走行中にカブのエンジンがストップしてしまった。
まず疑うのはエンジンオイルが有るかだ。
何とオイルレベルゲージ以下になってしまっていた。
幸いなことに300mほど離れたところにガソリンスタンドがある。
そこでエンジンオイルを入れるためにカブを押して行った。
ガソリンスタンドに到着して、いざエンジンオイルを入れる段階になるとトンデモナイことが分った。
何とエンジンオイルのドレインボルトが脱落してしまっていた。
ドレインボルトというのは、エンジンオイルを抜くためのボルトで、カブのエンジンの底に付いているボルトだ。
そのためにカブのエンジンオイルが無くなってしまったのだ。
その原因はすぐに分った。
昨日カブのエンジンオイルを交換した際に、ドレインボルトを締め忘れたことだった。
我ながら呆れるほどマヌケな話である。
ドレインボルトが無ければ、ガソリンスタンドでもどうしようもない。
仕方がないので家までカブを押して行くことにした。
幸いなことに家から約4Kmほどしか離れていなかった。
一時間ほどかけて家に到着した。
いい運動になった・・・と負け押しみを吐く(笑)
だがカブが無ければ、‘たっちゃん’の生活は大幅に不便になることが分った。
といっても生活の大部分は遊びであるが・・・
そこで純正部品が入手できるまでの応急措置をするために、ホームセンターにボルトを買いに行った。
ホームセンターでは長すぎるボルトしか入手できなかったので、ナットで調整して何とか応急措置ができた。
エンジンオイルを入れて、「かかってくれえ!」と、祈るような気持ちでエンジンをかけてみる。
キック二発で、何時も通りすぐにかかった。
エンジンオイルが空っぽになってしまってエンジンが止まってしまっても、またエンジンオイルを入れれば、何事もなかったようにカブのエンジンが廻り出した。
フツーのバイクや四輪ではこうはいかない。
エンジンオイルを切らしたら、即エンジンがクラッシュしてしまう。
さすがカブ!タフな奴!
明け方に霊夢を見た。
霊夢とはリアルな夢で、夢の中だと解る確率も高い。
‘たっちゃん’は、夢の中の有る場所に行って、そこで資料を発見した。
資料の中身は、興味深いストーリー性を帯びた長編の物語だった。
夢の中では、この資料に大感激したのだが、夢から覚めてみると、資料に目を通して大感激したことはハッキリと覚えているのだが、肝心の資料の中身はちっとも想い出せなかった。
想い出せなかったのは、夢の中の次元とこの世の次元の違いによるものだと思うのだ。
夢の中の次元の方が高次元なので得られる情報量も格段に多い。
高次元は、ちょうどネットでサクサク動画がストリームできる環境だが、この世はテキストファイル程度ならスムーズにダウンロードできるが、データが静止画になったら途端に遅くなり、一枚の静止画をダウンロードするにも数分間も掛かるような状況だ。
そのために情報量が膨大になると、脳が処理できずにパンクしてしまった状態になってしまったのだろう。
タダでさえ‘たっちゃん’の脳はキャパが少ないこともあって・・・(笑)
また少し前に見た霊夢では、夢の中の次元とこの世の波長が違い過ぎて、夢から覚めても夢の世界に行ってきた顕在意識が、この世の荒い波長の身体に戻って来て慣れるまで30分ほどの時間を要したことがあった。
そのために布団の中で、この世のバイブレーションに慣れるまで、身体は不思議な感覚が伴っていた。
こういった感覚は、‘たっちゃん’にとって特別な感覚ではなくて、霊夢を見たあとに時々体験する感覚である。
(先回の続き)
西尾市と岡崎市の境界近くの西尾市側のDENSO工場の北側の小山に鎮座している素戔嗚神社を発見して参拝したあとで、行きがけの駄賃で西尾市中央図書館に行って精神世界の本でも読もうと思って家を出てきた。
というのは時刻はまだ13時前で、家に帰るにしても早すぎる時間帯であるからだ。
ところが素戔嗚神社を参拝したら、何となく幸田町の図書館のイメージが湧いてきた。
西尾市中央図書館に比べて幸田町立図書館の方が規模が小さいので、精神世界の蔵書も少ないのにも関わらずだ。
幸田町立図書館は、素戔嗚神社からカブで10分足らずの距離にあるので、こちらも行きがけの駄賃の範囲だ。
‘たっちゃん’は直感を信じて幸田町立図書館に向かうことにすると、素戔嗚神社からショートカットできる道路を発見した。
「これは、読みたい本があるという証に違いない」
幸田町立図書館の精神世界の書架に向かうと・・・
「あった!」
‘たっちゃん’が読むべき本が新たに入庫していたので、2時間掛けて読破してきた。
直感のお蔭で有意義で充実したひと時を過ごすことが出来た。
ところで直感を信じて行動を起こすと、ますます直感が湧くようになってくる。
考えて行動を起こすより、直感を信じて行動した方がGOODだ!
