エドムという国家は姿を消す


エドム人の領地は、北はモアブ人との境界となるゼレドの奔流の谷で、南はアカバ湾に面するエラト(エロト)までの約160キロの範囲で、セイルの山地を含む地域でした。しかし、実際に、その勢力の及ぶ範囲はかなり広がっていたようです。

また、その歴史は古く、西暦前18世紀には一定の支配的な存在として、その民族性が認められていました。 聖書にはその歴史の始まりとして以下のように記録されています。

「その後エサウは,妻たち,息子,娘たち,また自分の家のすべての魂,さらに家畜の群れと,自分の持つほかのすべての獣と,すべての富財,すなわち自分がカナンの地でためたものを携えて,その兄弟ヤコブから離れた土地へ行った。7 これは,彼らが一緒に住むにはその貨財があまりに多くなり,その家畜の群れのゆえに,外国人としてとどまるその地が彼らを支えきれなかったからである。8 こうしてエサウはセイルの山地に住むことになった。エサウとはすなわちエドムである。 9 そして,これがセイルの山地にあるエドムの父エサウの歴史である」(創世記 36:6‐9)。

このエドムは、その後ヨエルの預言どおり裁きをうけたのでしょうか。

その預言の言葉は、バビロンの王ナボニドスの時代、西暦前6世紀の中ごろまでに成就しました。エドム人としては残りましたが、国家としては完全に滅亡してしまいました。

そのことは、このナボニドスによるエドムへの軍事遠征のおよそ100年後に書かれたマラキ書にはっきりと記録されています。

そこでは「エサウを憎んだ。わたしはついに彼の山々を荒れ果てた所とし,その相続分を荒野のジャッカルのための[場所]とした」(マラキ1:3)とあります。

今回はヨエル書が予告した「エホバのみ名を呼び求めるものはみな救われる」という言葉と、使徒パウロが引用した同じ言葉の現実性を理解するために、既に成就したヨエルの預言を取り上げました。

次回からは、さらにこのヨエル書が信頼できる預言書であること、そして、その成就した言葉と、イエス・キリストとの大切な関連などを、お知らせしたいと思います。

 

では!ヨエルでした。