千葉でお料理講習会。
今週は焼豚です。



このチャーシューは定数12人のところ30人以上も申込みがあったようで大人気みたいですね。





年末に作って家族で楽しもうって方がたくさんいるみたい^ ^



今日はいろんなコツをお伝えして、みなさんニコニコしてお帰りになりました⭐︎

そろそろ…と

最近考え始めていることがある。

ってゆーか、ずっと考えてたんだけど。


車いすだけど店を始めて、

コロナのとき、身体を壊して入院したりして

店を閉めたけど…また復活できないかな?と。


私のような車いすユーザーが店をやると、一種のキャラクターのような感じでお客さんがやって来る。
以前店をやったときには日本全国からお客さんが来てくれた。

普通の人にはできない

様々な経験をした。

店は以前も人気だったアジフライ。

それと新たに穴子丼を考えている。

口に入れたらとけてなくなる穴子を作れる。
あとは自由に市場で仕入れたものをコントロールする。

以前やったときに人気だったのはスッポンだったりして。


そして車いすの私が店をやれば、地域の障害者やそれをサポートする人が活気づく。
その障害者や、サポートする人たちを店を呼び込むようにすれば面白いことができると思う。
そこはまだ詳しく考えられてはいないけど。

昼間は食事、夜は居酒屋感覚で動かすつもり。


普通の飲食店には持てないブランド力はあると思うんだけど。。


今は助成金を調べてます。

うまくいくと良いんだけど…


来年がんばろー^ ^


子供たちの朝食用にベーコンを買って冷凍したんですけど、ラップでやると固まっちゃって剥がれにくくなったりしませんか?
それよりスーパーとかにあるビニール袋を利用すると、お肉屋さんのフィルターのようにパリッと剥がれてとても便利^ ^



そういえばこんなお話、しばらく載せてなかったですね〜💦

お久しぶりです^ ^

12/7(日)10時から
ラコルタ柏1F
障害者活動センターで
震災についてのお話をします。
皆さんぜひお越しください。


車いすの身体になってからは、いずれくるであろう巨大震災では自分の命を諦めていました。なぜなら自由に動かす事ができないから。
しかし能登震災のニュースを見ていて気付いたのです。助かった場合はどうなるのか?と。
自ら身体は動かせないけど、おそらく助けてもらう可能性が高いのではないか?と思うのです。

そうなった場合、能登の障害者の方々はどう乗り越えてこられたのかを調べたのです。


ところがあまりわからない。
車いすの方々に関しては、まるでわからないのです。それどころか、今までの巨大地震でどうなったのか?もあまりわからなかった。

そして私は震災11ヶ月後に能登へ向かいました。

今日は能登で車いすの私が見聞きして学んだ事を防災の話として人に話す機会があり、能登への支援金を手に入れる事ができました。
お話を聞かせて頂いたところが数カ所あるので、まずは初めに伺ったところにお届けしようと考えています。
また他にもお話をする機会があるので、もしまた支援金が入ったら順番にお届けしようと思っています^ ^

写真は撮りませんでしたが…話、練習したり時間とか考えてやんないとですね。



それでも話をする機会を与えてくださった方に心から感謝しています。
これからもあの経験したことをお伝えしていこうと思います。

というか、もうこの身体になってから

10年と2週間ほど経過しました。


だけど最近は自分の居場所がどんどん減っていく。

なるべく外へ出ようと思うけど、

この10年、車に乗っていなかったから

だから逆に知り合いが増えたり

電車、バス、飛行機、船、

なんでも1人でこなせるようになった。

だけど最近は行動範囲がとても狭い!

