1年ほど前に、「限りある時間の使い方(オリバー・バークマン=著、高橋璃子=訳)」という本を駅の書店で見つけて購入しました。
売れ筋ランキングの棚に4位ぐらいで入っていたので目立っていたのと、タイトルが刺さったのが決め手です。
買ってすぐ読んで、「この本スゲー」と思った記憶があります。
そして、ランキングに入っていたのは、みんな同じことを何となくでも思っているんだろうなあとも思いました。
で、その後はあまり見返さなかったのですが、「いい本だったので」最近、本棚から引っ張り出してみました。
その中で
「禅の教えによると、人の苦しみはすべて、現実を認めたくないという気持ちから生じるのだという。「こんなはずではなかった」「どうして思い通りにいかないんだ」という気持ちこそが、苦しみの根源なのだ。」前掲書p132
という箇所があって、
なるほど、
と感心しながらも、「禅の発祥した時代って多分鎌倉とか室町よな。当時の人たちも、認めたくない現実なんてあったのかな?」「当時の仕事はほぼ世襲制で職業選択の自由なんてほとんどなかったんじゃないのか? だったら、ほとんどの人がほぼ似たような生活をしているわけで、仮に他の職業とか活動をしている人を羨んだとしても、そっちに行ける可能性なんてないんだから、最初から諦めるしかないんだから、現実は固定されたままなんじゃないのか」
なんてことを思いました。
まあ、かの吉田兼好だって同時代の人でしょうから、彼の著作である徒然草は現代にも通ずるような悩みや価値観などをつづっているわけで、当時もやっぱり理想や希望があって、でもそれを叶えられない自分ってのを直視するのが苦痛だから目を逸らさざるを得なくて苦しい、みたいな営みがあったんだろうな。詳しくは知らんけども。
なんてことを思ったので、つぶやいてみました。