大阪市立桜宮高校バスケットボール部のキャプテン(17歳)が、顧問教諭K(47歳)から体罰を受け自殺したニュースには皆さんも衝撃を受けたことと思う。
この悲劇を招いた問題の本質が、事なかれ主義の教育委員会と、勝利至上主義の高校側にあることは明らかだ。
ただ私はこの事件で注目された教師の体罰について考えてみたい。
私が今回の事件で最初に感じたことは、今の時代に生徒に暴力を振るう教師がいたのか?ということだった。運動部のコーチ・教師でさえ子供たちに手を上げればたちまち保護者からクレームを受ける時代だ。
現在、熱血教師と呼ばれる先生はめっきり少なくなった。
どこぞの組織がゆとり教育だの、平等教育だの、教師と生徒は友達だのと明日の日本を担う若者たちの知力弱体化を進め、教師の公務員化を進めてきた。
体罰は前時代の遺物、暴力、と頭から否定してきたはずではなかったか?
体罰は必要だ。子供に大人並みの人権は無い。言って分からなければ体で教えるしかない。
ただし体罰には愛がなくてはならない。所謂愛のムチだ。
子供を叩けば子供の受けた痛み以上に自分の手が痛まなければ、只の暴力だ。
気合を入れるために打つ往復ビンタなどは大いにやって欲しいが、怪我をさせては本末転倒だ。
バスケット部の顧問Kのやってきたことが只の暴力であることは明白だ。
暴力を背景に厳しいトレーニング強いて結果を出し、学校からはチヤホヤされて裸の王様になっていたのに違いない。人間というのは自分の行為がエスカレートしてくると、悪いと分かっていても制御できなくなるものだ。子供たちを殴ることが快感になり、ストレスを発散させていたのだろう。
そういった勘違い教師を監視するのが学校であり、教育委員会のはずだ。
教育界に限らず自分の仕事・役割に使命感を持たない人間が多すぎる。
他人には無関心で、自分のしていることが迷惑になっていることに気づかない。
こんな日本人が幅を利かせている。
我々は、人に対してもっとおせっかいでも良いのではないだろうか?
この悲劇を招いた問題の本質が、事なかれ主義の教育委員会と、勝利至上主義の高校側にあることは明らかだ。
ただ私はこの事件で注目された教師の体罰について考えてみたい。
私が今回の事件で最初に感じたことは、今の時代に生徒に暴力を振るう教師がいたのか?ということだった。運動部のコーチ・教師でさえ子供たちに手を上げればたちまち保護者からクレームを受ける時代だ。
現在、熱血教師と呼ばれる先生はめっきり少なくなった。
どこぞの組織がゆとり教育だの、平等教育だの、教師と生徒は友達だのと明日の日本を担う若者たちの知力弱体化を進め、教師の公務員化を進めてきた。
体罰は前時代の遺物、暴力、と頭から否定してきたはずではなかったか?
体罰は必要だ。子供に大人並みの人権は無い。言って分からなければ体で教えるしかない。
ただし体罰には愛がなくてはならない。所謂愛のムチだ。
子供を叩けば子供の受けた痛み以上に自分の手が痛まなければ、只の暴力だ。
気合を入れるために打つ往復ビンタなどは大いにやって欲しいが、怪我をさせては本末転倒だ。
バスケット部の顧問Kのやってきたことが只の暴力であることは明白だ。
暴力を背景に厳しいトレーニング強いて結果を出し、学校からはチヤホヤされて裸の王様になっていたのに違いない。人間というのは自分の行為がエスカレートしてくると、悪いと分かっていても制御できなくなるものだ。子供たちを殴ることが快感になり、ストレスを発散させていたのだろう。
そういった勘違い教師を監視するのが学校であり、教育委員会のはずだ。
教育界に限らず自分の仕事・役割に使命感を持たない人間が多すぎる。
他人には無関心で、自分のしていることが迷惑になっていることに気づかない。
こんな日本人が幅を利かせている。
我々は、人に対してもっとおせっかいでも良いのではないだろうか?