3歳と12歳の娘がいます


次女がよちよちし出した頃
長女が5年生ぐらいの頃から
長女に付き添うのをやめました


あの頃は授乳もしていたし
人が集まる場所に乳飲み子を連れていくのが
しんどかった


長女のことはいつも気にして
どこへでもついて行く方だったのに
急に同行しなくなりました


心屋を知った時期でもあり
チャレンジのつもりで
あえて「やらない」選択をしてみよう
という気持ちもありました


長女はどう思うだろう?
相手先はどう思うだろう?
どう思われるか?との闘いがスタート


実際は何にも言われないのだから
こんなにも気になるのは
私の中に「罪悪感」があるんだということにも
思い至りました


具体的には
歯医者さんと習い事です


最近はもう次女も大きくなり
行こうと思えば行けるのだけれど
長女も中学生になり一人で大丈夫だし
2年以上もご無沙汰すると
敷居が高くなってしまいました
(ごくごくたまには行ってるけど)
 

習い事のバレエの先生にも
歯医者の先生にも
大変お世話になっていて
感謝しているあまりに

怖い


どうして親は来ないのかと
先生が内心怒っていそうで

怖い



そんなわけないと頭ではわかるのに
先生が内心怒っていそうな気がする

…気がする

気がするだけ!!



実はいつも
「内心怒ってる」のって
何を隠そう

この私なんですよね


夫に対して娘たちに対して
お世話しながら内心怒ってること
よくあります

ほんとに変えたい点です

心屋で言う
「人に言いたいことは自分のこと」
(合ってるかな)
って本当ですね


きのう歯医者の先生から
長女づたいに
「お母さんと話したい」ということで
半ば強制的に電話でお話しする
機会がめぐってきました


元々がんばり教のまじめ人間なので
やれと言われれば何でもできます


電話ではすらすらと
これまでのお礼もお伝えできて
今後の治療方針もうかがい
スッキリ!!しました


きっと先生も似た感覚だった気がする


先生にお会いするとき
どちらもリードしない
人見知り同士のやりにくさがあり
それも歯医者さんに足が向かない
一因でした


でも電話でお話しして
「なんかもう大丈夫」
「先生と仲良くなれた」
という感覚が得られました


この勢いにのり
今日は習い事のバレエの先生にも
ラインしました


バレエの先生が生徒の衣装の直しを
手縫いしていると知ったので
お手伝いをしましょうか?
とお伝えしました


残念ながら手縫いの作業は終わっていて
お手伝いできなかったのですが
先生も申し出を喜んでくださり
今度は手伝うお約束をしました


とてもとてもスッキリして
いい気持ちです


いつも先生たちに感謝しているのに
勝手に怖くなって
お礼の気持ちも伝えられずに
ばかでした


今度何かで
怖い気持ちがまたやってきたら
「勝手に怖くなってるだけ」と
私はもう知っています


すぐに怖さはなくならなくても
知っているだけでも
ずっと心強いはず


思えば物心ついてから
怖いことだらけでした


怖さの正体を知ったり
単に慣れて図々しくなったり
歳をとることも
すごくいいことだと
思える今日この頃です




今朝いつも通り
起きない中一の長女に
静かに言ってみました

「起きてよー」

遠くからでは反応がないため
枕元まで行って
至近距離から言ってみました

「朝だよ
    起きたら?」

長女はムクッと起きました

そっかー
静かに言っても聞こえるんだ

それに
聞こえなくてもいいわ

この子が遅刻してもいいわ
もう手を離そう

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   母から教わった“ブラシの木”


