3月になりましたね。
私、実はひそかに野望を持っていました。
G-SHOCKの日付部分が「29」から「1」に変わる瞬間をぜひ見ておきたかったのです。
ここにこういうふうに書いているということは、残念ながら見るの忘れたということです。
ちくしょう~、また4年後か。
話は変わって私Twitterもやってます。
とは言っても自分でつぶやくことはせず、友人や気になる人、好きなタレントをフォローしてツイートを見ているだけです。
Twitterはたまに「こういう人がいますよ。フォローしてみたらどうですか?」と勧めてくれることがあります。
例えば、私は有吉をフォローしているんですが、同じく有吉をフォローしている人達の中からランダムに選んで「この人も有吉をフォローしてますよ。きっと話が合うんじゃないですか」といった感じで勧めてくれてる…といった感じですね。
今日はそのオススメの中に意外な名前がありました。
それが
内海桂子師匠です。
失礼ですがもう90歳を超えた方でもあるし、Twitterをやっているというイメージ皆無でしたので驚きました。
驚いたというのは比喩ではなく普通に「ええっ」と声を上げてしまいましたね。
そして師匠のツイート、これがまた面白いんです。
PCもしくはスマホを使いこなしていらっしゃるんですね。
もっともITに精通した大正生まれではないでしょうか。
例えば2月25日のツイート。
内海桂子
@utumikeiko
2.26事件は早朝に起こったというから反乱軍は夜の十時の今頃にはすでに動き出していたか。昭和11年2月の私はアルバイトをしながら三味線のお稽古に通っていた。26日は住んでいた近くの日光街道に軍隊の車が兵隊を沢山乗せて慌ただしく動き回っていた。何かが起こったことは下町でもわかった。
まさか昭和11年に起こった二・二六事件の生の証言が平成28年の今になってネットで、しかもTwitterで読めるなんて。
私も将来こんなふうに歴史の語り部になれるんでしょうか。
「いやあ、浅間山荘事件の時はね。どのテレビ局も朝から晩まであればかりで参ったよ。鉄の玉を山荘にぶつけるしさ」とかね。
小さい頃にテレビの報道を観てた記憶はありますね。
内海桂子
@utumikeiko
瞼の上の腫物を除去する手術は短時間で終わったが抜糸をしなくてはならない。それまで抗生物質をのんで殺菌用のクリームを塗って痛くなればと痛み止めの錠剤をもらってきた。前の二つはしっかり守っているが鎮痛剤はまったく手をつけていない。切ったんだから痛いのは当たり前と思っていると痛くない。「切ったんだから痛いのは当たり前」、なかなか言えることではありません。
私みたいな凡人は「切って痛いから痛み止めを飲むのが当たり前」という感覚です。ダメだダメだ。
そして「痛いのは当たり前と思っていると痛くない」、私がこんな心境に達することができるのはいったいいつの日になるんでしょうか。
与えられた今の環境、この場合は「痛み」でしょうが、それを受け入れましょう。最大限に楽しみましょう。
ということなんでしょうか。
勉強になります。
早速フォローさせていただきました。