私の子供のころの昭和天皇の記憶と言えば、TVで陛下が「あ、そう」とよく言われていたことを覚えています。どういう場面だったか、勲章授与の後の受勲者との会話かなにかだったかもしれません。TVのドラマでもそんなシーンがあったように思います。
 小林よしのり著「昭和天皇論」を読んでいると小林氏も子供の頃その印象があったようで、小林氏の父親が昭和天皇の「あ、そう」というモノマネをして、自分もそのモノマネをすると母親に「不敬な」と叱られています。小林氏は私より一回り年上ですので、昭和天皇は国民と会話するとき、長くそのようなスタイルだったのでしょう。
 
 あと覚えているのが記者会見です。史上初と言っていました。最近になって調べてみると米国へ訪問して帰国したときの記者会見だったようです。このときにこんな問答が行われていました。(昭和50年10月2日)

記者「ホワイトハウスにおける『私が深く悲しみとするあの戦争』というご発言がございましたが、このことは、陛下が開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか」

 これはホワイトハウスでフォード大統領主催の晩餐で陛下が挨拶されたとき「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争の・・・」と述べている部分があり、これを英文でdeplore(1 …を(痛烈に)非難[批判]する, とがめる.2 …を深く悔いる, 遺憾に思う, 〈人の死などを〉嘆き悲しむ, いたむ.)と訳したため、解釈論争が起きたことが背景にあります。藤山駐米大使は「ただ”悲しんでいる”という意味である」と説明しています。

昭和天皇「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」

 まあ、言葉のアヤでなんとでも報道するマスコミやイデオロギー利用されるのを避けた妥当なお答えでしょう。
 
記者「戦争終結に際し広島に原子爆弾が投下されたことを、どのように受け止めれられましたか」
昭和天皇「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っております。こういう戦争中のことですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っております」

 だいたい言葉のアヤでこのご発言もさまざまな解釈が行われアレコレ言われる類のものです。小林よしのり氏「昭和天皇論」では米国から帰国直後に米国を非難する発言などできようがなく、映像では昭和天皇は困惑して答えられている、記者の質問が非常識であると述べています。映像をチェックしてみると確かにその御様子が見て取れ、言葉に苦慮されています。質問をした記者は「反皇室」であり仕組んだ質問だったのでしょう。陛下の御心は「終戦の勅書」にある通りです。



参考文献
 「昭和天皇論」小林よしのり著
 「昭和天皇語録」黒田勝弘・畑好秀 編

1975 昭和天皇初訪米&初公式記者会見


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