金沢八景~文庫を歩く散歩の史跡紹介、第7弾は「金沢文庫」です。

金沢文庫は、称名寺内にあります。

トンネルの向こうにあるのは…。

はい、ここに金沢文庫はあります。

この日は特別展で「運慶」をやっておりました。

 

 

  金沢文庫

金沢北条氏の初代である北条実時は、幕府の評定衆を勤めていましたが、病気がちであったため、建治元年(1275)に職を辞して金沢に引きこもりました。

学問好きの実時は、永年にわたって集めた和漢の書を多数所蔵していたため、引退の際、それらの蔵書類を収蔵する建物を作ったのが金沢文庫の始まりとされています。

 

書庫を建てた場所は、実時の邸宅から小山を超えた西隣の谷で、自宅と文庫の間にトンネルを掘って行き来していました。

これは、鎌倉に住んでいた時、大切にしていた蔵書類を二回も火災で焼失してしまったことが要因らしいです。

その防火対策の為、素掘りのトンネルを作り、金沢文庫をその奥に建てたのだとか。

このトンネルはその素掘りトンネルとして残っています。

 

実時没後も、書物の収集や学問の研究は子孫に引き継がれ、金沢文庫の名は全国に広まります。

訪れる武将や文人も増え、「徒然草」の著者・兼好法師もその一人です。

金沢文庫は単に図書館としてだけではなく、講座を開くなど「金沢学校」としての活動もしていました。称名寺に学僧が100名以上常住していたこともあり、金沢は鎌倉幕府のまさに文教の地でした。

 

しかし、北条氏の滅亡によって、支援者を失った文庫は急速に衰退します。

貴重な蔵書類も、上杉憲実や北条氏康、徳川家康らによって持ち出されてしまったといいます。

その金沢文庫復興への第一歩は、明治30年(1897)に伊藤博文や横浜の実業家・平沼専蔵らによってはじめられました。

昭和5年には、神奈川県が昭和天皇即位の大典記念事業の一つとして、図書館と博物館の機能を持つ金沢文庫を復興。

平成2年にも再び実時が創建した場所(文庫ヶ谷)に新装開店しました。

 

現在文庫には約2万点にのぼる古書、古文書、美術工芸品類が所蔵され、このうち国宝・重要文化財が百余点にも及んでおり、資料の大半は鎌倉時代のもので、中世史研究の一大宝庫であるため、「東の正倉院」とも呼ばれています。

 

(日時指定投稿です)