便所の落書きが、便所の落書きレベルの大衆認識を生み、思考、文化の劣化を生んでいる。
反応的で、個別性や深い背景まで踏み込まずに、良いか、悪いかという、自分自身の所業を棚に上げた批判は、やがて自分の行動、思考に対する虚しさを生むのだろう。
自分は正しい行いをしている、正しくあるべきだとういう思い込みは、いつか、自分がそこから外れたときに、やり場のない苦しみを味わうんだろう。他人に対してもそう。そこまで人間は立派なもんじゃない。
そんな本来の人間性の表裏一体を前提とせず、なにかをただ批判することに、果たしてなにが生まれるんだろう。いつまでも現実をより良く変えることはできず、ギャップだけが広がっていくんじゃないか。
私は、正しくありたい、あるべきはこれだっと思う気持ちを忘れない一方で、社会、人間の現実を受け止める心境のもとで、ではどうすべきかを提示し進めていける、そんな生き方がしたいと思う。
いや、、、こんなことはこれまでの人間社会のなかで、偉人達がやってきた当たり前のことなんだけれども。
どうしても今のネットの言論社会が、そこから外れ、利便性は高めるが、幸福感を低めているように思えて。自分のために気分が乗ったら、その都度かいていこう。