今日は中2の娘のバレーボールの試合を応援しに行ったのです。
思い返せば、昨年度の試合では、
かわいそうなくらい悪条件でした。
先輩は一人だけ、他新入部員は全くの素人。
そんなところからスタート。
しかし、一年間、先生の厳しい指導にも耐え、試合ではぼろぼろに負かされる屈辱にも耐え・・・・・
そうして一年後の今・・・・・・
結果として勝てはしなかったけど、
内容は上出来!上等!
雲泥の差! 充分!
今までは、ボールをお見合いするなど、
消極的、遠慮、点が入ってもやる事に追われ喜べない・・・だったのが、
きちんとした挨拶、礼儀、姿勢が出来ているのに始まり、
(なまじ技術で勝ってしまうところは、ダラダラ、ぺちゃくちゃ・・・)
諦めない、
誰かが崩れても、誰かが奮い立つ、
フォローする、カバーする、
個々の役割を果たそうと必死に頑張る・・・・等々
これを全員で底上げをしていたのです!
・・・この先輩がヒトリという状況は、先生の指導のみに等しくなり
イメージトレーニングをし難くかったり等、
無意識に成長できる環境とはならないもの。
しかし、そんな地の底から、確実に一歩一歩一人ひとり“素直な”徒歩で登っている姿が
ありありと分かりました。そう目に映りました。
技術的にもメンタル的にも
よくぞここまで成長した!
と感動を覚えるほど。
みんなもそうだけど、娘も成長していました。
自分の殻、枠を壊して。
例えば、普段は遠慮する性質だけど、
トスをあげる人に対し「持って来いっ!」など
他にも誰よりも攻めの声を出していたりして事など。
私は、試合の殆どを応援しに行っていました。
だから、その成長ぶりをずっと見てきました。
こういう姿というのは、本当に感動を覚えて泣きそうになります。
・・・・・試合が終わり、家内と帰ろうとすると、
顧問の先生に呼び止められ「みんながお礼を言いたい」、との事で
外にでると、待ち構えられていました。
「なにか一言を・・・」ということなので、
上記のような事を、
分かりやすく、良かった事、ココロ動かされた事を、
感じたありのままを言葉にして届けました。
「いや~、すごく良かったよ みんな!
こんだけ成長した自分を褒めて認めてあげて、
その部分を一つ一つ積み上げて出来テイル自分を作り上げて、自分に作ってあげて、自信をもって欲しい。」等々。
このように、苦しいところから立ち上がっていく姿、
しかし自分ではそれに気付かずに苦しみながら・・・
でも、第三者によって自分の成長に気付かされたときの喜び、
また、その気付いた、という姿を見れる第三者の喜び。
いいものである。
余談だが、
部員のみんなの我ら夫妻への反応は
「すごい!嬉しい!」
「かっこいい!」等々・・・
と大絶賛だったらしいです。
人は欠けている所ばかりに気を取られて、それが自分なんだと勘違いする
(幸せを数えるのに、不幸を数えてしまうのと同じ)ので、
そうじゃないんだよ、部活以外でも同じだよ、という事を意識したぐらいで、
ほかは、「よかった」と感じたままを
素直な気持ちの言葉で言ったまでです。
・・・・・・家に帰ってきた娘を我ら夫婦は、ホメまくり。
散々賞賛のシャワーを浴びせました。


