前の、板倉聖宜氏の、

日本史再発見は、実は、

図書館で借りてきた本で、

あのような優れた科学的考察が、

絶版のような形になっているのは、

残念である。

 

氏も謙虚に、題名を日本史再発見という

ように、表からみたら、何が書いてあるのか

わからないようにしたのが、埋没させてしまった原因の

ようである。

 

全部まとめて、紹介すればよいのであるが、

それは、このサイトの本分ではないから、割愛させてもらうが、

 

氏によると、江戸幕府も、成立してから、前半は、

経済も、人口も、拡大していたというのである。

 

そして、バブルは、商品経済が活発になったという

元禄時代。

 

それの、息を止めたのが、享保の改革を

したという吉宗だったというのだ。

 

製造品などの進歩にかかわる物品を、

すべて中止させ、発展させる道をストップさせた

張本人が、吉宗だったというのである。

 

それは、今の官僚とおなじで、国債を日銀は

もっと発行させて、財政出動させて、供給を

拡大させたら、需要が自然に伸びて、国民の

所得は、増大するのがわかっていながら

そうしないのと同じで、当時の役人も、

 

農業の生産、拡大のために、道具などの工夫や、

進歩は、贅沢につながっていくように考えていたようだ。

 

そして、それが、社会不安をあおり、失業を生んでいくと

考えていたようだ。

 

それは、維新によって解決したのであって、

江戸時代後半は、北関東、東北などは、

貧窮し、貧窮したら、人口も減少していたと、

当時の文献で調べたらわかってきたという。

 

ただ、西日本の、長州、肥後、薩摩など、

維新に活躍した藩では、人口も生産力も上がり、

幕末は、尊王攘夷で立ち上がったのに、

 

王政復古してからは、攘夷などどこ吹く風、

西洋を、受け入れた。

 

そこに、日本の不思議さと、日本人のインテリジェンスを

感じない訳にはいかないのだが、

 

日本の大学も、ようやく芳香太の40年前に

喝破していたことに、追いついてきた。

 

地方で、のんびりしていたので、高校生の頃は、

インテリジェンスなど、なんにも知らなかった。

 

クラスにも頭のいい人は、たくさんいて、学校の成績の

よいひとは、たくさんいた。

 

でも、いっしょに勉強するけれど、大切なことは

そうではないだろう。そういう気持ちがずっと、あった。

 

大学は、はるかかなたで、雲の上の存在だった。

高校の勉強だけでなく、その頃の自分は、どんなふうに

どうやったらよいのか、見本がみえてなかった。

 

それで、当然大学入試は、全滅して、予備校通いが

はじまった。

 

入れない大学がなかったことはなかったが、

今、活躍している小平奈緒選手の母校、信州大学も

先生推薦の大学だった。

 

そんな風に、自分の足元を固めて、安全弁で、人生を歩むのは

絶対いやだった。

 

そうしたら、今頃になってようやく、自分の渇望していた

人生コースの路が、広がってきた。

 

江戸時代は、家柄、身分が、重視されて、工夫、発展が

阻害されてきた。

 

戦後になって、ようやく家柄、身分の垣根は

払われてきて、誰でも平等に、教育を受けられるように

なってきた。

 

それが、大学の固定化につながり、産業の固定化にも

つながっている。

 

投資を、学問も、産業も、していかなければならないのだが、

むつかしいことは、その種をみつけることである。

 

その答えは、どんな文献捜しても答えは載っていない。

優秀な農家が、果実や、作物を交配させて、よりよい生産を

させていくように、良い種のヒントをみつけていくことは、

 

いろんなものに関心を持ち、そこから発展させていくことである。

その種をみつけるのは、とてもむつかしい。

 

今は、その絶好のチャンスが、整ってきた時代である。

三橋貴明氏が、このまま投資をしなくなったら、

30年後には、日本は、ノーベル賞を一つも取れなくなると

危惧されておられるが、発展の速度は遅くとも、この情報化の

時代に、今までよりは、材料も、多く、豊富になってきたので、

夢は、多くみられた者が、勝ちである。

 

としても、どちらにしても、楽して、寝ていたら、

パソコンだけを離さなかったら、将来は、保証されていると

考えるのは、間違いである。

 

それについても、後日考察したことを発表していきたい。