思い立ってすぐに行動できない。

だから三輪バイクのトライク購入を検討中です^ ^



この10年、本当に家族たちに感謝しています。

特に妻には心からありがとうって思っています。

子供たちにも商売をしてしまったからいろいろしてあげられなかったし、お父さんをしてあげられなかった。。


いま、障害者用のグループホームを調べてます。

今住んでいる地域にこだわらなくてもいいかな〜、なんて。

忘れもしない…2015年の7/15。4:27ごろ。

数日後からブログをはじめ、皆さんに力を貸していただきました。

本当に心から感謝しています。


そして様々のことがあり、たくさんの人たちに出会い、助けて頂いてきました。


お陰様で現在も私は調理の仕事を続けているのですが、ふとしたきっかけで防災の話をお話しすることが増えてきました。


「どうせオレは車いすだし、地震が来たら助からないからいいや」

以前はそんなふうに考えていました。

しかし能登のニュースを見ながら気づいたんです。被災した車いすや障害者の人たちはどうやって生活しているんだろう?と。

すぐにネットで調べたのですが、よくわからない。ほぼ載っていないのです。

だから私が能登で調べてきました。







ゆれる前に知っておいた方がいいことがあります。お話をする場所があれば伺いますので、ご連絡をお待ちしています。



「しょうがい」って私もそうでしたけど、日本人は慣れてないし、「眼」があるから隠すところもたくさんあるし、一歩引いちゃうのかもしれないですね。


生まれるときから「しょうがい」の可能性があるんだし、その教育をしていませんよね。

私は42歳でノックアウトでしたけど、死ぬまでにしょうがいを負わずにいられる人間がどれくらいいるのか。

巨人の長嶋さんだって頑張ってらっしゃいましたよね。

私も仕事をして30年以上。

車いすだけど、毎日食事の仕事を続けています。

1973年生まれ。高校卒業後は寿司や和食など調理技術の仕事に励み、結婚後は企業で店長.リーダーとして動く。

2015年7月
交通事故により脊髄損傷で車いす生活。一級障害者。
厨房で2度と料理の仕事は不可能だろうと諦め、会社を退職することになる。

退院後、地域の小学校やデイサービスでボランティア後、新たに働くことができたのだが、当時の上司に「辞めてもらえないか」と伝えられる。



しかしその以前からニュアンスもわかっており、自分から行動を続けていた結果、新聞やラジオにも出演し、日本にも珍しい車いす調理師の私が経営する〝和食ダイニングわっ嘉〟をオープン。





しかし、一年後にコロナ禍が流行。自分のやりたいように経営できなくなり、四年で閉店。

↓これは取材で書いてもらった内容の中でも特に忠実に書いてある私の行動してきた内容です↓

働く広場2022年9月号 4/36



「一緒に働かないか」と誘われた会社で、現在も車いす調理師として厨房で毎日働いています。

しかし2024年元旦。
能登地方で起こった巨大地震。
毎日の辛い状況を、私のような障害の人たちはどうしているのだろうか?
ボランティア参加する知り合いもいた。私だって参加したい‥けど、行ったところで車いすの私が邪魔をしてしまうのであれば、このままテレビから見守るしかないと考えた。
しかし11月。
この時期なら、能登へ向かった。
私だって本を片付けたり割れたガラスぐらい掃除できるし、人の話を聞くのだって大切な事だと考えた。
そして一番重要な事は、


〝いつ起こるかわからない災害時、障害者が乗り越えるために準備をしなければならないが、それをどうすればいいかわからない。
それを教えていただくために震災を乗り越えてきた方たちのお話をお伺いしたい〟



そして震災当初は特に水がなかったようですが、私は脊髄損傷なので、排泄障害のある方たちの避難生活を調べたい。



それを元に、地元地域でイベントとして人を集め、みなさんで(もしもの時にどうすればいいのか)を話します。
考えておくのと何もしてないのでは大きな差が生じます。
特に車いすで動きの鈍い私のような場合、人に迷惑をかけたくないなら今のうちから準備をする必要があるはず。
日本では何度も災害が起こっているのに、いくら調べても詳しいことがわからない。
本当は考えられているのかな?
でも実際に障害者本人の我々が理解していないのであれば意味がない。



予定では12月に一度やると思うのですが、既に他の場所でもやって欲しいと言われています。

しかしもしかすると重要なのは個別避難計画な気もしますが、うまくいくようなら様々なところで広げたいと考えています。