半年ぶりに自身の言葉で文章を書く。

人に言葉を発することの虚しさを感じ、ノートを閉じたのは9月の半ばであった。

分かる人には言葉を発せずとも伝わり、伝わらない方には、何を変えても伝わらない。
自身の未熟さを諦めという言葉で濁し、三年の間に毎日育て続けた言の葉も、自ら枯らすこととなった。

言葉で伝えることの絶望から歩みをはじめた釈迦や、言葉を命がけの飛躍と称した評論家のようにはいかず、私の言葉が伝わらないのは、言葉を背負う覚悟の不在にあった。

そうして半年の間、仕事や遊びや何やらと無難に過ごしてきたが、有難いと感謝を抱くことは以前よりなかったように思う。

そうして過ごすうちに偶然という必然から、私は自身が以前に書いた文章を読むこととなった。

書き貯めた、1000を越える文章を読み直し、稚拙ながらも、私は自身の言葉を理解した。

私は確かにそこにいて、誰かに向かって言葉を発していたのである。

私は再び感謝を知った。
言葉が伝わるということ。
伝えるべき他人がいるということ。
まだ、時間があるということ。

ここからまた、私は言葉を綴りはじめる。

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