伝統は受け継がれた。
$かつて日本は美しかった

 オホサザキ(仁徳天皇)は日本の第16代天皇(在位:313年2月14日-399年2月7日)です。都市を発展させ善政を敷いたため聖帝として名高い天皇です。

 あるときオホサザキは高い山に登り、山上から国を眺め国情視察を行いました。するといずれの家からも煙が立ちのぼっていません。この情景から人々が貧しいため、煮炊きができないと判断した天皇は3年間、税や使役を免除しました。
その間、天皇も耐え忍びました。御殿が破損して雨漏りがしても修復せず、桶で雨を受けました。また、天皇自身が雨漏りのない箇所に移るという具合に自ら苦労されています。
この仁徳天皇のあたりから天皇は宗教的な神に近い存在から、統治上の具体的な解決を示す統治者に変化してきています。そしてその特徴は人民を思いやる慈悲深さであり、天皇自らも体験して分かち合うということにあります。

 仁徳天皇のこの話は昭和天皇に通じるものを感じます。

「朕は、茲に國體を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共に在り。」昭和20年8月15日 終戦の勅書 (赤誠・・・少しもうそや偽りのない心 信倚・・・信頼)

「朕は爾等国民と共に在り、常に利害を同じうし休戚を分たんと欲す」昭和21年1月1日 新日本建設に関する詔書の一文より。(休戚とは喜びも悲しみも、という意味)

「皇太子以下たべ盛りの子供たちはそうもゆくまいが、私の食事だけは国民と同じ配給量にしてくれ」
・・・戦後まもなく

「戦災の国民を考えれば私は平気だ。十日間ぐらい風呂に入らなくても構わない」
・・・昭和21年6月6日 巡幸に際して貨物駅に列車を止めて仮宿泊

「アメリカは勝ったんだし、金持ちなんだから、いい物着たって当たり前だが、日本は負けて、今みんな着るものも無くてこまっているじゃあないか。洋服なんか作る気になれない」
・・・昭和22年夏東北巡幸を前に侍従長に洋服の新調を勧められて。

 昭和天皇は昭和19年暮れより、防空施設として造られた御文庫に住まいを移されますが、終戦後も国民に住居がいきわたるまでは、と吹上御所に戻るのを断り続けました。

「公の仕事をするには手狭なところがあるが、私生活に不自由はない、引揚者や戦災者のことを思うとそんなもの(新居)を別に造るときではないと思います」
・・・昭和22年6月3日 文庫の手狭な様子について宮内庁記者の質問に答えて。

「家が建ったね」
・・・昭和22年12月広島行幸 広島の街を眺めながら。

 昭和36年12月に新たに建てられた吹上御所に移られました。
「こんないい家に住めるようになったのもみんな国民のおかげだ」



参考文献
 PHP文庫「日本の神話と古代史がよくわかる本」日本博学倶楽部(著)/ 島崎普(監修)
 講談社学術文庫「昭和天皇語録」黒田勝弘・畑好秀(編)
 幻冬舎「昭和天皇論」小林よしのり(著)

参考サイト
 WikiPedia「仁徳天皇」

添付画像
 大仙陵古墳(「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より)

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昭和天皇御真影
http://www.youtube.com/watch?v=dYSRnWGwlVg



本記事は平成22年4月29日の記事を再編集したものです。