遺書と遺言状の違いは、一般的な見解によると、死を前にしてしたためる書面であり、遺言状は遺書の一部であるということらしい。つまり遺言状は遺書という集合体の中に含まれるという解釈だ。

しかし、私は遺書と遺言状は全く別物であり、集合で言うと全く別集合であると考える。何故なら、遺書と遺言状は、書く折の状況、書く原因及び理由、書く内容が全く違うからだ。

まず、書く折の状況についてである。遺書は近い将来の確実な死を迎えるにあたって比較的短時間で書くものである。近い将来の死とは、自殺かもしれないし、自爆かもしれないし、事故であるかもしれない。実際昭和60年に起こった悲惨な日航機墜落事故では墜落までの数分間にかなりの人たちが遺書を書いたらしい。つまり眼前に迫った死を覚悟して短時間で書くものである。

それに対し、遺言状はもちろん遺書同様、死を前提として書くものであるが、死が目前に迫っている必要はなく、書くタイミングは自由である。ただし、書くのには年齢制限があり、民法第961条で15歳以上と規定されている。

要は15歳になれば未成年であっても単独で遺言状は書けるということだ。未成年でも遺言状が書けるのだということはあまり知られてないかもしれないし、実際未成年で遺言状を書いている人は皆無だろう。遺書との大きな違いは直前に迫った死に対しての逼迫感があるわけではないので、いつでも時間を気にせずにゆっくり書けるということだ。

次に、書く原因及び理由についてである。遺書はその死を迎える原因、理由が例えば、強烈な苛めがあったとか、重篤な病気に犯されていたとかにある。

しかし遺言状は死後の取り扱いに自分の意見を付与しておきたいという願望によるものと考えられる。

最後に書く内容についてである。遺書は先に書いた原因、理由を明記したり、それによる自分の気持ち等を書くのが通例であろう。例えば武士が切腹するときに詠む辞世の句などは典型例といえる。

「風誘う花よりもなお我はまた春の名残を如何とかせむ」

有名な赤穂藩主浅野内匠頭の辞世の句である。原因は吉良上野介の苛めであるが、それについては明記されていない。しかし、無念な怨みを春の名残に例えて何とかしてくれるように大石内蔵助に嘆願していることが読んで取れる。

遺言状は同じく先に書いた原因、理由により、例えば自分の遺産を死後どのように取り扱うかの意見指示、葬儀の方法等の意見指示が典型例であろう。

次回は遺言状の種類と遺言状を書くことの勧めについて書こうと思う。