京の都に名を轟かせた天才剣士。
$かつて日本は美しかった

 新選組の沖田総司は土方歳三と並んで現代でも人気があります。イケメンだったといいますが、そういう史実はなく、後世の創作と思われます。

 天才剣士と呼ばれた沖田総司は通称「菊一文字」という刀を持っていたと伝えられています。正式には「則宗」(のりむね)と言い、福岡一文字派の祖で備前国の刀工の作です。後鳥羽上皇が定めた皇位の紋である16弁の菊紋の銘が入っていたため菊一文字と称するようになったようです。

 さて沖田総司はどうやってこの刀を入手したのか。本当に菊一文字を持っていたのか。沖田総司は奥州白河藩の下級武士の子で貧乏口減らしのため近藤周助のもとに預けられています。金はありません。

<松田十刻著「沖田総司」>
上洛の際に姉ミツより沖田家先祖代々に伝わる加州金沢長兵衛藤原清光を持たされる。・・・菊一文字じゃない。

<三好徹著「沖田総司」>
京都で病で余命いくばくもない恋人「おあい」の両親が持っていたもので両親はどこかの大藩の武士だったらしい。その「おあい」から貰う。

<司馬遼太郎著「新選組血風録」>
懇意の刀屋、播磨屋道伯が沖田総司にほれ込み「貸す」と言って総司にそのまま持たせた。


 バラバラですね。話は大方創作というところですが、菊一文字逸話というのはほかにも医者の娘から貰ったとか聞いたことがあり、結構数あるんですよね。沖田総司は江戸で病のため死去したのですから実家の関係者に刀が残っているはずですが、菊一文字は残っていません。 WikiPediaを見ると子母澤寛の伝記から「沖田の刀は“菊一文字細身のつくり”」というのを司馬遼太郎氏の創作で広まったとしています。加州清光(上記松田氏の小説)、大和守安定の記録が残っているようです。とはいってもいくつも刀を変えますので完全には否定できないようですが。

 京の都にその名をとどろかせた天才剣士、志半ばで二十五の若さでこの世をさった沖田総司。その京の風景と若き剣士の姿を思い浮かべると「菊」と「一文字」の言葉が合っており、維新の時代ということもあり後鳥羽上皇ゆかりの名刀はピッタリはまります。日本人がそう思いそう創り、後世の日本人の心にも染み入って今現在も語られているのでしょう。



参考文献
 PHP文庫「沖田総司」松田十刻(著)
 学陽書房「沖田総司」三好徹(著)
 角川文庫「新選組血風録」司馬遼太郎(著)
 実業之日本社「新選組」松浦玲(監修)
参考サイト
 WikiPedia「則宗」「沖田総司」

添付画像
 沖田総司終焉の地 AUTH:koichiwb氏

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新選組始末記 池田屋事変
http://www.youtube.com/watch?v=R2CtjndCOcE