何かをつくるって行為には、
幾つか理由があるけど、
大まかには二つだと思ってる。

認められたいか、
吐き出したいか。

誰かに喜んでもらえるモノ、
好いてもらえるモノ、
突き詰めればつまり、
買ってもらえるモノね。
この理由を悪し様に言う人も居るけど、
何故悪いのかわからん。

自分の好きなことや、
得意な事が生きる為の糧になって、
没頭できるから更に良いモノが作れる、
って可能性は大きいはず。
他の仕事やら、
余分な事に気を散らさないで居られるんだから、
製作者の大きな目標として当たり前だよね。
ただし、
買ってもらえるモノを作るのは簡単ではないし、
自分の主張を曲げなきゃならない事も、
多分たくさんあるから、
それはそれでストレスだろう。


吐き出したいから、
って事なら、
簡単だよね、
ただ闇雲に好きな事だけしてればいい。
嫌われようが罵られようが、
叩かれようが笑われようが、
好きな事を好きなように、
自分だけで決めてやれば良い。
でも、
それこそ好かれないモノは、
生きる為の糧にはならないから、
餓死しない為には、
一定の時間や労力を売るしかないんだよね。
そうすると、
時として気が削がれてしまうし、
単純に疲れる。


誰しもが望むのは、
その二つが両立できる事だろう。

好きなモノを自分らしく凝って作って、
喜んで笑って買ってくれる人がいて、
それがまた大きなエネルギーになって、
もっと良いモノ作る原動力になり、
結果、
細々とした商売はしなくても良いくらいに認められれば、
お金は要らないよ!楽しんでよ!
って言える訳だし、
もっと大きな人助けにもかり出せる。



ま、
なかなか難しいだろう事も、
ちょっと考えりゃわかるんだけど、

わかってんだけど、
その可能性を信じてたり、
口に出せる様な、
バカな人達じゃないと、

すげえ面白いモノは作れないし、
世界や歴史を変えたりは出来ないんだ。


今、それぞれの理由がなんであれ、
始めたからには、
バカのまま生きるか、
賢くなって仕舞うか、
選ばなきゃならないと思ってる。

そんで、
許されるならばバカのまま生きて、
バカのまま終わりたいと願ってる。