長女はもう歩き出していて
私が追いかけて行って
手をつかんでいる

そんな絵が浮かんだ

いつも出してた大きな声
無駄だったわ

    冷静に冷静に

今日もじっくり自分のことを考えてみよう







私には
「(子どもに)大声を出すことは有効」 
という方程式があります

子どもたちがなかなか言うことを聞かず
大きな声で言うとやっと通じて
動いてくれるので
毎日大声出してます

「トイレに行きなさーい!!」
「おふろ入ってー!!」
「起きなさーい!!」

一見、子どものせいのようでもある

でも立ち止まって考えると
「大声を出すと有効」は
私が信じていることだ

毎回毎回
「大声を出すこと」
を選んでいるのは私

他の方法は試したことがない

ただ私が
「子どもは大声出さなければ
   言うことを聞かないもの」
と信じている

その実、すぐに私の言うことを
聞いたりしない子どもらしさを
好もしく思ってる

きっと子どもたちも
私のそんな気持ちをわかっていて
ギリギリまでのんびりするように
なってしまってる

このあたりのことは
和久田ミカさんのブログから
気づきました↓

きっぱり叱るって大事なことよ。新米教師時代の話。
https://s.ameblo.jp/heartstrings-mika/entry-12320851009.html



・*・*・*・


大声を良しとしている考えの
さらにその奥には
「毎日大声で怒ってた母」 
の存在があるのかもしれない

子どもの私は
母に大声で怒られたから
言うことを聞いたのだろうか?

一部は当たりで一部は外れていそう

たしかに母が大声を出すと
「大変だ」と思って
手伝いに行ったりした

でもそのサインは
大声でなくてもよかった

母が限界にあることを
別の方法で知ることができたら 
「お母さんは疲れている」と
静かに教えてくれていたら
きっと私は手伝ったと思う

だって今も昔も
私は母が大好きだから

いつも母を怒らせてしまう自分が
かなりダメな子どもなんじゃないかと
思ってた

今なら
あんな怒り方しかできない母も
ちょっとどうかと思う…

でもそんな疑念は
当時の私にはご法度な考えだったから
打ち消していた

「私がダメだから
    お母さんは怒ってる」
を採用していた

今、母親の立場になり
やっぱり
「大きな声で怒るお母さん」
になってしまった

これ、自分も同じことをして
「大きな声で怒ってた母を許したい」
のかもしれません

たぶんきっとそんな気がします
母と同じになって
母を悪く思わなくてすむようになりたい

わざわざそこまで
手の込んだことをしなくても
フツーに母を許し
フツーに子どもに大声を出すのを
やめられたらよかったのにね

自分ができた人間ではないから
同じことをしないと
母を心底では許せないと
無意識に感じていたのかな

そんな自分を
ばかみたい、とも思うし
そこまでして健気だ、 
とも思えてきます


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    ひこうき雲


もう10年近く
「大きな声で怒るお母さん」を
やってます

もう充分、母と同じ怒る側の体験は
やりました

母からたくさん怒られて嫌だったけど
私も同じ

怒られて嫌だったことを覚えているから
・何度か普通に言ってから怒る
・怒りすぎたらフォロー
といった工夫はしていたつもり

でも娘たち
怒ると嫌そうにしてる

工夫なら
母もしていたのだろう

母も祖母からされたことを改良して
きっと工夫を凝らして
私たち子どもに接してくれていたのだろう

口の悪かった祖母より母の言い方が
だいぶソフトだったことからも想像できる
だからこそ母のことを
悪く思いたくなかった



嫌だ嫌だと思っていたのに 
母と同じことをしてしまい
母を許すことにつながって
きっと子どもたちにも許してもらえる(多分)

心屋をはじめとする
さまざまな考えに触れても
やってることは母と同じ

ただひとつ
「そんな自分を責めなくてもよい」
ということは
心屋流に教わらなければ
知らなかった
大きな大きなことです

そんなことに気づいたら
少しずつでも
怒る頻度は減るかな

はじめの方に書いた
「静かに伝えること」をやってみたい

あと和久田ミカさんのブログを参考に
「子どもは大声で怒らなくても
   協力してくれる」
と信じよう

“私はまたきっと怒ってしまって
 子どもたちに自分と同じに思いを
 させてしまう”
そんな思い込みを捨てよう

怒るのも減ってきて
子どもたちといい時間が過ごしたい

私はダメな子じゃなかったし
母もダメな母じゃなかったし
子どもたちもダメな子じゃない

もう罪悪感はいらない

うまくいく未来を 
受けとることを
自分に許そう