いつの頃からかは覚えてないし、
なんでこう考える様になったのかも、
きっかけとかはまるでおぼえていないけど、
なんとなく、
僕は、
結局のところ、
にんげんの、と言うか、
その「個」の価値は、
それがなくなった時に決まると考えていて、
更には、
価値ってのは、他者が決めるものだと考えている。
人間で言うのならば、
生きている時の結果、
死ぬとき、死んだときに、
周りの人達が、
「アイツはこんな奴だったな」って思う事、
それだけが価値や意味であって、
生きてる本人の気持ちとかは、
そこに殆ど反映されないんじゃないか、
と、漠然と思っている。
多分だけど、
誰もがその本人なりに、
考えて悩んで頑張って生きている。
ほとんどの人が。
でも、
悩んだから上手く行くとか、
頑張ったから到達するとか、
そんなのは確定していない。
単純に、悩まなければ上手くならない。
頑張らなければ手に入らないものがあるだけで、
保証はない。
それはそれとして、
だから、
誰もが認める結果みたいなものを、
全員が出せるわけじゃないんだろう。
だからと言って腐ってしまったら、
そこでおしまいなわけだから、
やっぱり進もうとしたり、
進み方や進む方向を見直したりするんだけど、
どれも保証はされてない。
なーんにも残すことできないって事も、
ある。
それでも、
「アイツは腐らないで走ってた」って、
最後に思われたなら、
それは一つの価値、評価だ。
誰かが見てくれているから、
価値が付いたわけだ。
いや、
価値がつくからどうだとか、
つかないからああだとか、
そうしたことを言いたんではなくて、
もっと根本的な事として、
例えば、
自分が終わるとき、
誰かが何か、思ったりするのだろうか。
どう思うのだろうか。
ってことは、
ちょっと興味がある。
それはきっと、
僕への評価だからだ。
ただ、
できれば、
生きてるうちにも評価してもらいたいものだ、
とも思ってしまうが。