くらし   

 

食わずには生きてゆけない。

メシを

野菜を

肉を

空気を

光を

水を

親を

きょうだいを

師を

金もこころも

食わずには生きてこれなかった。

ふくれた腹をかかえ

口をぬぐえば

台所に散らばっている

にんじんのしっぽ

鳥の骨

父のはらわた

四十の日暮れ

私の目にはじめてあふれる獣の涙。

 

〈食わずには生きてゆけない〉――ご飯ではない。〈メシ〉である。差し迫ったありようが、音からも伝わってくる。「ゴ」「ハ」「ン」というオとアの母音が優しい《ご飯》の上品な響きと、「メ」と「シ」という口を横に引きつらせて厳しく発話される〈メシ〉の響きには、大きな違いがある。特に「ン」と口を閉じて余韻が残るのと、「シ」と無声の破裂音で亀裂が走るのとは、響きは対極にある。〈野菜〉や〈肉〉ばかりではない。〈空気〉や〈光〉〈水〉という自然環境にあるものまでも。すなわち、食うということで表わされているのは、生きるために摂取する生活のまわりにあるものすべて。生き延びるためにあるものすべてとは、〈親〉〈きょうだい〉〈師〉をも含む。そればかりではない。〈金〉も〈こころ〉も生きるための必須のモノである。何ということだろう。口をぬぐってみれば、己れの〈ふくれた腹〉。したがって、振り返ってみれば台所に散らばっている〈にんじんのしっぽ〉や〈鳥の骨〉。それに〈父のはらわた〉までも。のっぴきならぬところまでやってきて、暮らしという事情の奇怪さを思うに至るも、なお進むしか暮らしはない。

エッセイ「試験管に入れて」のなかで石垣りんは書いている――〈戦後、私を大切にしてくれていた祖父が亡くなる前、年をとったひとりの女が生きてゆくことをどのように案じるか、たずねました。「お嫁にも行かないで、この先、私がやってゆけると思う?」「ゆけると思うよ」「私は、私で終わらせようと思っているのだけれど」「ああいいだろうよ、人間、そうしあわせなものでもなかった」〉――哀しい対話である。祖父弥八が逝去するのは1953年、石垣りん三十三歳のとき。妻になることも母になることも、心には描いてはいたのに断念せざるをえなかった。祖父との会話を孫は一生こころに持ち続けていたにちがいない。〈私〉を〈私で終わらせよう〉という決意は、穏やかでありながらも悲痛のうちにある。それに対する祖父の優しい返答――〈人間、そうしあわせなものでもなかった〉。それは祖父自らがきっと己が人生を振り返っての回答であり、同時に孫への逆説的でせつない餞の言葉となっている。

振りかえることすらままならず突き進んできた暮らしのなかにいて、四十歳になって初めて目にあふれるものがあるという。涙である。それは人間の涙とはもはや言えない。半生を生き折り返し地点を廻った存在者による、食わずには生きてこれなかった涙であり、それは獣の涙なのである。しかしながら、四十歳まで知ることのなかった涙であっても、温かいうるおいこそはそこにある。詩篇のタイトル〈くらし〉というひらがなが優しい。それは〈メシ〉という語と脚韻となって響いているが、〈メシ〉が語尾に強勢があるのに対し、〈くらし〉は語尾が弱く溶け込んでゆくような響きを持つ。この響きのうちにやさしく包まれそうになるのは、初めて知ったこの涙によってなのである。

 

 万里小路譲 著『孤闘の詩人・石垣りんへの旅』(コールサック社2019.5.18)より