フィリピンの家族たちから学ぶこと | 徐裕行のブログ

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毎年この季節にはフィリピンの嫁の実家に里帰りしている。
嫁は9人兄弟で、その兄弟たちの殆どがそれぞれ家庭を築いていて、一同に集まるとそれだけで数十人の大家族だ。
そこへきて、叔父さんやら叔母さんやら近所の人やらが入れ替わり立ち替わり出入りするものだから、帰郷した折には毎日がお祭り騒ぎのようなものだ。

日本では核家族化が進んで久しいがと言われるが、フィリピンでは(とりわけ田舎では)全くそんな気配はない。
家族を見渡してみれば、幼児、少年、10代、20代、30代、40代、50代、60代とそれぞれの年代が数人ずついて、コミュニケーションの断絶世代というものがない。
たとえば、幼児は家族全員から常に見守られていて、すぐ上のお兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒に遊び、成長する過程で自然と長幼の序や道徳心、家庭や社会のルールを学んでいく。
東京ではご近所付き合いが希薄になっているといわれるが、フィリピンでは40~50年前の東京の下町を思わせるような人間関係がまだ存在する。

考えてみれば、東京も昔は江戸っ子気質というものがあって、貧しいながらもご近所が助け合いながら暮らしていたはずである。
そもそも江戸っ子という言葉自体が、江戸に三代以上暮らす江戸育ちの人を指す言葉である。長年にわたり同じ場所に暮らしていたからこそ町内の人の顔を見知っているわけであり、コミュニケーションが深まっていくわけである。
2年ごとの賃貸アパートの更新ごとに引っ越しをしているようでは、来近所さんとの新ぼくが深まるはずもなく、ご近所どころの騒ぎではないのだ。

そういういみでは、確かにフィリピンは日本に比べて貧しい一面はあるかもしれないが、人間づきあいという面では羨ましく思えることも多々ある。

たとえばぼくがフィリピンに帰郷すると、毎年のように盛大に家族がパーティーを開催してくれるのだが、パーティーが始まると、読んでもいないが近所の子供たちが集まってくる。それに釣られてその子たちの親もやってきて、知らない間にパーティーが大盛況になっているということが多々ある。
中には、まったく知らない子供たちも多く混じっているが、誰もそんなことを気にしたりしない。パーティーが楽しければそれでいいのだ。

最初は単にフィリピンのご近所づきあいの大らかさと受け取っていたが、今にして思うと、このようなパーティーは日本で言うところの
盆踊りのようなものなのだろうか。
大きな音量に惹かれて家までやってくると、なんだか面白そうなことをやっているから仲間に入る、といった感覚のような気がする。

※下の写真は、ダンスミュージックを流している間は踊り、音楽が止まったらダンスを止めて動かない、「音楽版だるまさんが転んだ」ゲーム。優勝者にはおこずかいが渡される。子供たちは皆真剣。負けて泣きだす子も現れる。写真には写っていないが、ゲームに参加できなかった多くの子供たちがこの場にいた。


このようなフィリピンの田舎の一般家庭の人間関係は実際に現地に行って目の当たりにしなければわからないことだろう。
日本と比べて物質的にはそれほど贅沢はできないかもしれないが、自分がコミュニティーの一員である実感や充足感は現代日本よりも強く感じられるかも知れない。

さて、話は変わって朝鮮(韓国)人のことである。

朝鮮人も強い儒教の影響か、家族を非常に大切にする民族である。
ぼくも幼い頃、父親の膝に抱かれて
「朝鮮人は両親を尊敬して、親の言うことに逆らってはいけない」
「親の前で酒を飲んでもいいが、タバコは死ぬまで吸ってはいけない」
「大人になったら、日本人と結婚してはいけない」
「おまえは、達城徐家(ぼくの族譜)の末裔だぞ。おまえの祖先は両班なんだぞ」
などと、家庭内民族教育を施され、家族や一族に対する絆を大切にするよう教え込まれてきた。

たとえば、朝鮮人は多くのヤクザを排出しているといわれているし、事実、ヤクザ社会における在日朝鮮人の割合は決して少なくないと思われるが、そのようにヤクザ稼業に身を投じた人でさえ自分の親兄弟姉妹を大切にするものだ。

ぼくが民族学校から日本学校へ転校したとき、それほど愚れていない男子生徒が自分の親をジジイ、ババアと呼び捨てているのを目の当たりにして度肝を抜かれたことがある。
親を呼び捨てるなど朝鮮人社会ではあまり見かけない光景だ。

また、朝鮮人社会では実際の肉親でない比較的年齢の近い目上の男性を「ヒョン(兄さん)」または「オッパ(同)」とよび、女性に対しては「ヌナ(姉さん)」または「オンニ(同)」と疑似家族的な感覚で呼ぶ。
朝鮮学校に通う在日朝鮮人社会では小中高大学とエスカレーター式に進学していくため、疑似家族的な結束は非常に強く、地域に何世代も住みついている場合、地域コミュニティーの殆どの人が学校の先輩であり、兄さんであることになる。

ぼくのように北朝鮮や総連の拉致問題に対する姿勢を批判的にブログで書きたてたり、在日同胞とも口角泡を飛ばして議論しようとも、在日の地域社会では今でも後輩たちから「兄さん」と呼ばれ、かろうじて顔を立ててもらえる存在といての立場は維持している。

このように、在日朝鮮人たちはひと人との繋がりを非常に大切に考えているし、ましてや肉親の絆がどれほど断ちがたいものなのかを身をもって知っている人たちだ。

6年前にぼくが拉致問題を在日社会が中心となって解決する運動を立ち上げるべきだと訴えたとき、それに反論する在日朝鮮人の人たちは決して少数派ではなかったように思えるが、いまでは極一部の総連職員や北朝鮮政府の強硬な支持者以外は概ねぼくの意見に同調してもらえるのではないだろうか。

残すは、行動するだけだ。
在日朝鮮人には組織的な行動力がある。
その大きな組織力、団結力、人脈、経済力をもってすれば、拉致問題の解決に向けた糸口を模索できるに違いないと、ぼくは信じている。

在日社会は日本社会の一部である。
在日ほど日本と北朝鮮の関係改善に貢献し得る存在はいないのではないだろうか。