3日ぶりにまともな人間a.k.aマイメンと遊んだ。

3日ぶりなだけにマジで楽しかった。やっぱり、気の合う仲間と酒を飲んでたわいのない話をしたりするのはマジで気分転換にもなる。

おかげでフレッシュ倍増になった。
そこで個人的な話題をここに書く。


「天使がくれたもの」は47万部。シリーズ4冊計115万部。

「恋空」は142万部。

この代表的な恋愛小説は、携帯から生まれたものだ。

ここで気付いてほしいのが、この驚異的な売り上げ部数。

現在、普通の書籍などの初版が5000~6000部と言われる中、携帯小説の初版は4万~5万部だ。

この差、俺と玉木宏ぐらいだろう。


そもそもこの携帯小説。
10代~20代の女性から圧倒的な支持を得ている。
この層に重点を置いた上で、弓を射るスタンス。

雑誌や書籍を軸とする出版社では太刀打ちできない。

さらにこの携帯小説、プロアマ関係なしのまさに下克上。誰でも参加できる。
その証拠として、ある大手サイトでは会員数520万人だ。

小説家を目指す人から日記感覚の人までいる。

一攫千金も夢ではないということだ。

ただ、あくまで先程も述べたように10代20代女性が圧倒的に多い。


携帯画面で表示可能な文字数は100字程度だろう。

主語、述語などをしっかり組み立てて書くことは難しい。

つまり、言葉をある程度集約した上で書く必要もあるだろうし、それがかえって良いのかもしれない。

特にやたらと難しい語彙や語群を駆使して書くリアルサッカーより、若者言葉で端的で稚拙な言葉を使う文章の方がターゲットである層には効果覿面なのだろう。
その方がダイレクトに心を刺すってこともある。

まさに新たなコンテンツの開拓と言っていい。

さらに、携帯小説の8割はテーマが恋愛。
女は恋に生きるが故のテーマだろう。

巷のJKが黙っているわけがない。仕事ばかりのOLが黙っていない。
当然、電車通勤のJKはたまたJCはその合間に携帯画面から妄想を描き、彼氏がいるもんなら、重ねてニヤニヤしているんだろう。

餃子の臭いが残る上司の説教にイライラしながら山手線に揺られるOLは
恋愛に飢えているだろうし。

俺がビューネ君@松田翔太になってあげてもいいぜ。


本来、本というものは「めくる」という事に最大の意味があると俺はおもう。
ペラ、ペラっとめくる瞬間が楽しかったりする。次のページっていう未来を「めくる」。

その「めくる」がボタンを「押す」という行為に変わっただけと言われればそれまでの話。

媒体の違いなだけで、「活字を読む」という最大の目的は失っていない。


ただ、活字を扱う以上、それは「国語」だ。

時代が変わるように、言葉の意味も変わってくる。

それはそれでいい事ではあるが、このまま携帯小説に飲まれて、リアルサッカーが衰退していく事はマジで避けたい。


言葉のみで喜怒哀楽を表現できる、日本語の深さを知っているリアルサッカーにマジで頑張ってもらいたい。

あくまで携帯小説を否定する訳ではない。活字離れな昨今にとっては光だと思う。

文字を読まない層に光を当てた事にはマジで賛美を送る。


この10代から20代をターゲットにしている以上、当然ターゲットにされていない層もあるということになる。


これから高齢化の時代となるならば、この高齢化をターゲットにした恋愛小説があってもいいはずだ。

まず高齢者である以上、視力が悪かったり、携帯をあまり使えないという方が多いはず。

ならば、本の挽回という事になるはずだ。

これを内定先に企画としてレポート提出をこの前した。


その返答。


「うちでやる事は無理です」。


世の中あまくねぇ、針は長くねぇ@BOSS


とりあえず、フカキョンがかわいいってことは間違いねぇ。
「セロ弾きのゴーシュ」を地元マイメンに勧められて読んだ。

主人公はタイトル通り、セロを弾くゴーシュっていうヤツ。

このゴーシュ。まあ、とんでもねぇくらいにセロを弾くのが下手。10日後に演奏会を控えたとは思えない程のスキル。

そのグループの長に文句ばかり言われるゴーシュ。

しかし、人一倍の努力をする男。

ゴーシュは毎晩のように、セロを弾くスキルを磨く。

そんな中、たぬきやら子ねずみといった動物が毎晩、ゴーシュのセロ演奏を聴きにくる。

「アニマルのために音楽なんかできるか」って思うゴーシュだが、優しいゴーシュはセロを弾き続ける。

そして演奏会で見事、弾いてみせ、絶賛される。


この童話、「セロ弾きのゴーシュ」。

伝えたい事は何か?

