姉ちゃんが実家に帰りたいって言った 

母親は父親に電話をしたらしい よしわかったって話しで父親が一先ず東京に改めて 姉ちゃんを迎えに出てくると言う話でまとまり 旦那にも、伝え あとは 子供2人をどうするかで 旦那に母親が相談したら とりあえずは 鍵をわたして いわゆる鍵っ子 になるけど仕方ないですねと 


母親は絶対にそれだけはだめよと つっぱねて 旦那のご両親に来てもらうように説得してもらい 

3日後に 上京してくる事が決まった 

その間は母親が子供2人の面倒を見ることになった 

 旦那のご両親と交代するまで 


父親が翌日には

田舎から姉ちゃんを迎えにきたので 父親に連れられてマンションをでました 


がここでも一筋縄ではいかなかったようです

帰りたい(ママ友とかがいないとこに行きたい)んだけど 冷静になると子供2人をおいてはいけないって感情がやはりでてきて最寄りの駅まで行くもなかなか電車に、乗り込もうとしない 新幹線の時間もあるし とりあえず 腕を掴み 無理やり乗り込んだと


品川についていざ 新幹線にって時に 思いっきり ダッシュして 逃げて改札の方に走って行ったと まだ多少は父親も当時は若かったから おいかけて なんとかつかまえたと 


側からみたら

叔父さんが若い女を、追いかけ 腕を掴み揉めてると

駅員さんも出てきて 父親は駅員さんに事情を説明して


そしたら その駅員さん も いい人で 待機所みたいなとこを用意してくれて 新幹線がでるまで そこで待機をしたらしいです

父親はしかしまた 逃げ出すんじゃないかと 腕をつかんだまま 手をはなせなかったと言ってました 


無事新幹線に乗り込み 

乗り込んでも 父親は 広島までの間に停車する 大阪 名古屋 京都と 駅が近づくと気が気ではなかったと


しかし 姉ちゃんも 名古屋あたりからは

落ち着いてきたらしく お父さん大丈夫よ 流石に もぅ 逃げないからって 笑顔がでたと言ってました 


無事に広島までついて あとは車で 実家に 向かう途中で コンビニに立ち寄って欲しいと言われ コンビニに立ち寄ったけど 地元だからか やはり知り合いには会いたくないのか 降りないから 何が欲しいのかをきいたら プリッツのサラダ味が食べたいって 


あっ まだ 姉ちゃんサラダ味好きなまんまなんだぁって ちょっと笑ってしまいました 


 あれからもぅ 14年経つけど いまだに 僕もやはり忘れられなくて ビール飲み時とかはついつい買ってしまいます 

あと命日には

必ず サラダ味を買ってます 


実家に着いて すぐに いえに電話して子供達と話をしたって言ってました 


話しが前後しますが 

実家に帰る二週間くらいまえの話し


姉ちゃんは子供の髪は自分で散髪してました 

そして ずっとロングヘアだったんですけど

子育て始まって ちょっとずつ ちょっとずつ短くなっていっていた髪型 

基本的には

自分の髪も自分でカットしていました 


でたまたま ママ友から

いつも素敵な、髪型だけど どこでカットしてんのって言われ 子育て始まってからは 時間もないから大体自分でカットしてるよって話をしたらしいんです 


ほんとに 魔が悪いことっておきるんですよね 


姉ちゃんも鬱になっていたから 髪を切りたいなぁってなって ほんと基本自分でカットしてるのに たまたま

子供を学校に送りとどけて 少し誰かと会話できるかなくらいで ママ友にはあわないようなとこにわざわざ行ったにも関わらず 


カット中にふと 外をみたら 

数日前に いつも自分でカットしてるのって話をしたママ友が チャリンコで通りかかり 目があったと 


僕からしたら そこまで気にすることはないよって思うし そぅ、いうこともあるよって 思うけど

やはり鬱になってた 姉ちゃんからしたら

ほんとに普段自分でカットもしてるのに まるで嘘をついてるみたいじゃんって そぅ言う思考のほうにいってしまって もぅ 思考がそっちの方にいっちゃったら ダメで その後も ずっとマイナス思考なはなしばかりになって 


また

 続きをかきます 一先ずはここで



姉ちゃんの死因は朝方に確か

5時過ぎくらいだったかと 

子供部屋で首を吊っていたって 


母親が発見 

母親は起きてから子供たちの朝ご飯準備でキッチンに行ってご飯をつくりはじめるもなんか無性に気になって 子供部屋を見にいったら まだ5時だからくらいのに 部屋の明かりが扉のしたから こぼれていて ん?起きてる❓って思って どびらを開けようとしたら 鍵が閉まっていて開かない 名前を呼ぶも返事もない 