それは直感の場合は、ロスゼロで非常に効率がいいからだ。
だが微かに湧いて来る直感をキャッチするには、心が静かな状態でなければならない。
さらに湧いてきた微かな想いを疑いなく信じて行動する必要がある。
このように直感を利用するにはちょっとしたコツが必要だが、これを利用しない手はない。
(先回の続き)
最近マイブームになっているのが、カブに乗って近郊の土地勘のない場所に鎮座している神社を発見してお参りすることを行っていることの第二弾の続編だ。
先回のブログで西尾市と岡崎市の境界近くの西尾市側のDENSO工場の北側の小山に鎮座している素戔嗚神社を発見して参拝したことに触れたが、今回のブログでは拝殿の正面からの正式な参道から参拝にチャレンジすることにした。
正式な参道はすぐに分った。
その北側には新幹線が走っていた。
道理で拝殿から新幹線の音が聞こえたはずだ。
鳥居の奥はDENSOの駐車場になっていたが、神社を参拝する者を咎めることはしないだろうと思って駐車場に侵入する。
駐車場の奥には、舗装されていない登りの参道が続いていた。
歩き始めると、けっこう急な登りであることが分った。
並走していた新幹線は、神社が鎮座している小山に吸い込まれていった。
推測すると拝殿の真下を新幹線が通っているようだ。
参道のフィニッシュは、自然石で荒削りに作られた急な石段が待っていた。
先回訪れた平坦な参道と時間的にはあまり変わらなくて5分近く掛かってしまった。
但し、このルートの方が急な登りの為にしんどい。
「参拝にはもう二度とこの参道は使わない」と想いながら、参拝を終えて参道を下ると意外な風景が待っていた。
参道からトンネルに入る新幹線を上から望めるのだ。
しかも間近でだ!
「てっちゃんなら撮影ポイントして喜びそうな場所だ!」
だが、そこには一人のてっちゃんもいなかった。
素戔嗚神社を参拝したら確かに御利益があった。
それは、間近で新幹線の上部から拝めたことだった。
途端に気を良くした‘たっちゃん’は、登りの苦労をケロッと忘れて「この参道も有りだな!」(笑)
(つづく)
(先回の続き)
最近マイブームになっているのが、カブに乗って近郊の土地勘のない場所に鎮座している神社を発見してお参りすることを行っていることの第二弾だ。
12月中旬のことだった。
西尾市と岡崎市の境界近くの西尾市側にDENSOの工場があるが、その北側の小山に分け入る道をカブで走っていたときのことだった。
鳥居が見えてきたのでカブを停めると、鳥居の脇に「村社 素戔嗚(スサノオ)神社」と記した古めかしい石碑が立っていた。
位置的には、先回訪れた白山神社からカブで10分足らずの距離にある。
鳥居にはロープが張られて進入禁止になっていて、その向こうには舗装されていない参道が続いているが、この位置からだと拝殿を拝むことが出来ない。
そこで歩いて参拝に行くことにした。
雑木林に囲まれた気持ちがいい平坦な参道だが、歩いても歩いても拝殿に辿り着かない。
格の高い神社ならともかく、村社という格なのにこんなに長い参道は初めての経験だ。
さぞご利益がありそうだ(笑)
5分ほど歩くとやっと拝殿が見えてきた。
拝殿の脇には狂い咲きしたツツジがピンクの花を付けて‘たっちゃん’を出迎えてくれていた。
それを見た‘たっちゃん’は、「歓迎されているみたいだ」と想った。
何でも都合のいい方に解釈するのが‘たっちゃん’流である(笑)
山の頂上近くに拝殿があり、静かな環境だと言いたいが、時々ゴオッという音が響き渡る。
「新幹線だ!」
異空間に紛れ込んだような気分に陶酔していたが、新幹線の走行音を聞いた途端に現実に引き戻された(笑)
拝殿の正面に東側に通じる石段があり、どうやらこちらが正式な参道のようだ。
日を改めて正式な参道から参拝しようと決めて元来た道を引き返した。
(つづく)
最近マイブームになっているのが、カブに乗って近郊の土地勘のない場所に鎮座している神社を発見してお参りすることを行っている。
神社を見つけるコツだが、何となく気の良さそうな場所を嗅ぎ当てることである。
その中で新たに発見した神社のひとつに、岡崎市の境界に近い西尾市西浅井町に鎮座している白山神社は、なかなか立派な神社である。
この白山神社は小山一つが神域で、その中腹に立派な神殿を持つ大規模な神社だ。
‘たっちゃん’は、この白山神社が気に入ったので、カブで傍を通り掛かる度に寄り道をして参拝し続けていた。
ある日、何時ものように参拝に出かけると、拝殿の扉が開いているのではないか!
