっていない人がいないようにできないものでしょうか。

・ある人はTwitter担当
・別の人はフェイスブック担当
・別の人はWikipedia担当
・別の人はブログ担当
・別の人はメールで宣伝担当、等々

 一人残らず、全員に1ミッションを割り振ってはどうでしょうか?

 そして、最低でも一週間に一投稿くらいは積極的な布教の義務を課しましょう。日本の全人口のうち、1億2千万人は非キリスト教徒です。こういう国に生まれて、全く布教をしないのは、もはや大罪レベルの怠慢ですよ。
 

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 このように第二バチカン公会議直後の1965年から分かりやすいようにカトリック教会の召命(神学生)が激減しているのが分かります。この間にカトリックの「信者」は倍になっているにもかかわらず・・・

 今年の初め、ジョン・ズールスドルフ神父はグラフを紹介しました。

 第二バチカン公会議までは、アメリカの司祭の数は増加傾向にありました。しかしその後(第二バチカン公会議後)、急降下しました・・・。

※この傾向は殆どの国のカトリック教会にも見られる現象ですが、一方聖伝ではそうではありません。

 こちらは、アメリカにおけるラテン語ミサの成長を示すグラフです。

 もちろん、聖伝の秘跡を学ぼうとする司祭がいなければ、どれも持続可能なものではありませんが、ありがたいことに、少なくともアメリカの他の教区に比例して、多くの教区が設立されつつあるります。

 このグラフは、FSSP(聖ペトロ会)への召命の増加を示しています。


※青は会員数、赤は司祭数、緑は神学生

 そしてこのグラフは、1970年から2020年までのSSPX(聖ピオ10世会)への召命の増加を示しています。

「伝統は自己選択的だ」と批判する人もいるでしょう。はい、それは何千年もの間、どの宗教にも当てはまります。 (自己選択的でない宗教 は、イスラム教のように剣によって改宗するものだけです)。

 これは、カトリックの聖職が2000年もの間、まっすぐで、強く、独身である男性を求めてきた、焼き付けられた自己調整システムなのです。(1) 真剣な崇拝と、(2)魂の救済です。

 この2つは、少なくとも危機の時以外のカトリック教会の長期的な分析においては、人気よりも聖性に関心のある男性によってのみ実行されうるのです。通常の共同体では、どんな若者でも、教区司祭がキリストを求めているのか、それとも人気を求めているのか、察知できるものです。したがって、教区司祭が 「世俗」であろうとすれば(あるいは、流行に敏感であろうとすれば、クールであろうとすれば、愉快であろうとすれば、キュートであろうとすれば、詩的であろうとすれば)、少なくとも長期的には、逆説的に召命を失うことになります。

 司祭職はまた、イエズス・キリストの犠牲に参加することでもあります。

 従って、犠牲的な人は、古代(聖伝)の礼拝と秘跡を求め、実際、それはミサに参加している一般のカトリック信者への召命の割合だけでなく、SSPX(聖ピオ十世会)とFSSP(聖ペトロ会)へ召命の総数でさえ、2023年のこの時点でフランスのすべての教区を上回っています。アメリカもそれに続くのではないかと思います。

デビッド・ニックス神父

 

 

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 多くの人はミサや典礼への「積極的な参加」とは、物を運んだり(奉納)、拍手や握手したり、歌ったりすることだと思っています。私たちはそういったことをしながらも、実際には食料品リストのことを考えたり、試合のスコアを気にしたりすることができます。口笛を吹いているのに気づかなかったり、本を読んでいるのに今読んだ本の内容を覚えていなかったりという経験は誰にでもあります。

 私たちは何かをしているのですが、「人間らしく」行動していないのです。つまりそれはミサに必要な参加ではありません。

 私たちは、典礼という神聖な行為の中で起こっていることを、積極的に受け止めなければなりません。

 注意深く静かに見守ること、語られる御言葉や聖なる音楽に積極的に耳を傾けることは、物を持ち運んだりすることよりもはるかに能動的です。積極的な受容には、集中力と欲求、心と意志が必要です。

