大前提として、
嘘をつくことはよくない事だ。
時と場合にもよるから、
すべて否定はしないけど、
あんまり褒められることではないと考える。

じゃぁ、
何から何まで本当なんだからと、
垂れ流すことはどうかと言えば、

そりゃ賢い方法じゃない、
と考える。

文字であれ、言葉であれ、
伝える情報には、
必ず優先順位がある。
それと、
出すタイミングもある。
それを間違えると、
伝わらない、曲解される、
そんな事が起きる。

でも、
タイミング図りつつ情報開示していくのって、
結構難しいし、
頭使うから疲れる。
で、ちょっとした油断で、間違える。
そこからイザコザになったりする。

そこで取り繕うために、
嘘が出てきたりする。

よくないね。


僕は、
だから、
あんまり情報を出さない。
特に不確定の事とかは。

それでも説明が必要な場合、
「まだわからないけど」とか、
「本人に聞いてないから何とも言えない」とか、
「決めつけることはまだできない」とか、
なんか煮え切らない話し方になる。

これ、
たぶん良くないんだろうとは思うんだ。
だけどね、
例えば誰かに第三者の話をするとき、
僕が出した言葉が、
聴いてる人の中で、その三者の特性としてインプットされるわけで、
それが善きにつけ悪きにつけ、
今後何かで会うたびに、話に出てくるたびに、
その人を構成する要素として浮かんでくる。
そこでもし悪いイメージを持ったとしたら、
本当は良いところ沢山あるのに、
最初が黒いから誤解され続けるかもしれない。

こわいことだ。
これ、洗脳の初歩だよ。


なので、
僕が何か言っても、
そういうところも理解してくれる人や、
僕の意見に左右されることのない、自分の意見を持ってる人、
あとは、
完全に僕自身が信用してる相手にしか、
不確定要素の多い話しや誰かの批評は話さない。
後でどこかで言いふらされたりしても、
それは僕が信じた相手のやることなら、
軽率ではないと信じてるわけだし、
たとえそれがトラブルとかに繋がったら、
素の発信した僕の責任になるのは当たり前。
仲介した人が話を流す事まで見越せなかった自分が悪い。


こうなってくると、
あんまり話さない人にもなるって事。
最近は身の回りに信じる相手が多いから、
ずいぶん楽になってきたよ。