そして拝殿の前には、神社係の人がいらっしゃった。
‘たっちゃん’は思い切って神社係の人に声を掛けてみた。
「拝殿の中に入って参拝してもいいですか?」
神社係の人は快諾して下さった。
奥行きがある拝殿は二部屋になっていて、手前の部屋と奥の部屋の間には更に扉があり、その奥に御神体が祭られていた。
‘たっちゃん’は御神体の近くで参拝させて頂くと、不思議なことに直接神様の気を感じることが出来た。
今まで拝殿の前から参拝していた際には、何となく感じるものがあったのが、こんなにダイレクトには感じることがなかった。
実に有り難い体験だった。
しばらく神社オタクから遠ざかっていたが、冬のシーズンは長距離ツーリングに不向きなので、近場で神社を見つけて参拝するのもありだな!と思った。
(つづく)
12月の上旬に矢作川河口から上流に向かって堤防道路をカブを走らせていると、今日は冠雪した御嶽山がものすごくクッキリと見える。
その左手に真っ白に冠雪した山が見えた。
はて?見かけないこの山は何だろうな?
‘たっちゃん’の住んでいる近郊の山で冠雪するのは、御嶽山の他に伊吹山があるが、方向的にはもっと西のはずだし・・・
それに伊吹山だとしても、三河方面からは真っ白に冠雪して見えないはずだし・・・
これってひょっとして白山?
そこで碧南市役所の庁舎とこの山が重なる地点を覚えて置いて、家に戻って地図上に線を引いてみると・・・
何と加賀の白山だった。
矢作川の堤防道路から白山が見えることを発見したが、確証を得るために旧・吉良町の饗庭になる標高50m程度の山頂に鎮座する白山神社の裏手から白山が望めるので、カブに乗って確かめに行った。
すると白山神社の裏手からもクッキリと白山を拝むことが出来た。
空気の澄んでいる冬のシーズンに極稀に白山を拝むことができることを実証したのは、遅蒔きながらつい昨年度の冬のことだった。
白山神社の裏手からは、西尾市内にある標高100m程度の八ッ表(やつおもて)山の展望台が見えたので、ひょっとして八ッ面山からも白山が拝めることが出来るのではないか?と想った。
そこで再びカブに乗って八ッ面山に向かった。
八ッ面山の展望台は4階建てのビルと同等の高さだ。
当然のことだがエレベーターがない。
当然のことだが平日の午後の展望台に登っても誰もいない。
当然のことだがここからも白山がクッキリと拝めた。
三河地方から白山が拝めるのは極稀のことと記したが、今日は白山を拝めただけでもラッキーな気分になれた。
最初から愚痴になってしまって恐縮だが、いくらカブに乗るのが好きな‘たっちゃん’でも、さすがに真冬にカブに乗るのは辛い。
特に気温が7℃以下になるとカブに乗ること自体が苦痛になって来る。
仕事で必要上カブに乗っている訳ではないし、修業のために難行苦行を課しているわけではないので、そういった特別に寒い日は原則的にカブに乗らないことにしている。
また雪が降る日もタブーだ。
そんな日に無理に乗るとスリップ事故を起こすのが関の山だ。
ではカブに乗って快適と感じる温度だが、大体気温が13℃以上であるのが目安である。
だから冬は陽が昇ってから、おもむろにカブに乗り始めて、周りが薄暗くなる16時前にはカブを降りることにしている。
そのために冬のシーズンはツーリングから遠ざかってしまっているが、温暖な日に興が乗れば三河湾ツーリングや、知多半島ツーリングに出かけることもある。
また朝方の寒い時間帯にわざわざカブに乗って、行き付けのマンガ喫茶に行くことがある。
それは冷えた身体に暖かい室内と、熱いホットコーヒーのもてなしは、苦痛から解放されてイッキに快感の領域に突入するからで、わざわざその落差を味わうために敢えて朝からカブに乗ることがある。
全く酔狂なことである。
そしてマンガ喫茶を出るのは、寒さが和らいだ午前10時頃としている。
ところで待ちに待った本格的なツーリングシーズンを迎えるのは桜が咲く頃である。
今から待ち遠しい!