 私たちは、ミサの真の行為者であるキリストに積極的に服従し、キリストから積極的に受け取ります。キリストは私たちに必要なものを与えてくださるのであって、受動的な動物のようにではなく、積極的に受容し、関与するキリストの姿のように、です。内面的な参加は外面的な表現につながります。外面的なものは内面的なものに火をつけることもできます。

 積極的な参加の最も完全な形は、恵みの状態での聖体拝領であります。

 もしあなたが、ミサやその他の典礼儀式に、完全に、意識的に、実際に、積極的に参加したいと望むなら...。告解をしてください!


ジョン・ズールスドルフ神父

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 2015年11月11日から14日までの1週間、フランス国籍と思われるファビエンヌ・ゲレロという人物が、シンガポール大司教区内の様々な場所でローマ・カトリックの信仰に関するテーマで一連の講演を行いました。彼女はシンガポールで布教しようとする外国人講演者の大司教区および法令上の要件を遵守していません。彼女は大司教区によって承認されておらず、彼女のメッセージは相手にしてはいけません。

 今後、彼女はシンガポールでいかなる伝道活動も許可されませんのでご注意ください。彼女の講演を主催される皆様も同様にご注意ください。

「マリア・ディバイン・マーシー」

 シンガポール大司教区は、マリア・ディバイン・メルシーと名乗る個人のカルト的信奉に関連する信心具やその他の物品を入手、配布、使用、着用しないよう、ローマ・カトリック共同体のメンバーに強く勧告します。これらには、いわゆる'Numisma Salutis'(救いのメダイ)のような、認可されていない、あるいはよく知られていない信心具の「マリアン・メダイ」、「生ける神の印」が描かれたミニチュアの祈りのカード、およびマリア・ディバイン・マーシーのメッセージや予言を含む十字架や文献を含む、それらに付随する可能性のあるその他の物品が含まれます。これらは無認可のものであり、詐欺であり、カトリックの教えに反するものです。彼女に由来する物品を所持している者は、それらを処分するよう勧告します。

外国の宗教者/司祭による募金活動

 シンガポール大司教区内で最近、外国人宗教者や司祭が募金活動を試みているという報告があります。国外の団体による寄付の勧誘はすべて、証明書を添えて大司教区の認可を得る必要がありますのでご注意ください。また、国外のプロジェクトに対する募金活動を規制する民法の規範も遵守する必要があります。

シンガポール大司教区 カテドラル
 

 

 

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 カトリック信者は、備蓄や資産運用はやってもいいのか、という話題を巡って、伝統派の中でも意見が割れることがあります。これは、答えを書くならば、やってもいいのです。というか、ここまで情勢不安定な今の時代は、余裕があるならば、やらなきゃ駄目でしょう、という性質の問題です。

 ただし、あくまで自分の余裕に合わせて下さい。例えば、物資の備蓄にしても、アパート住まいの方は、二週間分も備蓄すれば十分かもしれません。それ以上に行えば、スペースを圧迫して生活の質を著しく下げてしまいかねません。逆に、一戸建てに住んでいる方は、数か月分の備蓄ができるでしょう。もし、一戸建てで庭もあり、庭に物置があったら・・・? その場合は、1年分のお米などを備蓄できるかもしれません。

 こういう時代で、こういう情勢ですから、めいめいの責任で物資の備蓄をしてもいいのです。むしろ、その余裕がありながらしないならば、家族に対しては無責任であり、怠慢の罪に当たるのではないでしょうか。

 資産運用にしても同じです。資産運用というよりも、資産防衛と書いていいと思います。最近は1ドルが151円になっていることで大騒ぎになっていますが、コロナ前の1ドル105円くらいから、一気に円安が進んだものです。

