1905年の日露戦争の日本海海戦は日本の連合艦隊よりも3倍の戦力を誇るバルチック艦隊に奇跡的に勝利したように言われています。東郷司令官と秋山参謀の丁字戦法を絶妙な東郷ターンによって完成させたことや下瀬火薬、風上をとった戦術による勝利であると。
ところが実際は勝つべくして勝ったというのが実態のようです。日本の連合艦隊はバルチック艦隊の実効射撃量は約4.5倍だったとのことです。
バルチック艦隊が3倍の戦力を誇るというのは戦艦の数や砲門の数、長距離砲の数などの総合的な火力、破壊力を言っています。世界はこの計算から導き出された数値からバルチック艦隊絶対有利とし、バルチック艦隊が壊滅した報を聞き、驚愕したのです。
しかし、この計算の中には発射間隔や命中精度が含まれていません。実は連合艦隊は3倍の発射間隔と3倍の命中精度を持っていました。つまり、バルチック艦隊が1発撃つ間に連合艦隊は3発撃てるし、バルチック艦隊が1発命中させたときには連合艦隊は3発命中させれるのです。更に連合艦隊は水雷艇を備えていました。(あまり戦果はなかったが) もちろん新兵器の下瀬火薬を採用していたことも見逃せません。
なぜ、連合艦隊が3倍の発射間隔と3倍の命中精度を持っていたか。それはロシアの艦隊とまともに戦っても勝ち目がないため、猛訓練したのだそうです。つまり東郷司令官も秋山参謀も海戦時には勝算を持っていたということで、実は絶対有利の状況下にあったということです。
ここで疑問となるのが、絶対有利が把握できている状況下でなぜ「東郷ターン」という危険行為をしなければならなかったのか、ということです。東郷ターンは縦列で進んで敵前でターンし、艦隊を横列にしてより多くの砲門を縦列の敵先頭艦に集中させる戦法です。ターンしている間が弱点でここで敵の砲弾多く浴びることになりますし、射程距離外でターンすれば戦法を見破られて回避されます。
日本側にはバルチック艦隊を全滅させなければならない理由がありました。バルチック艦隊はウラジオストックに入港し、日本近海の制海権を握り日本列島と大陸間を分断することが戦略的な目的です。日本はそうなれば大陸の軍は孤立し壊滅するのでそうはさせじと決戦を挑みますがバルチック艦隊との海戦に勝利してもバルチック艦隊が何十パーセントでも残ってしまば、今後、ゲリラ的に出没されてしまい、輸送に支障をきたしてしまいます。つまり日本の勝利の条件はウラジオストックに入港する前にバルチック艦隊を全滅させることだったのです。東郷ターンに加え、第二戦隊「出雲」の上村司令長官の機転と秋山真之の七段構えの戦法によりバルチック艦隊は全滅。ウラジオストックに入港できたのは巡洋艦1隻、駆逐艦2隻だけでした。
このように日本海海戦の勝利は奇跡ではなく、東郷司令官と秋山参謀、猛訓練を行った兵士たちの人事を尽くした結果だったといえます。
参考文献
朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
PHP研究所「坂の上の雲のすべてがわかる本」後藤寿一(監修)
参考サイト
武田邦彦「常勝ニッポン」
第一話 決戦の前夜 http://takedanet.com/2007/04/post_de6a.html
第二話 決戦 http://takedanet.com/2007/04/post_7f37.html
第三話 海戦次第 http://takedanet.com/2007/04/post_27e9.html
第四話 日本はなぜ勝ったか http://takedanet.com/2007/04/post_3177.html
日本海海戦「本日天気晴朗ナレ共浪高シ」 (東郷ターンアニメーションあり)
http://www.z-flag.jp/suigun/naval/tsushima_war.html
実際には丁字というよりイ字に近い。アニメは併走に到るまで見れるが、この後、連合艦隊がバルチック艦隊の進路を塞ぐ。旗艦スワロフが火を噴き、北へ転進したのを第一戦隊は逃走と判断し、回頭したのに対し、第二戦隊は舵の故障と正確な判断を下し、回頭せずに攻撃を続行したのが功を奏した。
添付画像
戦艦三笠(JJ太郎撮影 PD)
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日露戦争 日本海海戦報道
http://www.youtube.com/watch?v=QIfGddn2XnY
バルチック艦隊の第一発見者は沖縄の青年猟師だった。宮古島沖でバルチック艦隊を発見し、宮古島の役場に報告したが、宮古島には電信局がなかった。このため、若者3人が荒れる海を15時間もかけて八重山島まで知らせた。しかし、そのときにはもう海戦が始まっていた。
日本海海戦記念日にちなんで平成21年11月29日記事を再編集しました。