そぅこぅしてるうちに 旦那が飛び出してきて 鍵が開かないって言って 鍵を旦那に持ってきてもらって 鍵を開けて 開けようにも何かに つっかえて開かない 


旦那がグッと開けて 中に入れるスペースが出来たから 入ると 


内側のドアのぶに

紐をかけて そこで首を吊っていたと 


後から聞いたはなしで

包丁も ゴムにしても まして 紐とかも全て隠していたのに どっかからか みつけたか 何か 紐を 姉ちゃん自体隠し持っていたのかねって 母親が後で言ってました 


旦那はすぐに警察に、電話して 母親は直ぐに父親に電話して ←父親から僕に電話がきて 


僕が姉ちゃんのいえに到着したときは朝9時くらいだったかと思うのですが 既に 警察がきて

姉ちゃんを一先ず警察で検視とかでもう姉ちゃんはいなくて 母親はちょうど 奇特にも キッチンで 子供にご飯を作ってるとこでした あの時の母親の表情はいまでも忘れないです 

なんとも言えない 


ただただ 子供にご飯つくって食べさせなきゃって言う なんて言うのか もぅほんとに

ご飯なんて作ってる状況なんかじゃないだろうに 黙々と ご飯を作っていて 


子供達2人は パッとみたら 普通にキャッキャいいながら テレビゲームをしてました ←ある意味 救いでもありました 


まだ 状況を飲み込める年齢ではなかったし 

 だから

まだ ほんと 良かったのかもです

上のお兄ちゃんが10歳くらい

下の妹が6歳

子供2人も下の子も今年で成人を迎えました 

姉ちゃんも 見たかっただろうなぁと思う


色々な負の連鎖で 鬱になっていて 

しかし  誰を責める訳にもいかず 

もぅ これが

姉ちゃんの運命だったんだよと いいきかせる 


親友のお母さんは 電話で話した際に 


息子の事を ここまでしか生きれないように産んじゃて

ほんともうし訳なくてって涙ながらにおっしゃっていました 


死に方にいいも悪いもないのだけど

なんなんだろう 自殺って 

残された側が背負うものが とてつもなく 重い 

もちろん1番辛かったのは 当人なんですけど

やはり 


つらい つらすぎますね 




子供2人目が出来てからちょっとして 旦那の転勤で東京に姉ちゃんたちが広島から上京してきた 僕の住んでるとこと空いてれば車で20分とか、30分くらいのとこに越してきた 旦那は広島くるまえには東京の本社❔かな にいて 転勤で広島に行ってる際に姉ちゃんと

知り合った なので 旦那は東京に戻ってきた感じで知り合いも色々いたし 忙しいのもあり帰宅時間も凄い毎日遅かったらしい 


広島時代は姉ちゃんも地元に近いし 知り合いもいたし両親も毎週必ず週末には姉ちゃんのとこに行き孫と遊びだから姉ちゃんも息抜きしながら子育てもできていたんだと思う いつからだろう やはり

上京してきてから ちょっとずつ ちょっとずつ 歯車が噛み合わなくなってきたんだろうなと思う 


そして 僕のイメージでは バイクにも乗ったりなかなかアクティブで 活発なイメージがあったんだけど 結構人に気を使う性格だったみたいです 

 ママ友との付き合いも多分 ストレスになって行ってたんだろうなって 思います ほんと多分小さい何かから始まって それが だんだん大きくなって 体も心もガチガチに固まっていたんだとおもいます 

でも逆にガチガチのままだったら また違った結果にもなっていたんじゃないかなとも思えるんですけど そこを言うと 今度は母親がきっと更に考え込んでしまうだろうから 決して言えないんですけど 


姉ちゃんたちが上京してから 数年してから両親がはじめて遊びにきました 両親は姉ちゃんの家の近くにホテルを取り確か一週間くらい東京にいました 

僕もその時に 3回くらいは両親にも会っています 

母親はほぼ姉ちゃんのマンションの方で生活してたみたいで その時にやはり姉ちゃんとも色々話をして それで多分姉ちゃんも 水門が決壊したかのように母親に色々な話をしてきたみたいで 子供のこと 子育て 旦那との事 ママ友との関係性  もぅ多分この時点で既に鬱にはなっていたんです 


全く 僕もそれまで気づかなかったんですけどね 情けないです  


年に6回くらいかなぁ 旦那と姉ちゃんと子供2人と会うのは 軽くご飯たべてぇくらいで そんなに変わった印象もなかったんですけど 見せてなかっただけで 心の中ではほんとに色々あったんだろうなって 


たまたま両親が旅行がてら遊びに来て 

そこでちょっと気が緩んで←いいことなんですけどね 


気が緩んでからは

ほんとあっと言う間でした 

父親だけは一週間で一先ずは田舎に帰り 母親は一先ずそのまま残って 姉ちゃんを先ずは病院に連れて行くとかで確か1カ月位はいたと思います。 

その間に姉ちゃんの様子も急激に悪化と言うか、自殺願望が出てきちゃって 母親と話をしてても 急に壁に頭を打ちつけてみたりするって話を僕も聞かされたんですが その時はまだ僕はあまりピンときてなくて 実際見てもいなかったので その状況 は


長くなってきたので また 明日に続きは書きます