昔は、有名人には

ゴーストライターなるものが

たくさんいて、そういうもので

しのいでいたことも多いと

思うんです。でも、いまは

どうか?ゴーストでは

きっと伝わらないと

思うんですね。

NYの幻、ではね…笑


秘書がやってました、

マネージャーがしております、

では伝わらない。本人が、

実物がやってないと、きっと

伝わらないんだと思うんです。


「本人と会おう。」なんです、鍵は。


なにからなにまでやる

必要はないし、当然、秘書や

マネージャー、秘書室があって

いいわけですが、肝心の発信や

情報伝達に関わることは、

きっと、トップや本人が

やったほうがいい。

トップセールスだけじゃなく

トップバイイングっていうこと

ですよね。トップが売買する。

トップが仕込む、トップが

仕入れる。トップが販売する。

じゃないと、やっぱり

伝わってこないんですね。


後光とかありがたみ、も含めて笑


僕は、これ、ぜんぶ、自分で

やってますよ。ぜんぶ自分で書いて

ます。だから、整合性なんて関係ない!

自分が思ったことを、その日、そのまま

出してる。何回も思うことなら、何回も

出します。依頼されたリフレインじゃなく

自分が唱えたいリフレインだから、いい!

のです。こういうのをね、人任せにしてる、

してた時代が長かったんです。お仕着せの、

というようなレイヤーでね。でも、それじゃ

やっぱり、人は動かないし、いまはそれは

見破られる、全部ばれることなんです。

名義貸し、みたいなことだと売れない

んですね。要するに、他人の手が

加わると売れない作用が働くん

です。その本人が時間をつくって、

時間がなくても、発信すべき

なんです。そこは巧妙さより、

本人の実感が勝ります。

本人の感じ、というものは

伝わります。時間がないから、

本人がうまく書けないのだなあ、

みたいなことだって、伝わったほうが

ファンになれます。いくらうまい文章

でも、他人が本人のつもりで書くより

よっぽど人は動いてくれます。そういう

動き方になっているんです。


まあ、僕もテキストは自分で書いて

ますけど、この場所やデザイン、仕組みは

アメーバさんにお借りしている、とも

いえます。その分、アクセスが増えれば

広告主のサイトにも飛ばせる力が

加えられるわけで、そこは自分の

メディア力です。自分の媒体化

なんですね。経典に関わる

スポンサーに目が留まるように

この仕組みはなっているわけ

なんですね。でも、俺にその

スポンサーから対価や支払いが

あるわけじゃない。もちろん、

そのスポンサーのサイトを

俺が見て、もっとこうしたら

いいんちゃうかなあ?みたいな

ことも考えます。もっと、ここが

こうだと、それは売れるんじゃないか、

みたいなことも当然考えますよね。

コピーライターですから。こういう

サイトじゃないと、人は見ないよ、

っていうことも、いまでは

クリエイティブの相談事としては

大きいことです。でも、もっと

問題なのは、その商品が自分の

手作りによってつくられているのか、

どこかからOEMみたいにして借りて

つくっているのか、なのですね。

OEMだと売れません。いまは

その、ブランド名義貸しでは

売れません。なにかひとつでも

いいから、じぶんらしい、独特の

発信がなければ、売れません。

一時的には売れたとしても、

売り続けられません。


飽きるとの戦いが、商いなんです。

飽きるとの戦いが、飽きない

なんですね。飽きる、との

飽くなき戦いこそが飽きない、

なのです。だから、飽きない。


だから、僕も、自分で飽きてる

部分は自然と書かなくなるし、「いま」

自分が関心あるテーマでお経を書いて

いるのです。自然科学みたいなもんです。

これは伝統工芸じゃないんです。アーカイブ

にはなっていますけど、古典芸能じゃない。

「いま関心がある。今日関心がある。そして

明日にはもう関心がないかもしれない。」

そういうものでもいいんですね。

それがリアルタイムっていう

同期性だと思うんです。人の

リアルじゃなく、自分のリアル

です。いま、こう思ってる、

ということを、完成させなくても

いいから、出す。そういう、

途中の生中継、途中の生状態、

とって出し、みたいなものが

人をひきつける時代なんです。


だから、商品とか、企業の速度

では、もう、もたないんですね。

そのノロさ、では持たないんです。

