10年前に、その時の人生にしては抱えきれないほどの緊張と抱えきれないほどの責務を体験した。

そして、その体験を超える体験を未だにしていない。

21にして負ってしまった責任。逃げる方法も知らず、ただただ請け負った。あまりにも若かった。100人分の責任を担った。対話の方法もマネジメントの仕方もわからなかったのに、よくも学生の分際で受けたものだ。その時の心地としては、100人分の人生を受け持つような気分であった。そしてそれは成功した。ひとときの結果として。

 

そしてその挑戦に価値があったのかと言われれば、きっと今にしてその効果、効用が出ている。

ようやく10年の月日が経って、また新たな大きな挑戦をしようとしている。

挑戦なんてせずにコツコツと小さなことを積み重ねていく日々もあった。そういうことが大切であることも、無謀な挑戦があったからこそ、後になってわかったのだ。だけど、大きな挑戦をできたことは、今回の10年ぶりの大きな挑戦に繋がっている。

挑戦しようというスピリット、その姿勢がまさにそうだ。挑戦というのは、行動の大きな変化であり、ファイティングな(すりきれるほどの)気分での、「飛躍」をするようなことである。ただ、前回のような真っ暗闇を駆け抜けるような不安なものではなく、単なる自分の行動の変化である、と解釈している。認識の問題だ。意味のあることであると、実感を持っていることが自分の実感としての「確実さ」を増す。

 

うまく行くことは稀だ。大舞台でそれが発揮できたのなら、苦労も一塩。

しかし、実を言えば人生は常に本番だ。これは、最近とても強く思う。大舞台と捉えることは確かにあるけれど、それは常に現実の連続である。エネルギーとか力量的なものが加わって、一世一代の勝負になることもある。

今は、少しのことでも一つ一つの行為がその後の自分に影響を与える。だから、頭を使ってすべきことを考える。直感的に、そして、知識を求めて。