ASEANではどこも歓迎しない。
「村山談話」というのをご存知でしょうか。平成7年(1995年)8月15日に村山首相(当時)が発表した談話です。以下、その一部です。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」
こう言って謝罪しているのです。「遠くない過去」というのは大東亜戦争のことを指しています。大東亜戦争は自存自衛、アジア解放の戦争でした。特ア3国以外は日本の功績を高く評価しています。それなのに謝罪するとは「アジア解放」が間違いだった、と言っているのです。
実は村山談話より前、平成3年に海部俊樹首相(当時)がASEAN諸国を訪問し、シンガポールで同様の演説を行っています。
「今年は太平洋戦争の開始から50年の節目に当たり、私はあらためて今世紀前半の歴史を振り返り、多くのアジア・太平洋地域の人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたわが国の行為を厳しく反省する」
もちろん戦争には苦しみ悲しみがあり、それを直視することは必要ですが、戦争というものはさまざまな原因があり、さまざまな結果があります。大東亜戦争によってアジア解放が実現したのは誰の目にも明らかであり、全否定するようなことを言えば当然、反発もあります。この海部演説に対してASEAN諸国で幻滅した声を中島慎三郎という人が現地レポート「海部首相の人気がASEANで失墜」を書いています。
「日本はあれだけの大戦争を勇敢に戦いながら、その国の首相が、先輩の業績を否定するような発言するのは無責任だ」
ASEANの人たちは日本人はサムライ精神を持っている、と思っており、お詫びする日本人は歴史を否定するものとして軽蔑するのです。威張るのもダメだし、ペコペコするのもダメなんです。
「ヨーロッパは500年にわたってアジア・アフリカを搾取した。しかし彼らは決して謝罪しないし、賠償金も払わない。もしこれがイギリスや中国だったら『海部首相は利敵行為をした。彼は売国奴である』と罵倒されるに決まっている。英・蘭・仏等はなぜ謝罪も賠償金も払わないのか、研究しなさい」(オランダ系混血児、元新聞記者。ヤン・ビルダ夫人)
「私と同じ早大出身の海部首相が、大東亜戦争を理解しないのは遺憾である。あれでは戦死者は犬死になってしまう。アジアの大部分は親日なのに、なぜ少数派の反日派に迎合するのか」(早稲田出身のインドネシアのオマール・トシン博士)
こうしたアジアの声を象徴しているのが昭和30年(1955年)のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)での出来事がわかりやすいでしょう。日本の初代国連大使となった加瀬俊一氏がこの会議に参加して、このときの様子を語っています。以下一部を記します。日本人はしっかり記憶すべきです。
「アジア・アフリカというけれども、アジアは大東亜戦争の戦場でした。日本はいいこともしているけれど、ご承知のように悪いことをしなかったわけじゃない。それでね、『(会議に)行ったら白い目でみられるんじゃないか』と思ってあまり気が進まなかった。
しかし、その会議に行くとね、あちらこちらから、アフリカの代表、アジアの代表が出てきてね、『よく来たね』『日本のおかげだよ!』と大歓迎でした。それは『日本が、大東亜共同宣言というものを出して、アジア民族の解放を戦争目的とした、その宣言がなかったら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然として、イギリスの植民地、オランダの植民地、フランスの植民地のままだった。日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある』ということだった。
この時は『大東亜共同宣言』を出してよかった、と思いました。(中略)
こんな会議が開けるのも日本のおかげですと、『やあ、こっちへ来て下さい』『いやあ、今度は私のところへ来て下さい』といってね、大変なもて方だった。『やっぱり来てよかったなあ』とそう思いました」
参考文献
転展社「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編
桜の花出版「アジアが今あるのは 日本のお陰です」桜の花出版編集部
参考サイト
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
添付画像
バンドンの風景(PD)
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大東亜戦争の真実.flv
http://www.youtube.com/watch?v=aoaHZOQGBig
「村山談話」というのをご存知でしょうか。平成7年(1995年)8月15日に村山首相(当時)が発表した談話です。以下、その一部です。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」
こう言って謝罪しているのです。「遠くない過去」というのは大東亜戦争のことを指しています。大東亜戦争は自存自衛、アジア解放の戦争でした。特ア3国以外は日本の功績を高く評価しています。それなのに謝罪するとは「アジア解放」が間違いだった、と言っているのです。
実は村山談話より前、平成3年に海部俊樹首相(当時)がASEAN諸国を訪問し、シンガポールで同様の演説を行っています。
「今年は太平洋戦争の開始から50年の節目に当たり、私はあらためて今世紀前半の歴史を振り返り、多くのアジア・太平洋地域の人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたわが国の行為を厳しく反省する」
もちろん戦争には苦しみ悲しみがあり、それを直視することは必要ですが、戦争というものはさまざまな原因があり、さまざまな結果があります。大東亜戦争によってアジア解放が実現したのは誰の目にも明らかであり、全否定するようなことを言えば当然、反発もあります。この海部演説に対してASEAN諸国で幻滅した声を中島慎三郎という人が現地レポート「海部首相の人気がASEANで失墜」を書いています。
「日本はあれだけの大戦争を勇敢に戦いながら、その国の首相が、先輩の業績を否定するような発言するのは無責任だ」
ASEANの人たちは日本人はサムライ精神を持っている、と思っており、お詫びする日本人は歴史を否定するものとして軽蔑するのです。威張るのもダメだし、ペコペコするのもダメなんです。
「ヨーロッパは500年にわたってアジア・アフリカを搾取した。しかし彼らは決して謝罪しないし、賠償金も払わない。もしこれがイギリスや中国だったら『海部首相は利敵行為をした。彼は売国奴である』と罵倒されるに決まっている。英・蘭・仏等はなぜ謝罪も賠償金も払わないのか、研究しなさい」(オランダ系混血児、元新聞記者。ヤン・ビルダ夫人)
「私と同じ早大出身の海部首相が、大東亜戦争を理解しないのは遺憾である。あれでは戦死者は犬死になってしまう。アジアの大部分は親日なのに、なぜ少数派の反日派に迎合するのか」(早稲田出身のインドネシアのオマール・トシン博士)
こうしたアジアの声を象徴しているのが昭和30年(1955年)のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)での出来事がわかりやすいでしょう。日本の初代国連大使となった加瀬俊一氏がこの会議に参加して、このときの様子を語っています。以下一部を記します。日本人はしっかり記憶すべきです。
「アジア・アフリカというけれども、アジアは大東亜戦争の戦場でした。日本はいいこともしているけれど、ご承知のように悪いことをしなかったわけじゃない。それでね、『(会議に)行ったら白い目でみられるんじゃないか』と思ってあまり気が進まなかった。
しかし、その会議に行くとね、あちらこちらから、アフリカの代表、アジアの代表が出てきてね、『よく来たね』『日本のおかげだよ!』と大歓迎でした。それは『日本が、大東亜共同宣言というものを出して、アジア民族の解放を戦争目的とした、その宣言がなかったら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然として、イギリスの植民地、オランダの植民地、フランスの植民地のままだった。日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある』ということだった。
この時は『大東亜共同宣言』を出してよかった、と思いました。(中略)
こんな会議が開けるのも日本のおかげですと、『やあ、こっちへ来て下さい』『いやあ、今度は私のところへ来て下さい』といってね、大変なもて方だった。『やっぱり来てよかったなあ』とそう思いました」
参考文献
転展社「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編
桜の花出版「アジアが今あるのは 日本のお陰です」桜の花出版編集部
参考サイト
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
添付画像
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大東亜戦争の真実.flv
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