 日本は、無資源国で、何となれば地政学的に非常にもろい構造です。ある程度、資産がある人は、金や銀で保有するとか、他にもインフレに強くて法定通貨の価値の毀損にも耐えられそうなアセットを持つと賢明でしょう。仮に日本円が紙切れになったとしても、備えがあれば、なんとか凌げます。家族に対して責任を果たすことになりますし、勿論、聖ピオ十世会に貢献することにもなります。だって、聖ピオ十世会自身は、献金以外の固有の収益構造を持っておらず、常に信者の献金で賄われています。極端な話、信者の全員が破産をすれば、教会もすなわち破産なのです。高額の資産を持ちながら、何の対策もせず、情勢の変化で日本円は無価値になり、資産を溶かしてしまった・・・というのでは、むしろ怠慢の罪でしょう。

 ここ最近は、MDMというカルトを強く批判しました。マリア・ディバイン・マーシーは聖母のメッセージを偽造し、物資の備蓄を呼びかけている。だから、物資の備蓄はカルト的だ、みたいな論法を使う方が中にはいます。それは、ひどい話の混同です。それはそれ、これはこれであり、彼らがやっているからと必要な行動を避けるならば、彼らの為に、カルトの為に、命を落とすことになりかねません。それは愚かしいことでしょう・・・?

 マリア・ディバイン・マーシーの連中は、ロザリオの祈りも呼びかけています。カルトがやっているから、ロザリオの祈りをやめますか? そういうレベルのひどい話の混同であって、それとこれとは、分けて考えましょう。
 

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教皇フランシスコを「偉大な教皇」と擁護する人々は、以下の6つの特徴のうち1つ以上を持っている傾向がある:

1) 現代社会における伝統的な結婚の「理想」に疑問を抱いている不規則な結婚、またはその過去がある。
2) 同性に惹かれている、または同性に悩んでいるが、セックスを伝統的な結婚に限定したくない人。
3) 司教に経済的に依存している聖職、講演者、学校
4) シンクレティズム(混交主義):カトリシズムと土着宗教の混合(例:パチャママ)
5) 気候変動や製薬に金銭的または政治的関心がある。
6) すべての天罰の否定、あるいはすべて、あるいはほとんどすべてが天国に行けるというバルタザール的「希望」。

私はこれらの人々を非難しているわけではないし、私たちは皆、イエズス・キリストと信仰と悔い改めを必要としている。これは、「フランシスコは間違ったことをしない」というチアリーダーの周りにある、現象学的な特徴の集まりについての観察に過ぎない。

私は間違っているだろうか?私は何を見落としたのだろうか?

 

Dr Taylor Marshall

 

 

 

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 共産主義者として有名な弁護士ベラ・ドッド(1904-1969)は、カトリックの信仰を受け入れ、1930年代に神学校に共産主義者を配置する計画に加担していたことを認めた。彼女は個人的に1100人以上の共産主義者を神学校に入学させ、その目的は「公教会を認識できないほど変えること」であったという。

 彼女は以前にもそのようなことを主張したことがあったが、これほど力強く主張したことはなかった。この告白は、第二バチカン公会議前夜の1961年であった。彼女は、「ソフトマン」を使ったと言った。それは同性愛者(ソドム)の人達の事だ。

 なぜ、不自然な行為の実践者である必要があったのか、というと「普通の」共産主義者は改宗の可能性があり、不自然な欲望に燃え、他の男たちに囲まれている者は、天主のことを考えず、改宗する可能性が最も低いという理由であった。同性愛に対する伝統的な教えから、徐々に容認への移行は第二バチカン公会議で起こり、教会内で指数関数的に成長したのであった。

 ちなみにイタリア系の彼女は1952年にカトリック教会に再び受入れられたことを公にした。イタリアから洗礼証明書を取り寄せることができなかったため、ニューヨークの聖パトリック大聖堂でフルトン・シーン司教から条件付洗礼を受けた。

Bella Dodd "School of Darkness"

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