5月のライブ情報
今月もあっという間に半分過ぎましたが、まだまだ歌う機会があるので見に来て下さい。よろしく!
5/17(月)
7PM
日比谷/有楽町駅
国際ビル地下一階「にっぽんの…」
グランド・オープン
5/23(日)
7PM
六本木ヒルズ
グランドハイアット東京
「マデュロ」
5/28(金)
7PM
ヒルトン東京
「セントジョージバー」
5/17(月)
7PM
日比谷/有楽町駅
国際ビル地下一階「にっぽんの…」
グランド・オープン
5/23(日)
7PM
六本木ヒルズ
グランドハイアット東京
「マデュロ」
5/28(金)
7PM
ヒルトン東京
「セントジョージバー」
緊急ライブ情報 4/16 St. George's Bar
新宿にあるヒルトン東京の「St. George's Bar」にて前座を務めます。MATTHEWの提示するコンセプト「J JAZZ」を初披露。詳細はこちら...
MATTHEW is having a front act gig at St. George's Bar in Hilton Tokyo presenting a glimpse of his new concept "J JAZZ".
ヒルトン東京 Hilton Tokyo
St. George's Bar
4/16 (FRI)
7:30 PM
View Larger Map
MATTHEW is having a front act gig at St. George's Bar in Hilton Tokyo presenting a glimpse of his new concept "J JAZZ".
ヒルトン東京 Hilton Tokyo
St. George's Bar
4/16 (FRI)
7:30 PM
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My Journey 3「赤組応援団長・マッシュー」
小学生最後の年の春。赤組と白組に分けられた応援団が、それぞれの組を担当している先生の元で体育座りをする。つばを飲みながら指示を待つ私たち。先生は男性で背が高く、当時、相当恐れられていたものだ。応援団だった4、5年生の時も、遅刻すれば叱られ、応援のフォームは厳しく直された。たるんでいた小学生にとっては丁度良い刺激だったのではないか。緊張感が漂う中、先生が口を開き、
「今年も運動会の時期が来た。朝練とか大変になるけど頑張ってほしい。まず六年生から団長と副団長を決めたいと思う。団長になりたい人は手を挙げて下さい。」
この時の記憶は鮮明に覚えている。同じ赤組でいかにも応援団長が似合う、がっしりとした体格の同級生がいた。皆、彼が手を挙げると思っていた。私も思っていた。しかし、なかなか立候補しないので、気がつくと自分が手を挙げていた。
「はい、マッシュー。他に立候補したい人は?」
誰もいなかったら多分なっていただろう同級生も、その時点で手を挙げる事はなかった。結局彼は副団長になり、私は多分初の外国人赤組応援団長になったのだ。もっと面白い事に、当時クラスでリーダーという感じはなく、体はかなり細身。スポーツも得意でなく、クラブ活動でマンガを書き、学校に申請して新たにミニ四駆クラブを立ち上げていた。つまり応援団長の定義に当てはまる様な子供ではなかった。何故手を挙げたのか、はっきりとは覚えていないが、声の大きさには自信があった。その一つの自信が団長への道を開かせた。
朝練に放課後の練習が続き、先生は相変わらず厳しかったが、6年生に対しては案外優しいと思った。怒られる事に慣れたのか、もしくは演技の型の覚えが早くなったからか。いや、しかし応援団長になった翌日の練習に遅れてきても、そこまで怒られなかった感じがする。(あり得ない事実。多分先生は呆れていたのだろう。その後はもちろん大反省。)とにかく、信頼されている感じがして、のびのびと練習が出来た。
運動会二日、三日前の合同練習。運動会当日に向けた度重なる練習の影響で、声が全く出なくなってしまった。変わりに副団長に私のセリフを言ってもらい、声を休ませた。合同練習が終わると、声が出ない事への無力感に拳を強く握った。その時の先生の一言は今でも忘れない。
「大会当日は声が出なくてもお前で行く。だからそれまで十分に休ませなさい。」
何も言わずに静かに頷き、目を曇らせながら了解した。家はもちろん、声が出なくなった事は学校中知られていたので、先生、生徒の皆が気を使ってくれた。ある日授業が終わり廊下を歩いていると後ろから名前を呼ばれた。この廊下の窓からは富士山が見えるので、ちょうど太陽が山にかかる時間帯だっただろうか。ふりむくとクラスの友達がビニール袋に沢山つめたのど飴をくれ、励ましてくれた。普段のど飴をなめる事はなかったが、甘酸っぱさに身を引き締め、早めに床についた。
そして小学生最後の運動会当日、のど飴は魔法とも言える効果を現した。
「今年も運動会の時期が来た。朝練とか大変になるけど頑張ってほしい。まず六年生から団長と副団長を決めたいと思う。団長になりたい人は手を挙げて下さい。」
この時の記憶は鮮明に覚えている。同じ赤組でいかにも応援団長が似合う、がっしりとした体格の同級生がいた。皆、彼が手を挙げると思っていた。私も思っていた。しかし、なかなか立候補しないので、気がつくと自分が手を挙げていた。
「はい、マッシュー。他に立候補したい人は?」
誰もいなかったら多分なっていただろう同級生も、その時点で手を挙げる事はなかった。結局彼は副団長になり、私は多分初の外国人赤組応援団長になったのだ。もっと面白い事に、当時クラスでリーダーという感じはなく、体はかなり細身。スポーツも得意でなく、クラブ活動でマンガを書き、学校に申請して新たにミニ四駆クラブを立ち上げていた。つまり応援団長の定義に当てはまる様な子供ではなかった。何故手を挙げたのか、はっきりとは覚えていないが、声の大きさには自信があった。その一つの自信が団長への道を開かせた。
朝練に放課後の練習が続き、先生は相変わらず厳しかったが、6年生に対しては案外優しいと思った。怒られる事に慣れたのか、もしくは演技の型の覚えが早くなったからか。いや、しかし応援団長になった翌日の練習に遅れてきても、そこまで怒られなかった感じがする。(あり得ない事実。多分先生は呆れていたのだろう。その後はもちろん大反省。)とにかく、信頼されている感じがして、のびのびと練習が出来た。
運動会二日、三日前の合同練習。運動会当日に向けた度重なる練習の影響で、声が全く出なくなってしまった。変わりに副団長に私のセリフを言ってもらい、声を休ませた。合同練習が終わると、声が出ない事への無力感に拳を強く握った。その時の先生の一言は今でも忘れない。
「大会当日は声が出なくてもお前で行く。だからそれまで十分に休ませなさい。」
何も言わずに静かに頷き、目を曇らせながら了解した。家はもちろん、声が出なくなった事は学校中知られていたので、先生、生徒の皆が気を使ってくれた。ある日授業が終わり廊下を歩いていると後ろから名前を呼ばれた。この廊下の窓からは富士山が見えるので、ちょうど太陽が山にかかる時間帯だっただろうか。ふりむくとクラスの友達がビニール袋に沢山つめたのど飴をくれ、励ましてくれた。普段のど飴をなめる事はなかったが、甘酸っぱさに身を引き締め、早めに床についた。
そして小学生最後の運動会当日、のど飴は魔法とも言える効果を現した。
