『iPhone』は日本人に受け入れられるか?:「複雑過ぎる」日本の携帯電話<WIRED VISION>
日本の携帯電話機とiPhoneの最大の違いは(私自身もスマートフォンを使った事はないが)、「それぞれのユーザーの使い勝手に合わせたそれぞれのカスタマイズができる点」であるだろうし、iPhoneを携帯電話に多機能がついた機種とみるか、UMPCに電話機能が付いたモノとみるかの違いに思える。
日本の携帯市場に入ってくれば大多数の人が「iPhoneというAppleの出した携帯電話」の認識で受けとめるだろうし、携帯電話として購入するであろう。携帯電話寄りな販売形態をとるならば おっしゃるように現在でも飽和状態な便利そうで実際は使いづらい(お試し的な)多機能な携帯電話を使いこなせない人が、使いこなせるわけがないように思える。。
(スマートフォンがUMPCに電話機能がついたモノなのか 定かではないが)スマートフォンは自由にそれぞれの使い方に合わせて、プログラム?アプリケーション?をインストールすることで、複雑な機能をより簡潔に使う事が出来るように調整できると認識している。
あらかじめ決められた各種(いつ使うかわからない機能の)ボタンの配列に考える時間を取られないように出来る機種。
それらのことをすべての人々がスマートに出来るようになっていれば きっと日本の携帯電話ユーザーは揃ってiPhoneに向かうだろう。でもきっとそうはならないと思う。
ほぼ勝手な想像であるが
日本の携帯電話の複雑さは 「一粒で二度美味しい」的発想から来ているように思えてならない。
開発者側は 電話機としての機能に便利機能の一環で付加価値的に詰め込んでいるからで、ある種の実験的お試し機能にほかならない。今後の機能の方向性を携帯電話機に搭載しリサーチし同時に開発している。
だから前機種にあった機能は無くなって変わりに新しい機能が盛り込まれている。ある意味メーカー側、携帯電話会社の「一粒で二度美味しい」
ユーザー側は とりあえず電話機能はもちろんのこと、便利な機能がついていれば 「いざというときに便利じゃん」的(そのいざというときが来なければ使わない機能になってゆく)「一粒で二度美味しい」
ここでいう「一粒で二度美味しい」は各立場での付加価値。付加したものが価値になるか使わない機能になるか。日本の携帯電話は市場調査なのかもしれない。その意味ではすべてのユーザーがiPhoneに向かうとは思えない。
決め込まれたお試し機能付き携帯に不満を抱くユーザーは間違いなくiPhoneに向かうと思う。