ゴーシュは下手くそだった。それでも動物たちは聴いた。

自分が精一杯する事を誰かが精一杯求めてくれる事。

誰かのためにやっていた「自分の精一杯」が、「自分のための精一杯」として返ってくる。

そこには成長がある。

そこには達成感や満足感、高揚感もある。

何かを磨くためには誰かがいないといけない。

それはライバルって形かもしれない。

結局、俺たちは支えあっていかないと、色んなもんを求めたり求められたりしないと、生きていけない。


そして、この「セロ弾きのゴーシュ」は著者の「雨にも負けず」に繋がる。



「雨ニモマケズ」

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい


これは宮沢賢治が最高とする人間像であり、人間が全てこうなるとマジなピースになるかもしれん。

ただ、こんな人間にはなれん。なかなかなれん。

しかも、こんな善良な人間ばっかだと、この世の中の天秤は崩れる。

悪いヤツも必要なのが、この世の中。

ただ、俺はこんな人間になりたい。

胃がキリキリマイでも関係ねぇってことだ。

生物の中核を成すのは核酸とタンパク質。

核酸は4種の塩基から成り、タンパク質は20種のアミノ酸からなる。
生物を高校の時に習った人は知っているだろう。

核酸とタンパク質で全ての生物は構成されている。となると、地球上の生物は1種類となる。
つまり、ダーウィンの進化論を除くケルビンやオパーリンなど全ての生物学的法則は地球上の生物にのみあてはまるということになると思う。

専門家ではないのでわからないが、たぶんそうなる。

1種類の生物にだけ目を向けていてはおもしろくない。
宇宙人がもし存在するなら、生物学、生態学、天文学、宇宙科学、全ての説や論文は無駄になるだろう。

宇宙人a.k.aETをみんなは信じるか?
もちろん俺は120%信じる。

月にうさぎがリアルにいてもおかしくない。
日本でもJAXAが頻繁に衛星計画を打ち出しているし、SFでも宇宙人はよく出てくる。NASAも現実に宇宙人の写真を所持しているという噂もある。そこにはCIAも絡んでいるみたいだ。
公開しないのは、パニックを避けるためらしい。
信じるわけねぇだろう!って今思った奴。ロマンがねぇぞ。

もし、宇宙人が本当に地球に飛来でもすれば、パニックが青い地球を包むはずだ。
1930年代にSFの小説をアメリカのラジオ番組が流した際、火星人が襲撃してきたというニュースと勘違いしてパニックなった事件があった。

いつ来てもおかしくないってことだ。

そんな未知だけを未だ残す宇宙。興味ない奴がいたら興味をもってほしい。

この宇宙を語る際に1人の日本人を紹介する。
三田光一。この名前を知っている人が、どれだけいるだろうか?
有名な超能力者の一人。

三田さんは超能力を使い、1つの実験を行った。1931年――40キロ離れた写真乾板に、遠隔念写を送るというものだった。

選ばれた題材は「月の裏側」。念写し現像した写真には、なんと月面らしき像がはっきりと映し出されていたのだ。

アポロが月へ飛び、月の裏側を写真に収めたのは、この実験の38年後。実験当時は誰も目にしたことがない「念写写真」。
だから、この写真は、本物であるかどうか、誰も確かめることが出来なかった。三田だけ見たってところ。
 
1980年代、この月の裏側の「念写写真」と本物の月の裏側の写真が見比べられた。その写真を見比べたとき、やはり全く似ていないかったのだ。

しかしよく見ると、31個のクレーターと海の位置が、ピタリと一致したのであるが、真偽のほどを知ることなく、1943年、三田光一は他界した。

詐欺師とまで呼ばれた悲劇の超能力者・三田光一。堂本光一とは比にならない。

俺は奇跡体験アンビリバボーで見たことがあるが、どうも建物があるように見えた。

実際に天文学者の中に「月はETの基地である」という論文を出しているほどだ。マジで宇宙人はいるはずだ。

神秘な宇宙はマジで妄想族にとってはたまらん題材なはずだ。
寝る前に月を見てほしい。

もしかしたら、UFOが通るかもしれない。

はたまた、俺が通るかもしれない。