それでは、ノロウィルスなんです笑

それでは、ノロイ。イマ、思ったことを

出す。練り上げて、練りこんで、という

時間はないんですね。それを形に建設しよう

とか、つくりあげよう、なんてしてたら、

つくったときには、もう飽きています。

ただ、そういうものも必要ですよ、

物質的には。でも、それよりも、

そういう概念のおもしろさを

いかにアイディアとして所有

できるか、が今は先です。

それを実子できる業者や

スタッフ、デザイナー、

そういう人はいくらでも

います。いますけど、

そういう人に頼むまでの

企画や思いつき、発注依頼が

ないんですね。建設会社はいくら

でもあるんです。全員メンバーはいる。

しかし、それをどう漬かって、なにを

つくるか、がないんです。オオもとの

ネタもとがないんですね。



例えば、エグザイルのメンバーみたいな

存在は全国に限りなくあります。

AKBでもね。でも、それを、エグザイル

として、出してみるか?っていう

まとまりとしてのパッケージアイディア

がなかなか出せない。なかなか出ない。

そういう順番ですね。出せばもう

回りだすことはわかってても、

そのコンセプトそのものって

ものがあまり浮かばない。



僕の経典は、ここにテキストが

あります。これを、雑誌にしようが、

コラムにしようが、ブックにしようが、

ダンス映像に僕が出ようが、タオルに

しようが、コップにしようが、大ホール

にしようが、数珠にしようが、ぜんぶ

できる。物理的にできることなら

ぜんぶできるんです。それは

天浄教というコンセプトを

見つけたからです。これは

誰が真似してもできること

なんです。それは誰が真似

してもいい。でも、そこに

俺らしさ、俺のキャラクター、

俺のDNAが入ってるから、

まあ、この程度っちゃこの

程度なんだけど、一定の

ファン層もいてくれる。

順番はそこから、なんです。

ゼロからの順番をとれないと

順番はとれないままで終わる。


この、ゼロからの順番を、

誰かとやると、とれないんです。

そこを借りたらとれないんです。


だからね、そういう順番を

とれるか、なんですよ。

タオルのデザイナーに

なったら、タオルのアイディア

は浮かびません。天浄教が、

どんなタオルをつくれば

みんながありがたいのか、

みんながよろこんでくれるのか、

っていうところで、グッズ

とか、ショップとか、店舗

というものは、展開できるん

ですね。そのコンセプトという

のは、本当に、本人からしか

出てこないものです。これは

本人からしか発信できない

コンセプトなのです。

だから、それは、すべて

本人が実物として実在として

やってるほうが、伝わり画

速いんです。それが速いから、

それをしなくてもいい、とか、

それはしなくてもいい、とか

なにをしたらいいか、なにを

しなければいいか、ぜんぶ

わかるんです。天浄教大賞

なんてのを設けて、なにかを

募集して表彰してもいいんです。

天浄教ツアーみたいにして、

みんなでダンス合宿にでかけても

いいんです。それができるのが

コンセプトです。代理の作業員では

それは思いつけない。仕事を待つ、

仕事を請ける、っていうことの前に、

なんのコンセプトが必要なのか、

それを考えられる人は考えた

ほうがおもしろい。それで、

できることとできないことは

たちどころにわかってくるし、

無理はいらない、無理に必死は

いらない、金がないのにすることは

ない、っていうこともすべてわかります。


金があったら、というより、需要があったら、

ニーズがあったら考える。考えるとか作業に

入るというのは、そこからで十分なんです。

そこからでいい。力を借りるのは、その

ずいぶん後でいい。まず、コンセプトが

必要なんです。で、これが、普通、ほとんど

の場合、借り物だったり、なかったりします。

日本は輸入国ですから。それはしょうがない

んだけども、せめてアレンジコンセプトは

出したほうがいい。再認識させるような

アレンジ、再確認させるようなアレンジ、

そういうものでも立派なコンセプト。


それには、本人がやることだと思う。

本人が見る、書く、使う、出す、笑う。

本人が核なんです。本人がコンセプト。

その核を書くのがブランド、なんですね。

それは、極めて簡単なことだけれども、

ゼロの発見みたいに、絶対に発見できない

ものだったりします。わかれば簡単なんですよ。