こんにちは、筆者の乙葉(おとは)です
こちらのブログは、
これまで自分に厳しく、頑張りすぎて病気になってしまった過去から、
心理学や精神世界(スピリチュアル)、素敵な人たちと出会って
ありのままの自分を受け入れ、大切にできるようになった実体験をもとに、
「自分を愛すること」について書き留めたものです。
今回は本編第一稿ということで、
自分の幼い頃を振り返ってみました。
(と言いつつ後半は哲学のお話もりもりです )
皆さんにとって、何かしらハッとするような気づきがあればと、
そんな内容を盛り込んで書きましたので、
ぜひ楽しんでいただけますと嬉しいです
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小学生の頃は、
「私はどうして〇〇県のこのお家に生まれてきたんだろう」
「どうしてこの地球で生まれたんだろう」
(地球以外の選択肢でもあったんかい )
こんな感じで、
まるで空の裏側を覗くようなことを、思いふけっていた子どもでした。
では、ふわふわと流されるように生きてきかと言いますと、
そうとも限らず、芯は筋金入りでした。
(不思議ちゃんなのに芯があるということは、
「よくわかんないこと言ってんのに曲げねぇぜこの子 」ってことですね笑)
大なり小なり、自分の人生の選択は、自分の意思で行うこと。
迫られた選択と、それに対する自分の意思との間に、
他の人の意思を介入させないこと。
自分という”絶対軸”によって行動すること。
つまり、自分の選択は自分でするということは、
私の価値観ランキングで最上位に大切なことであり、
”自由”そのものだと感じていました。
しかし、強すぎる独立心は、時に、
「独りよがり」となってしまうものですよね
人は、自分の知っている”言葉”という範囲内でしか
物事を認識することができないと言います。
例えば、生まれて間もない赤ちゃんは、
外の世界から受けた刺激を、快 ・不快 の2つで捉えます。
言葉を覚えはじめた子どもは、様々な経験をするとともに、
複雑な感情と、それに似合う言葉を知り、
自分が認識できる”世界”というものを、日々創り広げていきます。
ですが、人はこれまで生きてきた環境の中で、
何かしら偏見(:客観的ではない思い込み/先入観)を持つものです。
もし偏見がなければ、
とてもクリアな視点で物事を真正面に捉えることができると思いますが、
偏見があることで、
自分の見えている世界に、
実は見えていないことが隠れてしまっている状態になります。
お話を戻しますと、
人が何かを選択する時、
自分の前にいくつか選択肢を用意しますよね。
その、自分が持っている選択肢、
言い換えれば、イメージし得る未来()というものは、
自分が認識できる範囲内に収まっています。
例え自分の理想とする未来より素晴らしいものを
叶えられる力が自分にあったとしても、
自分の持ち合わせている知識の量や偏見によって知覚できている世界線上でしか
選択肢をつくることはできないので、
その可能性を自分で狭めることなんて、いとも簡単にできるのです
(ジョーカーがあったとは知る由もないのであった...)
そんなこんなで小難しいことを並べてしまいましたが、、
一言で申し上げますと、
自分の認識できる世界を広げ、
俯瞰視する(:様々な観点から捉えること/多角視)力を育むための学びは、
生涯を通して大切だと、
それは他でもない自分の幸せを増やすことに直結するのだと思いました。
(ぜえぜえ。←一言が長すぎて息がもたない)
つまり、「無知の知」ですよね。
自分は何を知っていて、何を知らないのか、
そのことを踏まえていることが、まさしく教養だ。
と、私の尊敬する鷲田清一先生がおっしゃっておりました。
自分の人生の選択は、自分で決めたい。
それは、自分の手で、自分を幸せにしたいから。
そのために自分ができることは、
これから歩む未来の幅を狭めてしまわないように、
・多様な(学問)分野に関心を持ってみること。
・自分とは違う意見や考え方を簡単に許容せず、その違いに向き合うこと。
(みんな違ってみんないいよね、で考えることを止めないということです。)
そうやっているうちに、
「自分は無意識のうちにこんな思い込みを持っていたのか!」
と気づくことがあります。
これは、
・無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス) とも言われますし、
・ブロック(:自分に課している制限/非合理な思い込み) でもあると思います。
このブロックというのは、
自分が意識できない「無意識」のところに隠れているから厄介ですよね。
対処法としては、本当に単純ですが、
意識すればいいのだと思います。
(え、どうやってよ。)
無意識を、意識上にひきづり上げてくることはできませんが、
例えば、周りの人の意見を聞いて、
「どうしてそう考えるのかな?」
「私はどうして受け入れ難いと感じるのかな?」と自問してみると、
無意識にスポットライトが当たって思い込みに気付けるんです。
そうしているうちに、
自分が認識できる世界も広がりますし、
安易に情報を鵜呑みにしてしまうことも防げます。
他の人の意見に寛容になることで、どんどん許容範囲が広がっていき、
自分の失敗や恥ずかしいと思うことも責めることがなくなっていきました。
最後に、存在さんからのメッセージをお届けします↓
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました
ではまた
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すべてを疑います。
自分の信じていることさえもです。
信じていることを疑うことで、
自分を囲んでいる膜にプツンと小さな穴が開き、
膜の向こう側の光が差し込みます。
そうして自分の認識できる世界が拡大していくのです。