今日は、私の合宿免許の思い出話をお聞かせします。
時は、1978年7月でした。
私、28歳です。
就職もせず、横浜海岸通りで一人暮らしでした。
当時運転免許証は持っていませんでした。
急に思い立ち、合宿免許に行くことに決めました。
目的地は信州です。
学校は長野県更埴市にあり、近くに杏子の里や、戸倉上山田温泉があります。
場所で即決しました。
某日、東京の阿佐ヶ谷に集合でした。
男女ほとんど半々でした。
一台のバスに乗り込み出発しました。
私、女性と一緒に学校で学べると、最初から鼻息が荒かったです。
ところが、途中で、女性陣はすべて下車しました。
男女別々だったのです。
さすがに、学校は先見の明があると、今になって感心しています。
それほど、男性陣は、色々な癖の強い人間の集まりでした。
総勢20人くらいでしょうか。
元タクシーの運転手、現役の取り立て人、暴走族リーダー、
得体のしれない変人(私も含まれます)、
現役の大学生、
もちろん、ややまとまな社会人風の人もいました。
そして、学校に到着しました。
全員、合宿免許生用の宿舎に案内されました。
自動車学校のそばの、畑の真ん中にある、平屋のバラックでした。
部屋は10畳が3つと、台所、風呂場、トイレとなっていました。
しかし、玄関入り口にもうひとつ4畳半の部屋があります。
中には、家具等あり、誰かが生活している風でした。
後に判明したのは、その部屋には一人の男性がいて、
住み込んで免許を取得しようとしているとのことでした。
え・・・!?
住み込んで、免許取得・・・!?
未だに、意味不明です。
そして、我々は3部屋に7人づつ分かれました。
10畳に大の男7人はきついです。
私は、すぐに3人と友人関係になりました。
Aはとにかく、ジャニーズ風でイケメンでした。
高校も全国でもトップクラスのエリート校出身でした。
大学は中堅で、当時3年生でした。
Bは、大学2年生でした。
小柄で、誰にでも好感をもたれる人物でした。
そして、驚いたことに、私と同じ大学でした。
Cは21歳でした。
彼は、アルバイト生活でした。
彼も人柄が良く、誰にでも好かれるタイプでした。
私は、とにかく、この三人と交友関係を結び、寂しさは消えました。
ちょうど、時期が夏であり、畑の真ん中であり、部屋のクーラーの効きが悪く、
また、曲者ぞろいであり、地獄でした。
そして、羽蟻が大量に部屋中に発生し、我慢の限界に達しました。
私は、友人たち4人で、最寄りの屋代駅まで出かけ、殺虫剤のスプレーを買いに行きました。
費用は、合宿生で折半しました。
時には、昼間、麻雀もしました。
その中に、暴走族のリーダーがいました。
見るからに、ヤンキーそのもののような風貌をしていました。
在日朝鮮人でした。
日本語の読み書きが苦手のようでした。
私がゲームに勝ちました。
他のメンバーからは集金しました。
しかし、ヤンキーからは支払いを拒否されました。
私、合宿所で、喧嘩したくありませんでしたので、彼からは徴収しませんでした。
そして、大半の人が無事卒業して行きました。
私は、仮免試験を落ちてしまいました。
他の人よりかなり遅れることになりました。
もしかして、最後は、一人合宿所に取り残されることも頭をよぎりました。
ところが、友人三人も同じく仮免許試験に落ちたのです。
落ちたのは、我々四人だけでした。
合宿所の先生は、何と仲が良いのかと驚いていました。
その時は、感じていませんでしたが、最近分かったのです。
おそらく、他の三人はわざと落ちたのだということです。
私を、一人にさせないためです。
この年になって気づく自分自身が情けないです。
しかし、最後の1週間位は、合宿所は我々四人だけになったのです。
これほど、快適なことはありませんでした。
昼間、キャッチボールをしたり、雑談にふけったりしました。
そして、ある晩、四人で屋代駅まで行き、駅近のスナックに入りました。
そこは、歳の頃30歳半ばとみられる女性が、一人で切り盛りしていました。
我々は、お酒を飲み、カラオケに興じました。
すると、イケメンAがスナックのママさんとダンスを始めました。
かなり、親密な雰囲気になっていました。
Aは、その後、学校を卒業してからも、頻繁にママさんに会いに出かけたそうです。
モテルことは、ある意味罪です。
また、取り立て業のDさんも、印象深い人でした。
Dさんは、埼玉県で、小型トラックの運転手の傍ら、取り立て業の副業をしていました。
若い頃、ボクシングの経験もあると話していました。
小柄ですが、迫力はありました。
しかし、内面は大変優しい人でした。
合宿免許の先生の講和中、泣きだしてしまいました。
人生訓が、心に響いたそうです。
Dさんから私は、取り立て業の仲間に誘われました。
しかし丁重にお断りしました。
それにしても、この合宿免許の数週間は、私にとって、
忘れがたい、いい思い出となりました。
私の為に、友人三人が、故意に試験に落ちたということは、
今更ながら、感謝の気持ちでいっぱいです。
皆さんとは、卒業以来お付き合いはありません。
消息は分かりません。
しかし、幸せな人生を歩まれていることと思っていますし、願っています。



