こんばんわ、インドでは21:00を迎えております。

先ほどインドで貧困などの問題について取り組んでいる団体として有名なプロジェクトに参加し、帰宅してきました。

貧富の格差が激しいと有名な国に数年住んでいた私は、スラム街の様子を知っていたつもりでしたが、そこには知らない世界が広がっていました。言語化できない何かが心に残っており、記録するとともに一体私が何を感じたのか、気持ちの整理をしようと思い、記録しております。少し書きなぐりをしているのでまとまりのない文章になってしまうかもしれませんが、温かい目で読んでくださるとうれしいです。

今の気持ちを表すと、日本が指す貧困の中身を見てきた気分です。


本来は日本の文化である折り紙を、彼らに教えてあげるつもりだったのですが、時間の関係上、このプランは明日に変更され、今日は子供たちのダンスのパーフォーマンスとドレスショウを見てきました。

始めは用意していただいた椅子に座り、子供たちが集まっていた場所から少し離れた位置で観貸していたのですが、先生にお願いして私も現地の方と交わらせていただきました。


私にとって貧困、poverty、のイメージは”お金に困っている人でした。

そういった家庭を一枚の写真に収めたら、貧困という型にはめられてしまうのかもしれませんが、これはとても表面的です

初めて、そういった子供たちと交流してきました。

みんな屈託のない笑顔で友達と会話をしていて、自にあふれた様子でパーフォーマンスをし、私とは別世界に住んでいるけれどそのため別の感性を持っていて、幸せな日々が彼らにあると肌で感じました。

では一体貧困とは何なのか?私にとって幸せと感じる瞬間はもちろん違う。もちろんかれらには無限に可能性があることを知ってほしいし、みんなに夢を持ってほしいと心の底から思っています。けれども限られたコミュニティでも与えられた人生を十分に幸せと感じている人もいると思いました。

何を感じたのか、それは少しオーバーな言い方かもしれませんが、教えてあげることがすべて良いことではないのではないかと。知らない方がかえって幸せなこともあるのかなと思ったのです。