銀座散歩、新橋ステーションから昭和通りを渡り、いよいよ銀座8丁目です。

まずは、銀座博品館。

 

  銀座博品館

今は玩具を中心に売られてますが。

もとは、「帝国博品館勧工場」として創業されました。

こちらは、上野で開催された内国勧業博覧会の品々を売る勧工場として、多くの人たちが訪れる場でした。

時計塔付きの派手な洋風の外観であり好評を博しますが、大正期に入るころから、粗悪品を売る店が増え、勧工場人気も下火になってしまいます。

結局、昭和5年(1930)に廃業します。

 

その後、カフェやキャバレーなどが入りますが、昭和53年(1978)に創業80年を機に現在の10階建てビルが新築。

「博品館TOY PARK」として営業を再開、55年ぶりに「博品館」の名が復活しました。

ここの8階にある「博品館劇場」では、小規模のミュージカル、落語、コンサートも行われ、桜田淳子氏が一瞬だけ復活コンサートをここでやったこともあります。

 

このあたり、銀座の入り口付近にあたります。

「芝口御門」といういわゆる江戸城の見附的な場所でもありました。

そして、煉瓦街の残り香を匂わせる「煉瓦遺構の碑」が。

この煉瓦の碑のある通りは「金春通り」となります。

  金春通り

能役者の一座、金春の拝領地があり、その金春の屋敷が建てられていたことから、その名が付きました。

金春通りをパフォーマンスの舞台にして、金春流の薪能が毎年8月下旬に催されるそうです。(能楽金春祭り)

金春通りは花街として栄え、多くの芸者がいたといいます。

煉瓦街になった明治期以降も、花街はさらに拡大。

伝統ある「金春湯」も健在です。

銀座通りに出ると、銀座資生堂パーラーのビルが。

 

  東京銀座資生堂ビル

明治5年(1872)に福原有信がこの地で調剤薬局を開業。

明治35年(1902)には、資生堂パーラーの前身となる「ソーダファウンテン」を開設。

震災後、建築家の前田健二郎の設計により資生堂パーラーを再開させます。

現在のビルは2000年12月に竣工、2001年3月にオープンしました。

銀座通りは、平成10年(1998)に定められた地区計画「銀座ルール」以降ビル建設ラッシュが始まり、数多くのビルが立ち並んでいます。

その銀座通りに面した場所に、ある有名な喫茶店があります。

その紹介は次回に。

(日時指定投稿です)