もう、こんな言葉、死語ですね~。
韓国ドラマを観ていて思いだしたのですが、私、昔、高校生の時に韓国の方と文通してました。
言葉は英語です。
相手の方は男性で、ソウル大学を目指してて受験勉強が大変だと書いてきたのを覚えてます。
今、韓国ドラマを観て、韓国の受験状況が大変だとわかり、なるほど、あの頃もそうだったんだなと、ひとり納得しました。
相手の方は、英語でびっしり長文の手紙を書いてきてました。家族のこと、学校のこと、勉強が大変だということなど。
私は、辞書とにらめっこしながら、読むにはなんとかなったのですが、書く方がたいして出来ず、私が出さなくなって、そのうちに終わってしまったという文通でした。
もともとは、私の友人がその方と文通始めたのに、友だちは、長文の手紙が来たので1回で嫌になって、私に変わってくれっていうことで、私が後を引き受けたというわけです。
考えたら、相手に大変失礼なことだった。
中国の人とも文通しました。こちらは、日本語を勉強するという中国人だったので、手紙は日本語で良かったので、結構長く続きました。
アメリカはアイオワの同じ年頃の女性とも文通しました。これは、向こうが気を使ったのか、小学生なみの英語でやり取りしてました。
いずれにしても、古き良き思い出です。
手紙を一生懸命書く、ポストに入れる時、家の郵便受けをのぞく、手紙が届いたとき、その瞬間瞬間が結構ときめいて、私は、ずいぶんと手紙に癒されたように思います。
手紙の場合、ものが手元にありますので、その肌触り、封筒を開ける楽しみ、そんなことに喜びがつまってて、手紙は嬉しいものだったと、懐かしく思い出しました。
しかし、今じゃ、ダイレクトメールぐらいで(笑)
そんなことを思い出した一日でした。