翌30日、仕事を終え11時、妹二人、かみさんと慈悲尾のあいネットへ。

納棺に先立って「湯灌の儀」を行う。

映画で知られるようになった納棺師が、父を清め、髭を剃り、顔色を整えていくが、随所で我々4人が関わっていく。

死装束をまとった父は、見違えるように綺麗で安らかな姿になり、納棺された。

12時過ぎ、東京在住の妹を駅まで送り、帰宅。

 

2月2日の通夜、3日の葬儀は池田のあいネットで行われる。前日までここに安置された。

中2日あったので、余裕をもって葬儀の準備をすることができた。

 

2月2日、仕事先から帰宅し通夜の準備。

昼過ぎ、東京在住の息子をバス停まで迎えに行き、支度をさせる。

午後4時、3人であいネット池田へ。

まずは進行係の女性と打ち合わせ。

午後5時、東京の妹夫婦、甥、姪が到着。遺族控室へ通す。

僧侶控室に入ったお寺さん(住職と息子さん)に挨拶。

親戚筋もポツポツと到着。

午後6時、通夜が始まった。経過は省略し、最後に私の挨拶で無事終了したが、挨拶の暗記に集中していたので、お坊さんの読経は全く覚えていない。

通夜振舞いでは、久しぶりに顔を合わせた従弟夫妻と話しながら寿司をつまんだ。

かみさんの運転で帰宅したのは9時頃だったか。

 

2月3日、父の棺に入れる菓子や果物を購入し、11時あいネットへ。

遺族控室に泊まった妹家族は、まだ散歩から戻ってこない。

進行係と打ち合わせが終わった頃、妹家族が戻り、4人の叔母さん達(母の妹)が御殿場から到着。一挙に賑やかになった。

12時30分、葬儀が始まった。内容は通夜とほぼ同じで、私の遺族代表挨拶の後、出棺。現在は釘を使わず石を軽く打つだけの形式的なものだ。

 

清水斎場(1年前工事中の画像。静岡市HPより)

妹たちとリムジンの霊柩車に乗り、清水の斎場へ。

新装なった清水斎場は、日本平中腹にあり、富士山が望める。

午後3時、点火。我々は待合室で歓談しながらお骨を待った。

午後4時、時間通りに案内が流れ、再び納骨室へ。

あんなに骨太で丈夫そうだった父が、たったひとつの骨壺に収まってしまった・・・。

帰りは皆さんと一緒にバスであいネットに戻った。

5時、次は精進落しだ。会場に入り、またまた挨拶。

懐石料理は、中々洒落ていて美味しかった。

6時過ぎ、会場出口で皆さんをお送りして葬儀は全て終了したが、祭壇に飾られた夥しい量の生花を(勿論他に山ほどの頂き物がある)持ち帰らなくてはならず、雨の中何とか車に積み込み、我が家に向かった。

 

次は四十九日法要だが、その前に仏壇を買わなくてはならない。

さらに遺産相続など煩わしい問題が、岩の様に立ちはだかっている。