ツーリングの途中でカブのガソリンが減って来たので、ビンボー性の‘たっちゃん’は、少しでも安い価格がウリのセルフスタンドに飛び込んだ。
このセルフスタンドは、現金は御札した受け入れられないシステムだったので、‘たっちゃん’は千円札1枚を投入して給油した。
カブの場合は、ガソリンの減り具合にもよるが、満タン給油でも大抵五百円以下で収まるのだ。
ところが給油が終わって出て来る領収書兼QRコードの印字されたお釣り券が一向に出てこない。
これがないとお釣りが出ないのだ。
尾籠な話で恐縮だが、紙が無いと困るのはトイレだけではないことが分った(笑)
早速係員を呼ぶと、彼は給油機のカバーを開けてプリンターの紙詰まりを発見した。
そのあとで彼は‘たっちゃん’が投入した紙幣の額を聞いてきた。
つまり一万円か、あるいは五千円か、千円かである。
‘たっちゃん’は、木こりがうっかり池に落とした斧の童話を想い出した。
つまり一万円は金の斧、五千円は銀の斧、千円は鉄の斧である。
‘たっちゃん’は正直に千円と鉄の斧を申告した。
無人で金銭を扱うこの種の機械は、トラブルを避けるために必ずメモリーで履歴を取っているので、ウソを言ってもバレバレになるからである。
案の定、バックアップしてあるデータと付き合わせて‘たっちゃん’にお釣りを返してくれた。
正直に申告しても、童話の木こりに授かったような豪華な御褒美はなかったが、お詫びの印としてボックスティッシュを一箱頂いた(笑)
因みにこの種のトラブルは一ヶ月に一度以下の発生率だそうで、道理で係員はマニュアル片手にぎこちない動きをしていたのは、滅多に起きないことだからと、妙に納得した。
本日のオチです!
頂いたボックスティッシュの箱には、カワイイ少女の写真が載っていた。
もしかして、これって女性に縁がない‘たっちゃん’が、女性にお近づきになる「はじめの一歩」という兆候だろうか?
もしそうだとしてもスタートラインが写真では、本物の女性と縁ができるまで、かなり長い道のりになりそうだ(笑)
アーリーリタイアしてから本格的に家庭菜園を始めた訳だが、始めた当初はキャベツを種から育てるのは難しいという先入観があった。
だが実際にキャベツの種が売っているので、ダメ元で蒔いてみたら意外と発芽率が良くて、何とか収穫まで漕ぎ付けたのはいいのだが、モンシロチョウの生んだ卵から孵化した青虫に食い荒らされてしまって散々の出来具合だった。
青虫の旺盛な食欲を侮っていたからだ。
農薬を散布すれば良いかも知れないが、虫が死ぬような農薬なら人間様にも多少なりとも悪影響を起こすのではないか?と考えると実行できなかった。
今年は9月の中旬にホームセンターで、キャベツの種を二百円足らずで購入して蒔いた。
一袋の二分の一程度蒔いたが、発芽率が高くて60~70本発芽した。
最終的に本葉が3~4本まで育って苗として使えるまでに、害虫の餌食になって40本程度しか残らなかったが、‘たっちゃん’にすれば十分すぎる量である。
10月になると苗はすくすくと育って次第に大きくなってきたが、早速モンシロチョウに目を付けられて、何時も数羽がキャベツ畑の上でホバリング状態だった(笑)
そのために毎日毎日青虫退治に明け暮れした。
一日に10匹程度の駆除はザラで、翌日も何処から湧いたか?また10匹程度を駆除し続けた。
その努力の甲斐があって、12月中旬になると早くもキャベツが収穫できるようになったが、素人百姓のためにキャベツの成長速度がまちまちで、まだ玉を巻き始めたものから、収穫までもう少しまでものとかでバラつきがある。
いわゆる不揃いのキャベツたちだ(笑)
負け惜しみではないが、その方が長期間に渡って食べられるメリットがある。
品種はサラダに適したサワーキャベツ系で、採れたてを生で食べると、キャベツ独特の甘味が口に広がる。
手前味噌ではないが、無農薬で育てたキャベツは格別美味しい!
この味を知ってしまったら、スーパーで売っているキャベツを生食で食べられなくなる(笑)
だが作りすぎてしまった。
何しろ一日に生キャベツ四分の一個食べろと言われても、いくら美味しくても、とても不可能だ。
それにサラダ菜、サニーレタスもあるし・・・
果たして40個近いキャベツを完食できるだろうか?
新たな悩みが発生した(笑)