物理学や数学の教える結果に従えば、確率は客観に由来する、処が機械論の教える処に従えば確率とは主観の所産である。――人々は今や、機械論的な確率の概念が如何に科学の進歩に立ち後れたものであるかを知っただろう。
確率は機械論的に理解されてはならない、云い換えれば、夫は、因果と機械的に対立した固定物と考えられてはならない。因果はすでに本当は、必然と偶然との弁証法的統一であったが、この偶然なるものに於ける因果[#「偶然なるものに於ける因果」に傍点]こそが確率に外ならない。因果的なものは確率的なものの部分・一面・本質である。もしそうでなかったら、統計的法則[#「統計的法則」に傍点](次を見よ)――夫は確率に基く――などはあり得ようがない。確率は因果と弁証法的に統一されていなければならない。そしてこの弁証法的統一物は法則[#「法則」に傍点]の概念である。所謂力学的法則[#「力学的法則」に傍点]と統計的法則[#「統計的法則」に傍点]とはだから、矛盾的対立に終るものでもなければ又単に並存するものでもない。それは弁証法的法則[#「弁証法的法則」に傍点]に於て統一されてなければならないのである。――さて近代の物理学が以上のように命じるのであり、又たといそう命じられなくても、事実は元来そうなければならない筈だったのである。
