ReRoots -復興にむけて-
続けてのエントリーですが、ぜひ書き留めておきたいことなので書いちゃいます。
先日4月の5,6日にあたしは上の子と二人で仙台市の若林区に行ってきました。
目的はボランティア。
震災直後、現実離れした映像をテレビでみて、行って手伝いたいと思ったものの
やったこともないし、食べ物や宿泊、トイレなど自分のことすらできなくてかえって迷惑をかけるような気がして
なかなか実行できませんでした。
そんなときネットでReRootsさんのブログを発見。読んでみると子供でも手伝うことができるとのこと。
ちょうど「春休みどうしようかなーお金使うなら東北行こうかなー」とノンビリ考えていたときでした。
そうだ、どうせならボランティアに行ってみよう。子供にはただの旅行よりも貴重な体験になるんでは?
と思い立ったわけです。
思い立ったもののやったことがなく行ったこともない土地なので不安でした。
まずほんとに中1になる子供なんて連れてって迷惑にならないか、泊まるところはどうするか、
一人で運転なので着く時間や帰る時間に無理はないか
など検討に検討を重ね、Googleを酷使し調べまくりましたw 一人ならなんとかなるけど子供もいたので。
住所から近くのホテルを探し、万が一のキャンセル(天候によって活動できないときは日を改めようと思っていたので)
はいつまで大丈夫かなどひとつひとつ確認しつつ持ち物なども準備しました。
実際行ってみたらそんなに大げさに考えるほどのことではなかったなと思うんだけど、
なんてったって始めての体験なので本当にドキドキでした。
当日は4時半ぐらいに家を出て、仙台には8時半ぐらいに到着。
高速を降りてみると普通の栄えた町並み。。。通勤時だったので渋滞していました。
「海沿いじゃないところは普通なんだなー」っていうのがまず思ったこと。
そしていざボランティアハウスに到着するととっても気さくなスタッフのかたが
当時のことも含めいろいろ教えてくれました。
コンビニで昼食分の食料を買い込み作業する現場につれていってもらいました。
この地域に伸びている仙台東部道路が防波堤がわりになって津波が止まったとのことで
この道路を境に景色ががらっと変わりました。
思わず子供もあたしも言葉を失いました。あたしには今までなんの縁もない土地で
震災前の姿はわからないけど涙がでました。ここで生活していた人はこの景色をみてどんなに辛いだろうと。。。
基礎だけ残っている元住宅地。何もない中に伸びてる道を走ってる車はほとんどがトラック。
復興に関わる車がほとんどでした。
さっき走ってきた渋滞の国道とはまったく違う。なんともいえない光景です。
そんな光景に絶句してるうちに現場に到着。
ちょっと説明すると、この若林区っていうところはもともと農業が盛んだったそうで、
津波で家は流されたものの仮設などで住むところはなんとかなった方たちも畑もやられてしまったため
仕事ができない=もとの暮らしには戻れないとのことで、主に農業の支援を主に活動してるらしいです。
詳しくはこちら
なのでもう派手な瓦礫撤去とかではないんです。畑に埋まってしまった細かい瓦礫を地道に地道に取り除きます。
海のそばでなにもさえぎるものがなく風が容赦なく吹き付ける中、コツコツと掘っては石ころを拾い、
また掘っては拾い・・・正直気の遠くなるような作業です。
「これ終わるの?」って思うけど、実際終わってキレイになった畑に作物を植えてるとこも
あるので、そういうのを見るといつかここにも作物が出来るようになるんだなぁと楽しみになります。
一日目の作業を終えて、荒浜の慰霊碑に案内してもらいました。
この荒浜というところは震災当日の夜のニュースで「荒浜に200~300の遺体が打ち上げられたということです」
といわれたところ。(今ではこの情報は間違っていたとの話もありますが・・・)
あたしもこれを聞いて「これは大変なことになったな」と被害の深刻さがわかった記憶があります。
ホントに辛い気持ちでお参りしてきました。慰霊碑は海のすぐ脇にあるんだけど、振り返ればすぐ住宅地。
そこはもう家の基礎しかなく本当にここに住宅が立ち並んでいたのだろうかと思うほどです。
本当につらい光景です。
そして二日目。朝から風がやや強く、前日と同じ作業を黙々とこなしていました。
しかしお昼からは自分がよろけるほどの強風。舞い上がる砂。目も開けてられず途中で中断になりました。
ここでもうあたしたちはやることもなく、せっかく初めてきた宮城で時間ができたのだから観光していいところも
見て帰ろうかってことになり、みんなに聞いたところ一緒に作業をしていた地元のかたに「ぜひ松島に行くといいよ」
と教えてもらい行ってきました。
多少被害もあったんだろうけど松島は本当にきれいだった。遊覧船の最終便にも間に合い、乗ることができました。
気がつけば顔も泥で真っ黒、着てるものはジャージww 慌てて顔を拭いたんだけどひどかったww
そして牛タンを食べ、ひたすら高速を走り帰りました。じゃあ帰ろうかってときに子供が「また宮城に来たいなぁ」
とぼそっと言いました。「でもボランティアは大変で疲れたじゃん?それでも来たい?」って聞いてみると
「今日は午後はなにもできなかったし、もうちょっとやりたかったなーあれじゃまだまだ大変だよね」と言っていました。
そんな言葉を聞けただけでも連れてきてよかったと思った。
今回行ってブログに載せるのはどんなもんかとちょっと悩みました。
とくに写真は被害を受けた地域を見世物にしていいのかと。
でもあたしが行って思ったのは、大きな瓦礫はきれいになくなり一見ずいぶんキレイになってるように見えるけど
実は元の生活にはまだまだほど遠いってこと。家は引っ越したり仮設に入ったりできても仕事がなければ
生活は難しく、その仕事場となる畑は使えず、復興させる気力も失った高齢の方も多くいること。
バーンと広がる荒れた畑にはまだまだ人の手が必要で、ブログに載せることによって少しでも現状をお知らせ
したかったので載せました。
震災からちょうど1年の3月11日はどのテレビ局も大々的に特集を組み派手に被災地のことを放送していました。
でも「ちょうど1年」は区切りではない。被災地の人たちに区切りなんてなく今もまだ「被災」は続いて
いるんだということ。これを伝えたかったです。
今の東北はひどいところばかりじゃなく、普通に生活している地域もたくさんあり、ボランティアも気軽にできると
思います。あたしのように震災直後はちょっと自信がなかった人も今ならできます。
ボランティアの内容もいろいろで今回のように子供でもできるものもあります。
あたしの周りにも「行ってみたいとは思ってるんだけどねー」って人がけっこういます。
そんなふうにちょっとでも思っている人にはぜひ行ってみて欲しいです。
あの光景をみたら風化させちゃいけないって思うはず。
子供はこの春から中学に入り、忙しい日々がはじまり、もうなかなか時間がとれないかもしれないけど、
また時間を見つけて行きたいです。
災害が多発する日本で生活していく彼女の人生で、今回の体験が少しでも実りのあるものとして心に残りますように。
最後にお世話になったReRootsさん、一緒に作業したいろんな地域からいらしたみなさん、ありがとうございました。