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上下亀のブログ

私は、水槽の底にもぐったり、水面にぷかぷかしたり、上下を行き来していたので、長男がジョゲ(上下)と名づけました。長男が小6の時、学校からもらってきて、主人の家に養子縁組されたのです。主人と生活してもう13年目になります。

その2 脳に障害している当事者やその近縁の人はツーカーだが、家族や健常者は宇宙人みたいだ(主人が思っていること)

 
自分のこと、あるいは障害のことをよく分ってくれるのは、当時者仲間や近縁の脳が壊れた人たちです。身近な家族よりも当事者なのです。
 仕事に振り回されて、会う機会は少ないのですが、高次脳機能障害の会 ゆい沖縄の仲間に会うのが一番の楽しみなのです。そしてホッとする仲間、場所なのです。
 当事者だから甘えることもできないし、かといって威張ることもなく、ひがむこともなく、ときどき、自分の欠点など厳しい意見にも出会うのです。が、素直に受け入れられるので不思議です。
 当事者仲間はありがたいものです。
 

その2 三線がうまく弾けなくなったこと(主人が書いたもの)

 
わたし、以前ギターを弾いたり、三線を弾いたりとても好きでしたが、脳梗塞後、三線が弾けず歌を唄えなくなったことが、とてもショックでした。
 当初、リズム感が外れたり、音程がずれたりしていたようです。なによりも歌詞が浮かんでこず、歌の途中に途切れたりしました。あれれーという感じでした。
 
 熊本プラムの当事者 I・T さんと、縁があり平成15年ころ会いました。
彼は、カラオケが好きなので二人でいって、自分もどうにか唄ったのです。その当時 I ・Tさんはまだ歌手にもなってませんでしたが、そのとき、三線を弾いて2人で歌を唄うことを約束しました。

その後、自宅である北九州市小倉に帰り、幾度も三線を再挑戦しました。
しかし、以前のように弾けず唄えないこと、下手さ加減にあきれてはて、何度も三線を叩き折ろうとも試みました。それで長い間、三線を触ることができずにいました。

 それでも職場仲間(私の禁酒を知り酒を勧めない友達)からカラオケを誘われたり、カセットテープやCDの音楽を聞くようになり、沖縄に転勤し、やっと平成21年7月ころから、三線師匠から引っ張られた(元職場の先輩)こともあり、三線の練習をするようになりました。
  
 その間に I・T さんはあれよという間に歌手になってしまいましたが、私自信、かれと約束した三線歌はまだ覚えることができず、唄えないままです。
あーぁ無常"""
 

その1 体を大事にするようになったこと(主人が書いたもの)

 
こどもの頃は、心と体がひとつでしたが、40代ころから心と体がバラバラというか、そういう気持になりました。
 特に脳梗塞後は、ばらばらという感覚が強かったです。結局、体は自分のものではなく、授かりもの、乗り物という風に考えるようになってます。
 だから、体はていねいに、大事にしないとすぐ悲鳴を上げたり、反抗したりして言うこと聞きません。
 手入れをきちんと、ていねいにしていくと、言うことを聞き、丈夫になってきます。
 現在からだのためにやっているのは以下のとおりです。

    ① 体の調子にいつも気配りすること
    ② 年から年中、温冷浴を毎日すること
    ③ 入浴のとき、頭から足先までタワシで洗うこと
    ④ エネマ浣腸をすること
    ⑤ 自己指圧すること
    ⑥ 太極拳をすること
    ⑦ 食事をできる限り野菜中心にすること
    ⑧ 薬をできるかぎり飲まないようにすること(医者と相談の上)
    ⑨ 寝不足がないようにすること