今日は最後の教授会があった。

 

大学教員生活30数年の最後の教授会は、何事もなく無事、終わっていった。

 

今の上智大学は、勤めた大学としては5つ目の大学だ。色々な教授会に出てきた。独特の思い出がいくつもある。

 

一つ一つたくさん思い出はあるが、それぞれを一言ずつ書いてみよう。

 

岩手大学人文社会科学部教授会。構成員が100人近くいたのではないか。大きな教授会で、何かしらいつも揉めていた。30年ほど前だからいってもいいと思うが、いつも揉め事を起こしている先生がいた。

 

和歌山大学経済学部教授会。私が何でもかんでも発言するようになった教授会だ。この大学を変わるときに、いつも対立したT先生が私に「鷲田は鷲田らしく生きていけ」と言われた。その先生は、私が神戸大学に転任したその4月に若くして亡くなった。

 

神戸大学経済学部教授会。私の大学院の母校の教授会だった。私の師匠の置塩信雄先生や斉藤光雄先生は直前に退官されていた。が、師匠たちと同じ古風な教授会の部屋に教授として参加したことは感激だった。

 

豊橋創造大学は、教授ではあったが教授会への参加が免除されていたので、残念ながら参加した記憶がない。

 

上智大学大学院地球環境学研究科教授会。私が、研究科委員長を4年勤めた教授会だった。10人前後の教授しかいない、小さな村のような教授会だった。私が最も長く、15年も参加し続けた教授会だった。